故郷の愛知県岩倉市は愛知県内の市としては面積が最も狭いだとか聞く。遊びに行くのは周辺の小牧、一宮、江南ばかりで…かつて反映したであろう団地はブラジル人なんかの南米系が住むようになって犯罪多発地域と言われて。バブルの遺産のようなマンション群も価格が下がり、以前から住む人と新しく住む人の間にちょいとした人柄の差が見れたり、トタン造りの平屋なんかもまだたくさんあって、その前には改造されたバイクと車がどーんと並んで。五条川の桜が有名で、年に一度の祭りは盛大に盛り上がるけど、ヤンキーのお披露目市みたいで一人では行きづらかった。テキ屋を手伝う連れにジャガバターのバターやポテトをたらふくサービスしてもらって、ギター片手に小遣い稼ぎをした。不思議とガラの悪いエリアと裕福なエリアは別れていた気がして、社会の縮図と呼ぶにふさわしい構造だった気がする。
田舎は山が見える。「悪の華」じゃないけど、向こう側への憧れが募った。仲のいい連れはいたけど、心の中で絶対この街を出たいと思っていた。音楽の話、文学の話、サブカルな話…話が合った連中はみんな街を出た気がする。インテリには辛い街だったかもしれない。部屋にこもって聴いたフィッシュマンズが東京の象徴のように思っていた。
「ドアの外で思ったんだ あと十年経ったら なんでもできそうな気がするって でもやっぱりそんなの嘘さ 僕は何にもできないだろう いつまでも僕は何にもできないだろう」
六畳一間の部屋を開けると、さっきまでの気合いをくじくかのようにぬるく、重くのしかかる惰性。散らかるとベットの上しか居場所が無くて、そこでだらっと過ごしてしまう。東京の魔物ってこれなんじゃなかろうか?そんなことを突きつけて、それでいて温かい「イン・ザ・フライト」の一節。
フィッシュマンズが頭の中を延々と巡る東京にも慣れて、久々に帰った故郷はなんか新鮮だった。あの頃は退屈だからとりあえずどこかに出かけた。いまは退屈が愛しい。さとちゃんは死んだけど、まだまだ生々しく突き刺さる言葉。
ナイトクルージングの「窓は開けておくんだ」がギリギリに聞こえてしまう今日この頃。フィッシュマンズは封印してエレカシの「友達がいるのさ」を聞こうと思う。