さまざまなゲームに登場するボスキャラクターたちの魅力をあらためて掘り下げていく連載企画「僕らのボスキャラ列伝」。第3回は『ドラゴンクエスト』第1作目のラスボス・竜王を紹介します。
「やり方は間違っていたが、竜王がしたのは略奪ではなく奪還なのではないか?」竜王を見ていると、どうもこういう印象がぬぐえません。
1986年にファミコンで発売されたRPG『ドラゴンクエスト』のラスボスである竜王は、ラダトーム王家に伝わる光の玉を奪い、ローラ姫をさらった悪しき竜として描かれます。勇敢な騎士(≒主人公)が竜を倒し美姫を救う――そんな中世の騎士物語を彷彿とさせる、ヒロイックな筋書きです。
ところが、1988年にシリーズ3作目の『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』が発売されると、”竜王は悪である”という前提が揺らぐことになりました。
本来、光の玉は神の使いである竜の女王の所有物で、自らの死期を悟った女王が『DQIII』の勇者へと託したものだったのです。ほどなくして女王は卵を残して息絶え、その後、世界を救った勇者は”勇者ロト”として名を残します。
竜の女王の姿が竜王に瓜二つであること、『DQIII』は初代『DQ』のはるか昔の物語であることから、ファンの間では「竜王=竜の女王の子供or子孫」という解釈がされるようになりました。つまり、竜王は神の使い(の末裔)であるということです。
こうした竜王へのイメージの変遷を経て思い浮かんだのが、冒頭の一文です。「竜王にとって光の玉は”奪ってやりたい人間の宝”ではなく、”取り返すべき一族の至宝”だったのではないか」と。
1974年に放送されて大ヒットしたアニメ『宇宙戦艦ヤマト』には、主人公の古代進が自分たちのした戦いで一面の荒野となってしまったガミラス星の大地を見て「我々がしなければならなかったことは(ガミラス人と)戦うことじゃない。愛し合うことだった」と嘆き悲しむ名シーンがあります。敵を倒して得たものは、勝利の喜びではなく悲しみと後悔だった――『ヤマト』が名作と語り継がれる理由のひとつがこのシーンにあるといえるでしょう。
『DQIII』の発売をもって、初代『DQ』の物語にも似たようなテーマを見出せるようになったのは、『DQIII』で圧倒的な存在感を放つ大魔王ゾーマの描写にも匹敵するくらいエポックメイキングなことだった…と筆者は感じています。
上記の『ヤマト』と違うところを挙げるなら、「初代『DQ』の世界・時代で”竜王と手を取り合えた可能性”を考えていた者はおそらく誰もいない」ということでしょうか。長きにわたる歴史を俯瞰できるプレイヤーだけがその可能性に気付き、しんみりとできるのです。
また、2000年には吉崎観音氏による『ドラゴンクエストモンスターズ テリーのワンダーランド』のスピンオフコミック『ドラゴンクエストモンスターズ+』の連載が始まりましたが、この作品に登場する竜王は、威厳ある気高い存在として描かれていました。連載当時にリアルタイムで読んでいた筆者は「やっぱり竜王はこうだよね!」と膝を打ったものです。(もちろん、こうした解釈が絶対だというわけではありませんが)
『ドラゴンクエスト』シリーズは”勇者が大魔王を倒し平和を勝ち取る”という明快なストーリーの裏にこういったやるせなさや人の業のようなものが漂う作品も多く、そんなところも大きな魅力ですね。