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「足立 紳 後ろ向きで進む」第20回

 

結婚19年。妻には殴られ罵られ、ふたりの子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々——それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

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11月1日(月曜日)

家出から戻ってきた息子が今日は開校記念日で休校。ひたすら家出をしたことを自慢している。持って出た1万円は当たり前だが、どこかに落としている。

 

「俺、家出したんだぜ! なんかイヤなことがあったらまたすぐに家出するぞ!」と息巻く息子。

 

こんな家出でも、息子にとってはもしかしたら小さな成功体験だったのかもしれない。「僕も家出ができた!」なんて。こういうことが深夜徘徊などにつながるのだろうかと思いつつも、自慢してくる息子がかわいいのと、人から褒められることが圧倒的に少ないから「すげえな、家出。パパは怖くてできない!」と誉めておいた。妻は私とは違う意見で、息子は平然としているように見えるが、実は1万円を失くしたことがショックで、それをなんとか薄めようとして、あんなことを言っているのだと思うと言う。

 

言われてみれば、普段は電話なんかしない鳥取の祖母に自ら電話をして「1万円がねー、こんなウチ大嫌いだって言って、家出しちゃったんだよー」と、自分と1万円を入れ替えて落としたことをうっすらと報告していた。祖母はそんな息子を「凄い才能だ! あんたの文章は子どものころから私の口述筆記だったんだから、今度は息子の文章をメモしてパクれ!」とのこと。

 

11月3日(水曜日・文化の日)

休日。息子を朝の9時に友人宅に送る途中、自転車に乗りながら、後ろからついて行く私に、ペラペラとしゃべり続ける息子に前を向けと注意。その直後に案の定、人とぶつかった。カッとした私はぶつかった方に謝ったあと、息子をその場で怒鳴りつけた。が、ぶつかってしまった息子もびっくりして動揺しており、その上に私からも怒鳴られたものだから特性を発揮。急に「もう行きたくない!」と言い出した。ヤバイと思ったが、友達の家はもうすぐだし、何とか息子の言葉を流して到着。が、友達が出迎えてくれても息子は「帰りたい、帰りたい、パパが悪い!」と半ベソ状態。私はまた沸々と怒りがわいてくる。友達とそのお母さんが息子をなだめてくれるのを横目に、娘の野球の練習試合に行くべく妻と合流。

 

試合に出られないことで、野球へのモチベーションが著しく低下中の娘の様子を見に行ったのだ。もちろんスタメンではないが、練習試合は3試合の予定だから、どこかで出られるだろうと思いながらぼんやりと見物していたら、息子の友達のお母さんから電話。息子がどうしても帰ると言っているとのこと。その上、友達に「○○(友達の名前)とは一生遊ばない」と口走ったらしい。一気に気分が凹んだが、今日はうまく遊べないかもという懸念はあったので、しかたなく迎えに行く。妻は娘の試合に残る。

 

家に戻ると、息子は学校から支給されているタブレットをいじっていた。そして「ぜんぶパパのせいだ!」と叫びまくる。このままではまた怒鳴りつけてしまいそうなので、私も頭を冷やそうと息子と離れる。15分後、「ほんとにもう遊ばなくていいのか? みんなまだ公園にいるってよ」と言うと、息子は黙った。当たり前だが遊びたくてしょうがないのだ。でも、遊んでいる最中はもちろんのこと、その前後に少しでも嫌なことがあると――今日で言えば自転車のことで私に怒られた――もうその瞬間に脳調がおかしくなり平常に戻ってこられない。

 

私はそのまま2階に行って仕事を始めたが、1時間後に下に降りて「どうするんだ?」と聞くと、「やっぱり行きたい」と言う。だがひとりでは行けないというので、公園まで送ってやることにした。

 

到着間際に「やっぱりやめようかな……」とモゴモゴ言い出したので、遊んで来いと背中を押すが、うまく友人たちの間に入っていくことができずウロウロしている。

 

離れたところでピクニックをしている友人たちのお母さんたちに挨拶に行くと、皆さん「ああ、戻ってこられたんだ!」と言ってくださったが、新事実も分かった。

 

息子のリュックの外ポケットにあるグシャグシャのティッシュの中身はネズミの死体だという。ネズミの死体を見つけた息子が興奮して頑なに離さず、友達や友達の母から「死体だから触っちゃだめだよ」と何度言われても「持って帰る!」と貫き通したのもトラブルの一因のようで、うーん眩暈。去年の春に仲の良かった婆さん猫が死んだ時も「埋めて埋葬する!」 とこだわっていたのを思い出した。

 

小学生のころ、机に給食のパンを入れ続けている友人がいて、どうしてこいつはこんなに嫌われることをするのだろうと理解できずにいたが、今なら少し分かる。きっとパンが大嫌いで、残して机に入れていた。それをひたすら持って帰るのを忘れて悪臭が漂ってきてしまった。ただそれだけのことなのだ。

 

そして、そういう子を叱ってもしょうがない。そういう特性の子だと分かれば、彼の残したパンを誰かが袋に入れてやり、下校時にちゃんと手に持たせればいいだけだ。たいして面倒な作業ではなさそうだが、彼は卒業するまでパンを机に入れ続けていた。そういえば彼は、数年前に鳥取県の米子で私の映画の上映会があったときに来てくれた。中学時代の男子の友達で来てくれたのは彼ひとりだった(私の人望がないんじゃなくて、いつも来てくれている連中が何人かいるのだが、その日はみんなどうしても都合がつかなかったのです!)。

 

「僕が誰か分かるかい?」とすっかり太った彼は、満面の笑みで名乗り、私は彼を思い出した。彼が来てくれてうれしかった。もう少しきれいごとのように言うと、彼がこうして中学時代の仲間に会いに来るというメンタルを持っていたことがうれしかった。少しだけだが立ち話をした。不幸そうではなかった。息子も大人になったときに、彼くらいの笑みを浮かべながら生きていてくれたらと切に願う。と、キレイにまとめたいところだが、彼は小学生のころからぼんやりしているか、あとは薄ら笑いを浮かべていたように思う。その笑顔の下には多くの苦しいことがあったのだろうと、今は想像がつく。

 

11月4日(木曜日)

娘の塾の体験日。終了後に迎えに行く。「この塾は気に入った」とのこと。今回は塾を3つほど体験させてから(親が色々調べた2つと娘が希望した今回の塾)、最終的には娘自身に決めさせることにしていたのだが、あっけなくここに決定した。体験に行く前からおそらくここになるだろうと思っていた。なぜなら同じ部活の仲の良い友達が通っているからだ。そういう理由で決めるところが私の娘っぽいなあぁとつくづく思うが、頑張って欲しい。

 

11月6日(土曜日)

妻と小豆島に行く。一昨年、小豆島で撮影した「喜劇 愛妻物語」を二十四の瞳映画村で行われる小豆島回想映画祭で上映してもらえることになり、夫婦で呼んでいただいたのだ。明日は夫婦でトークをする予定だ。

 

近ごろは夫婦ともに、主に息子のことで疲弊気味であったので、この小旅行は楽しみにしていた。

 

小豆島は11年前に妻とまだ3歳だった娘と訪れた。さぬき映画祭で募集していたプロットコンペを見つけてきた妻が、そのコンペに応募しろと言ってきたのだが、私は香川県に行ったことがなかったので家族でシナハンに来たのだ。そのとき小豆島にも立ち寄った。

 

妻がレンタカー代をケチり、レンタサイクルで島内を移動したものだからひどい目にあったのだが(なにせ無知な私と妻はチャリだと2時間くらいで島を1周できると思っていた)、その体験を「喜劇 愛妻物語」で描いたのだ。あのときプロットコンペは一次審査も通らず落選したが、11年後にこうして妻と来られるのは感慨深い。

 

11年後のこの日の夜は、映画の撮影時にもお世話になった二十四の瞳映画村を切り盛りする有本裕之さんに美味しい物をたらふくご馳走になった。妻がここぞとばかりに凄まじいピッチで酒を飲んでいるのが気になったというか、少々腹立たしかったが、私や息子のことでストレスもずいぶんたまっていたことだろうから、呼んでくれた有本さんには感謝しかない。

 

食事から宿に戻ると、妻は巨象のようにベッドに倒れ込みすぐに寝てしまった。せっかく久しぶりの夫婦ふたり旅だから少しは甘い雰囲気を味わいたかったのだが、11年前もそう言えば妻は安酒をかっくらって寝ていた。

 

※妻より

フェリーで「ふたりの旅行なんて久しぶりだね」とすっごい気色悪い声と引きつった笑顔で夫が話しかけてきたので、すかさず聞こえないふりをしました。

毎朝毎晩「もっともっと愛して欲しい、もっともっと支えて欲しい」と夫が叫ぶ度に、どんどん具合が悪くなります。

 

大変大変かわいかった3歳の娘は、今はかなり面倒くさい反抗娘になりましたが、それでもまぁかわいいです。かわいいけど、面倒くさいです(by妻)

 

11月7日(日曜日)

起床して妻とともにホテルの窓から見えるエンジェルロードに行く。こちらも以前、エンジェルロード脚本賞というものに応募したことがある。東日本大震災のあった年だからちょうど10年前だ。あのとき、原発事故で放射能がどうなるか想像もつかなかったから、娘を鳥取の実家に避難させた。1か月後に娘を迎えに鳥取まで行き、その帰りに岡山で下車して当時4歳の娘をレンタサイクルの前かごに入れてシナハンをした。エンジェルロードまで行きたかったが、なにせ金がなかったので岡山でシナハンをしたのだ。というのは、エンジェルロード脚本賞の応募要項に「瀬戸内を舞台としたもの」という条件があり、なら岡山でもいいだろうと思ったのだ。こちらも落選したが、そのシナリオを元にした映画を来年撮る予定だ。こうして振り返ると、私の映画人生は落選とリベンジの繰り返しのような気がする。

 

二十四の瞳映画村でのトークイベントは1時間あったが、あっという間に終わった。お客さんもよく笑ってくださったので、少しは有本さんへの恩返しになっていればうれしい。お土産もたくさんいただいて、昨日も書いたが本当に感謝しかない。

 

フェリー乗り場まで送っていただき、高松から岡山に出て私はそのまま岐阜県にロケハンに向かうのだが、岡山駅でキャリーバッグがないことに気づいた。妻の機嫌が瞬時に悪くなり、フェリー会社とか鉄道会社とかいろんな場所に電話をかけはじめた。私はボケっと岡山駅で買ったままかりの押鮨をひたすら食していた。名古屋で私は岐阜に向かうために乗り換えたが、荷物の行方は分からず、妻の機嫌は悪いままだった。

 

23時過ぎに飛騨に到着し、バタンキューだった。

 

小豆島のトークは相変わらずゲスな話ばかりでしたが、お客様が笑ってくれたので良かったです。キャリーバックはその後、高松駅で見つかり、後日着払いで発送して頂きました。たくさんのお酒や醤油やオリーブオイルが入っていたので良かったです! 顛末をFacebookに書いてしまったので複数の方からLINE頂きました。ご心配おかけしました&ありがとうございました!(by妻)

 

11月8日(月曜日)

ひたすらに飛騨をロケハン。この日、初めて万歩計が3万5000歩を超えた。とくに午前中は5時間近くひとりで歩き回り、なんとなく登場人物たちが住んでいる町のイメージがつかめた。

 

朝、息子から電話。何事かと思ったら「僕の財布がない! 父ちゃん、どこ置いた!」と突然にお金への執着。たまに息子はお金、文房具、フィギュアへの執着発作が起こることがあり、その時はそれらが満足のいく形で手元にくるまで癇癪を起こす。なんとか財布は見つかり、先生が迎えに来てくれて学校へは行ったとのこと。

 

夜、妻から娘のことでLINE。娘がキャッチボールの相手をしてくれと言ってきて、妻は相手をしたのだが、娘は独自に覚えようとしている変化球ばかり投げてきて、ボールを取れない妻に娘がキレて妻もキレ返し、大ゲンカになったとのこと。ウケる。と言いたいところだが、こういうLINEも確実に心にダメージが残る。

 

11月9日(火曜日)

朝から冷たい雨。ロケハンに出る時間を遅らせて、宿でぼんやりしていると、妻からLINE。今日息子は学校に行けなかったとのこと。先生が迎えに来てくれたが、どうしても動けず、立ちすくんでボロボロ泣いていたとのこと。息子は学校へ行くのも辛く、学校へ行けないのも辛い。かわいそうなので妻と息子あてに優しさにあふれたようなLINEを送ったら、慣れぬことをしたからか仕事のグループLINEに送ってしまっていた。恥ずかしい。

 

この日もひたすらにロケハン。昼くらいに妻からまたもLINE。ラーメン食ってる息子の写真とともに、息子に今の気持ちを話させ、口述筆記した文章の写真が送られてくる(息子は字を書くのが苦手なので書けない)。

 

「学校に行けないです。保健室にも校長室にも行けないです。理由はどこに行っても勉強から逃げられないからです。ボクは勉強が嫌いです。でも頭は良くなりたいです」

 

切ない。息子は勉強をするのは死ぬほど嫌だが、みんなより点数が取れないことをとても恥ずかしがってしまう。0点でいいんだよと何度言っても、息子は0点をイヤがる。でも、勉強するのもイヤ。苦しいだろうなと思う。

 

夕方に飛騨をたち、富山でスタッフとともに黒ラーメンを食して帰京。疲れた。

 

11月10日(水曜日)

息子、今日は友達に迎えに来てもらい(妻が母仲間に頼んだ)、どうにか学校に行けた。友達は静かな子だが、その子相手にずっと自分しか知らないゲームの話をし続けていた。9歳の友達も辛いだろうに。

 

夜、ゲームをやめられない息子を叱ってしまう。無理やりゲームを取り上げると息子が大癇癪を起こし「だから父ちゃんは大嫌いだ! もう僕の前に一生こないで! ウチから出て行って!」とわめきだして「出て行け! 出て行け!」と30分くらいわめき続け、このままではヤバイと思い、家を出た。かなり凹んだ。

 

11月12日(金曜日)

息子は今日も学校に行けず(昨日も友達のお迎えで行けたから、今日はお迎えなしで行って見ようと昨晩話していたのだが、やはり友達のお迎えがないと行けなかった。ボロボロ涙を流す)。そんな息子を残して妻とともに区の発達支援センターに相談に行く。ほとんど我々の疲弊の相談に乗ってもらいながら、息子のことでももちろん多くの助言をいただく。こんなことを書くのはセクハラになるのかどうか判断できないが、相談員の女性の方が以前私の好きだったタニア・ロバーツの若いころのような潤んだ瞳の美しい方で、ぼんやりと見惚れていた。その後、妻に「あんたの好きなタイプでしょ」と言われた。

 

こんな状況でも、見惚れることができるのだから、俺はまだ大丈夫かなと思えた。

 

11月13日(土曜日)

土曜登校。友達に迎えに来てもらえ、かつ今日は3時間で帰れるので、息子は脳調がおかしくなることもなくすんなりと学校へ行った。この日はコロナでずっと休止していた学校公開が開催されたので、久しぶりに学校での息子の様子を見た。

 

授業中は多分ぶっ飛んでいたのだろう、ずっと天井を見ており微動だにしなかった。休み時間、息子はいろんな友達に一方的に自分の興味のあることをベラベラと話していた。友達たちはほぼノーリアクション。すると息子は次のグループに行くが、またノーリアクションをいただく。その繰り返し。自分の興味のあることだけを一方的に話し続ける息子にリアクションしろと言われても、小学3年生は困ってしまうだろう。息子は久しぶりに普通に登校できてハイテンションにもなっていたのだろうが、見ていて辛かった。

 

その後、家で仕事をしていると、さらにハイテンションになった息子が友達を5人くらい連れてやってきた。

 

「俺んちここ! 狭いでしょ!」などと言っている。「お邪魔します」と言う友達に「いいんだよ、俺んちはお邪魔しますなんて言わなくて」とも言う。これも自己肯定感の低さゆえの言葉なのだろうか。妻が慌てて、いろんな荷物を片付けた。

 

みんなで「イカゲーム」を見るのだと言う。悪い予感がしたが、案の定、息子は「イカゲーム」のネタバレを凄まじい勢いで話しだし、友人たちはみんな引いている。我が家だから、息子を真ん中にしてソファにギュウギュウ詰めになって見ていたのだが、友達に囲まれることなど少ない息子は、それだけでテンション激上がりしているのが分かる。正直目がトンでいるようにすら見える。

 

「先を言ったら見てない人がつまらないでしょ」と言っても息子は止まらない。あまりに言うと、その場で癇癪が起きるので途中で諦めた。友達の前で癇癪を起こさせたくない。が、ネタバレが止まらない息子の姿を見ているのもなかなかに辛く、私は部屋から出た。30分後、案の定「イカゲーム」を見る会は中止され、息子たちは外に出て行った。息子はサッカーや鬼ごっこでうまく遊べないから心配だったが、考えても何も解決しないので、心を無にして仕事をしようと思ったけど、できなかった。

 

16時ごろ、また友達5人を引き連れて帰宅。今度は居間でゲームが始まる。でもコントローラーが3台しかないため、同じ遊びができない。息子は相変わらず、自分の好きな遊びしかできない。みんなと一緒には遊べない。ゲームで遊べない子は退屈そうに恐竜のおもちゃで遊び始めた。「あの子の遊び方を見守るのは心臓への負荷が高い」と具合が悪そうに妻が言っていた。

 

この日の夜は、息子のことでストレスがたまっているであろう私を武 正晴監督が呼び出してくれて、たらふく肉を食わせてくれた。

 

久しぶりに会ったこともあり、5時間以上もベラベラとしゃべりまくって、だいぶ気が楽になった。先輩が後輩を飲みに誘ってはいけないという世の中になりつつあるが、悩んだ時に呼び出してくれる先輩がいるというのは幸せなことだとも思う。

 

11月14日(日曜日)

うえだ城下町映画祭で「喜劇愛妻物語」を上映してもらえるので、この日も妻とトーク。本来ならば1泊してゆっくりしたいところだが、息子の情緒が絶好調に不安定なので、日帰りにした。

 

上田劇場は築百年以上の趣のある劇場で今年の2月にもトークイベントで来ていた。そのときに映画を見てくれた城下町映画祭のスタッフの方が、今回呼んでくださったのだ。先週の小豆島同様に、この日も夫婦漫才がちょっとばかりウケて、我々夫婦としては非常に楽しいトークだった。

 

イベント後、無言館に立ち寄り、戦死した画学生たちの絵を見ていると、息子から電話。預けていた保育園の友達宅で、その友達とトラブルになり「帰りたい」とのこと。こうなるともう帰らせるしかない。「家にいても退屈だぞ」と言ってもそのスイッチが入ると息子は聞けない。1時間後、小学校のママ友から妻にLINEがくる。息子がサツマイモを持って訪ねてきたから、うちで遊ばせとくね! とのこと。きっと息子なりに、何かを考えてサツマイモを持って訪ねて行ったのだろう。そのバカな姿を想像すると、夫婦で鼻の奥がツンとしてしまう。優しい子ではあるのだ。

 

そんな息子の姿に夫婦でちょっぴり感動して長野から帰宅したというのに、大惨事になる。

 

娘と息子がストーブやヒーターを入れて、部屋中に菓子などを食べ散らかしてアニメを見ていたことに、鼻の奥をツンとさせていたことを妻がすぐに忘れて激怒。それに娘がキレ返した。アニメを見ているときにうるさくされると癇癪を起こす息子が案の定、激怒し始め、なぜか私のせいにしてくる。「やっぱり父ちゃんがいるとアニメが見れない! 父ちゃんのせいだ! 出て行け!」が始まり、妻と娘のケンカにいらいらしていた私は「うるさい!」と怒鳴ってテレビを消した。すると息子はさらに激怒。その瞬間に娘が妻に投げつけた硬くて分厚いダイエットスリッパが私の側頭部に命中。

 

「イテーッ!!!!!」という私の大声に家族が静まり返り、娘が「……ごめん」と謝った。大爆発寸前だったが、ここで私がグッと我慢すればこのカオスもおさまるかもしれないとうつむいて耐えた。が、次の瞬間、息子が「ほーら、罰があたった。早く出てけ!」と言ったのでプツッときてしまった。

 

「ほんとにいいのか! 父ちゃんいなくなっていいのか! 父ちゃんほんとに出て行くぞ! 何日いなくなればいいんだ!」と大人げなく怒鳴り散らすと「いなくなれ! 早くいなくなれ! 4日は帰ってくるな!」と息子が言い、私は妻に「子どもにこんなこと言わせていいのか!」と詰め寄ると、妻はフンと鼻で笑い「この子が言葉通り受け取るの、分かってて言ってんでしょ。どうせ『やっぱり出て行かないで』とか言われたかっただけでしょうが。この子に試すような質問するほうが悪い。すぐに頭に血がのぼって大声を出すあんたが悪いよ」と言うので、私は出て行った。というか2階に行った。その夜は息子への接し方を間違った後悔でまったく眠れなかった。

 

 

※妻より

我が家のケンカネタはもう飽き飽きですよね。怒鳴り散らして夫が出て行った後、息子は物凄く落ち着いて、ストンと寝ました。どういう心理状況にあるのか全然分かりません。

 

上田劇場は本当に歴史ある建物で、とっても素敵でした。来場者の皆様、スタッフの皆様、ありがとうございました!

 

無言館、凄かったです。言葉にならない気持ちが押し寄せて、呼吸が苦しくなりました。そこへ息子の電話です。情緒不安定になりそうです。新幹線まであまり時間がなかったのですが、朝から飲まず食わずだったので、旬の新蕎麦を食べようと蕎麦屋さんを何店か探しましたが、軒並み営業終了でした。駆け込みダッシュで入った店は駅横の「からあげセンター」。夫は唐揚げとラーメン完食……凄いボリュームで残りをお土産に持って帰りましたが、余りの部屋の散らかりぶりにブチンときてしまった私は娘を怒鳴りつけそのまま夫の書いているようなカオスに突入。唐揚げのことは頭から吹き飛びました。私は上田駅キオスクで買ったカップ酒の真澄を飲んでふて寝

11月15日(月曜日)

朝、あまり眠れぬまま2階から妻にLINE「俺のこと、子どもたち心配してた? 俺、帰って大丈夫そう?」と聞く。それに対し妻から「登校時に『父ちゃんを絶対にこの家に入れないで!』と念押ししてたくらいだから、中途半端に帰ってこないほうがいいかも。あの子が4日と言ったら絶対に聞かないから4日は耐えた方がよい。自分が短気出して子どもと同じ土俵に降りて、『出てく!』って啖呵切ったんだからナメられることすんな」とのこと。息子への態度を一晩中後悔していた私としては凹むLINEだ。息子にバレぬよう朝からコソコソと家を出た。

 

今日は来年撮る予定の映画の打ち合わせがあり、その後にプロデューサーにご馳走になった。息子のことで思わず弱音など吐いてしまったが、吐きながら、なんだか懐かしい気持ちでもあった。それは、かつて失恋したときに友人に慰めてもらっていような気持ちだ。息子に嫌われるのは恋人を失う感覚と似ている。

 

妻が言うには、息子がここまで私を嫌悪してしまったのは、私が野球の朝練などを無理にさせたことや「朝練ができないならゲーム取り上げ! アニメ禁止!」を連発したのが原因だろうと言う。息子が野球チームに入ってから、週に3日ほど学校に行く前にキャッチボールをしていたのだが、確かに息子はキャッチボールをするまでは「嫌だ嫌だ」とぐずる。だが、公園に行ってしまえば気持ちよくキャッチボールをして、気分良く学校に行っているように見えた。だから無理に連れ出してしまったのだが、息子の特性がそこまでとは理解できていなかった。息子から嫌われたのは悲しいが、発達障害を持った子を育てた経験などあるわけがないから、仕方がないことではある。でもやっぱり落ち込む。

 

だが、先日の武 正晴監督といい、本日のプロデューサー(武監督と一緒に「百円の恋」を作った佐藤 現さんだ)といい、この年になって弱音を吐ける相手がいるのはうれしいことだ。

 

11月16日(火曜日)

俳優さんたちとワークショップ。今回、面白い俳優さんに多く出会えた。本来なら、その後に飲みにでも行きたいし、店は営業もしているのだから行ける状況ではあるのだが、今日はワークショップ後に息子の通う小学校に行って、担任の先生と校長先生と私と妻とで息子についての話し合いなのだ。

 

息子が自閉症スペクトラムであるという診断書を持って行くと、担任の先生も校長も、「え、そうだったの!?」という感じになった。今まで何度も説明してきていると思ったが、診断書一発のほうが通じるのだな。その上でこちらからの要望(合理的配慮のことや支援の話)は色々と出したが、すぐには対応が難しいようだ。それを受け入れてもらうには学校内だけでなく、教育委員会も含めていくつかの会議をへねばならないようだ。困っているのは今なのだが……。

 

11月17日(水曜日)

午前中から息子のことで妻と長時間話す。お互い感情的になってしまう。今日は高校前のランチなし。高校授業中に息子から妻に電話。「4日たったから父ちゃん、帰ってきてもいいよと父ちゃんに伝えて」とのこと。高校授業後、息子の習い事のお迎えに行き、3日ぶりに息子の顔を見る。撮影などで3週間くらい見なかったこともあるが、今回は会うのにやや緊張した。息子も緊張したのかほとんど私の顔を見ず、ぎこちない時間だけが流れた。もう何があっても息子を怒鳴りつけることはやめようと心に誓いながら、その自信はまったくない。

 

11月19日(金曜日)

明日から始まる周南映画祭で「百円の恋」が上映されるので、1日早く山口県に行き、両親と落ち合って飯を食った。映画祭実行委員長の大橋さんに予約していただいたフグ屋さんがめちゃくちゃ美味しかったのだが、私は延々と両親に息子の悩みをぶつけていた。両親も困っただろうが、40歳まで無職だった私のような子を持って、考えてみれば両親はかなり心配だったかもしれない。

 

途中、大橋さんも顔を出してくださり、私の両親を安心させるようなことも言っていただき、楽しい食事となった。

 

11月21日(日曜日)

今日は「百円の恋」の上映がある。「百円の恋」は周南映画祭が立ち上げた松田優作賞というシナリオの賞をもらったことで何とか映画化にこぎつけられたから、周南映画祭から生まれた作品だ。

 

松田優作賞を受賞したのは2012年の暮れに行われた第4回周南映画祭だった。

 

そのころ、私は映画業界から足を洗っており、百円ショップでのアルバイトやスーパーで早朝品出ししたりしながらの専業主夫生活が4年目に入っていた。

 

「百円の恋」のシナリオが松田優作賞の最終審査に残り、結果は映画祭の最終日に発表されるとのことで、私を含めて最終審査に残った3人が映画祭に招待された。

 

「もうこれが映画業界との本当の最後の別れになるかもしれないから、初日から行っといでよ」と、そのころは優しかった妻が送り出してくれた。

 

2日目、宿の風呂で、審査員の丸山昇一さんをお見掛けし、そっと丸山さんの背中に祈った。だが、こういう賞というのは受賞者には前もって連絡があるのが常なので、正直ダメだろうなと思っていた。でも、心のどこかに諦めきれぬものはあった。

 

最終日、審査に残った3人が壇上に呼ばれたときの緊張感は昨日のように覚えている。ダメだと思いながらも、ここまで来たらどうしても欲しいという気持ちになっていた。ダメだったとき、俺はどうなってしまうのだろうかと怖かった。ここまで来ての落選という結果に心が耐えきれるだろうかと怖かった。

 

受賞者として名前が呼ばれたときは、それまでの人生で最もうれしかった瞬間だった。妻に電話をすると、電話の向こうで悲鳴をあげて号泣し始めた。5歳の娘の「パパ、取ったの!?」と事を理解しているような声もはっきりと覚えている。きっと妻が話していたのだろう。生まれたばかりの息子の雄叫びも聞こえた。

 

映画化された「百円の恋」は、松田優作賞をもらったときのうれしさと同じくらいのうれしさを次々と運んできてくれた。私にとっては文字通り起死回生の作品だ。だから見返すこともほとんどない。通過点にしなければという思いがあるからだ。でも、今回は発祥の地であるし、上映後に武監督や佐藤プロデューサーとも話すので、見返した。

 

久しぶりに見たら思わず涙が滲んでしまった。必死になって生きているヒロインがスクリーンの中から「お前、ちゃんと生きてるのか」と問いただしてくるようだった。一緒に観ていた武  正晴監督や佐藤 現プロデューサーも同じような感想を持ったようだ。そのことがまたうれしかった。

 

帰りの新幹線で妻よりLINE。今日は週に1回の児童ダンス演劇教室で、電車とバスを乗り継ぎ、会場まで行ったのだが、エレベーターでフロア階まで行くと、顔が真っ青になり、一歩も動けなくなったとの事。先生や友達がエレベーターまで迎えに来てくれて「一緒に行こう!」と言ってくれたが、ボロボロ涙を流しながら「帰る! 帰る!」を連呼し、結局帰ってきた、とのこと。

 

「もうどうしていいか分からない、息子も自分自身をコントロールできなくなって困り果てている。いろんなことがキャパオーバーになってしまったようだ」と言う。妻と息子の帰宅の電車バスの暗い様子が目に浮かび、また気分が落ち込んだ。

 

11月22日(月曜日)

息子、日曜の展覧会の振替休日で学校は休み。友達と遊びたいとうるさいが、もちろん誰とも約束などしていない。妻がママ友に連絡を取り、ママ友の子が遊びにきてくれる。なのに息子はずっと自分の好きなゲームをひとりでやり続けている。遊びに来てくれた子は仕方がないからユーチューブを見ている。途中、何度か息子に「ふたりでできる遊びをやれ」と声をかけたが、ゲームから離れられず、声をかけるのも諦めた。

 

来てくれた子が帰るとき、息子は「あー、楽しかった! ○○(友人の名前)も楽しかったか?」と上から目線で声をかけていた。悲しくなった。

 

11月26日(金曜日)

今日は息子が新たに通う予定の療育の体験。今回は公的支援の空きがひとつも見つからず、企業による療育だ。一人ひとりじっくりと見てくれる教室を選んだ。

 

息子と先生がどんなことをしているのかを、別室からモニターで見ることもできたのだが、やはりほとんど会話は成立していない。相手の話をほぼ聞いていなくて、自分の思いだけを一方的に話し続け、ときおり先生が「今、どんな気持ちだった?」と質問すると「普通」とだけ答える。これは家でもそうでほとんど何を聞いても「普通」としか言わない。

 

息子が終わると今度は我々夫婦と先生の面談。息子さんは極度に不安感が強いようですねと言われる。先生のおっしゃる通りで、最近の息子は初めてのことが異様に苦手だ。初めてのマンガが読めない、初めての映画が見られない、初めて食べる物も絶対に無理、行ったところのないところに行くのも無理。

 

実は今日も、駅まで行ったところで、息子が突然、「行かない! 行きたくない! 絶対に嫌だ!」と座り込んでしまったため、ほとんどひっぺがすようにして連れて来たのだった。その強い不安感から、ひっきりなしにしゃべりつづけてしまうのかもしれないとのこと。息子のようなASⅮでも、ひとりでいるのが平気というのか、むしろひとりでマンガや本を読んでいたいというようなタイプの子もいて、それならばどれほど良かったろうと思うのだが、息子は強烈に友達を欲している。欲しているのにうまく付き合えない。結果傷つき、苦しみ、失敗を重ねて自己肯定感も低くなり、できないことがどんどん増えてしまう。

 

療育ですべてが解決するわけではないし、期待しすぎてはいけないと思うが、息子が楽になる場がひとつでも増えるならやはり通わせたいと思う。だが正直値が張る。今日のところに通うのなら、その療育代は冗談抜きでアルバイトに出ねばならぬレベルだ。多くの面接に落ち、多くの履歴書を書くあの日々がまたやって来るのかと思うとかなり気が滅入る。

 

あー、それにしても2年生まで通っていた療育をやめさせるのが早すぎた。落ち着いてきていたし、あのころは息子も積極性があって、多くのことを「やってみたい、やってみたい」と言っていたから、こういうタイプはとにかく夢中になれるものを見つけてやらねばと多くの習い事をさせたあげく、療育に通う時間もなくなり(息子ももう辞めたいと言っており)療育をやめたのだ。

 

まったく浅はかだった。こういうときに「やっぱり続けといたほうが良かったんじゃないの? あなたがもうやめさせてもいいなんて言うからやめさせたけどさ」なんて妻に言うのは死んでもタブーである。逆にやめさせようと言っていたのが私だったら、今ごろものすごい勢い妻から批判されているだろう。

 

【妻の1枚】

 

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【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作「百円の恋」が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品「佐知とマユ」(第4回「市川森一脚本賞」受賞)「嘘八百」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「こどもしょくどう」など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が公開中。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『それでも俺は、妻としたい』(新潮社・刊)。

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