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フォーサイト連載『新・マネーの魔術史:未来篇』(2019年9月~2021年1月)を『CBDC 中央銀行デジタル通貨の衝撃』として11月に刊行した野口悠紀雄さんが、CBDCを巡る最新情勢と日本への危機感について語る。

「ゼロコスト」でなければ意味がない

 11月25日、『日本経済新聞』の1面に「デジタル通貨で企業決済」という記事が出ました。大手銀行やNTTグループなど74社・団体が参加する企業連合が、2022年後半にもデジタル通貨(「DCJPY」)を実用化すると発表した、というものです。

 この動きについては『CBDC 中央銀行デジタル通貨の衝撃』の中でも「3メガバンクやNTTグループなどが組んで、2022年にもデジタル通貨の共通基盤を実用化する」と触れています。

 今後構築される中央銀行デジタル通貨(CBDC)のシステムは、中央銀行と民間銀行による決済システムの二層構造になります。ですから今回報じられた試みは、その中間段階を形成するものになると思います。これが発展して日本のCBDCになっていくという可能性は十分にあると思います。

 しかし、この記事に書かれていることが、そのままCBDCに引き継がれるのだとしたら、たいへんな問題です。

 記事の中ではしきりに「低コスト」を謳っていますが、これでは困る。「ゼロコスト」でないといけない。

 記事には、「銀行間で送金する際のベース手数料は1件当たり62円」「LITA(編集部注:ブロックチェーン技術を搭載した送金プラットフォーム)は『10~20円を実現できる』という」とありますが、10円でもダメ。ゼロでないと意味がない。

「通貨」に手数料を払えますか?

 中国のアリペイやウィーチャットペイといった電子マネーが、ほとんどゼロに近い手数料を実現していることから見ても、近々デビューすると見られるデジタル人民元の手数料はゼロになる可能性は極めて高い。カンボジアで発行されているCBDC「バコン」も手数料は無料です。

 中央銀行のデジタル通貨なのですから、手数料はゼロでなければならない。紙幣を使う際に利用料は払っていないのですから当然です。デジタルになったとたんに手数料が発生すると言われて、だれが納得しますか? そんな通貨はだれも使いません。

 そもそもこの記事では、企業が支払う電力料金の決済をデジタル通貨に置き換えることからスタートさせる、とあるのですが、電力売買になぜ限定するのかがわからないですね。それでは通貨の役割を果たしません。

 通貨というのは、誰でもどこでも使えるから通貨なのです。最も通貨に求められるのはネットワーク効果です。

 ネットワーク効果というのは、いろいろな担い手が受け取ってくれるということであり、それによって、利用度や便利さが増すことです。誰もが受け取れる通貨でないと、通貨としての意味をなしません。

 もちろん、この記事だけで日本のCBDC政策を批判するのは早計です。

 記事だけでは日銀との関係を見出すことはできませんし、ここに記されたシステムが中間層の役割を果たすというのであれば、分からなくもない。

 ただ、今回の動きは、あくまでもテストとしては意味があるけれども、ネットワーク効果を発揮できていない、コストゼロとなっていないという2つの点では意味がないと思います。

FRB人事で読む「デジタルドル」の加速

 世界で最も注目されているのが、アメリカの「デジタルドル」です。

 アメリカは今年の夏にもCBDCに関するレポートを出すと言っていましたが、今に至るまで出ていません。

 これはFRB(米連邦準備制度理事会)内で賛成派と反対派が激しく対立していたからだと思われますが、11月にジェローム・パウエル議長の再任が発表され、ラエル・ブレイナード理事が次期副議長になりました。これでFRBのCBDC政策は加速するはずです。

 ブレイナード理事は強力なCBDC推進論者だからです。これは、今後の世界のCBDCの動きを見極めるにおいて、たいへん重要なニュースだと思います。

中国、「一帯一路」の通貨圏

 一方中国ですが、こちらの「デジタル人民元」は一歩も二歩もリードしている。いつ実用化になっても不思議ではない。

 当初は、来年の北京冬季オリンピックまでに導入すると言っていました。ここで、実用化したデジタル人民元を世界に大宣伝する目論見がありました。しかし新型コロナにより外国人の観客が来ないことになりました。

 その上、アメリカがオリンピックを外交的にボイコットすると言い出したこともあって、CBDC宣伝のチャンスとしてのオリンピックの意味は薄れてしまいました。その意味では、実用化が少し延びる可能性はありますが、技術的には、もういつ実用化されてもおかしくない状態です。

 それでは、実用化されたらどうなるか。

「デジタル人民元」に限らず、CBDCのシステムに国境はありません。 それを中国人民銀行(中央銀行)がどこまで認めるか――。これは分からない。

 ただ、「デジタル人民元」を積極的に使うことによって人民元の価値を高めようという考えがあるのは間違いなく、その舞台は、まずは「一帯一路」の地域になるでしょう。

 地域へのいろいろな援助と絡み合わせて、デジタル人民元を使わせていくということは十分考えられます。「一帯一路」を「デジタル人民元」の通貨圏にしていくのです。

資本流出が「デジタル人民元」最大の弱点

 しかし一方で、もし海外での利用を認めると、中国の富裕層が「デジタル人民元」を使って資産を海外に逃避させてしまうという恐れが出てきます。これは中国にとって非常に大きな問題です。

 特に現在の中国は、「共同富裕」という考えを打ち出して、いろいろな企業や富裕層に対し、(ほぼ強制的に)寄付を求める、という動きが出てきています。だから富裕層としては、資産を海外に移す必要性を非常に強く感じている。

 もし高額取引に「デジタル人民元」が使えて、海外に送金できるということになれば、それによって資本逃避が起こってしまう危険があるわけです。

 とはいえ、「デジタル人民元」は中国人民銀行の強い統制下にありますから、その目を搔い潜って高額取引することは至難の業です。中国当局としてみれば、むしろ監視しやすくなるのではないでしょうか。

 そう考えると、「デジタル人民元」が世界を牛耳るようになるか――というと、そう簡単にはならないというのが私の考えです。

「デジタル人民元」を「一帯一路」に普及させて人民元の価値を上げようとしても、それだけで世界の基軸通貨にはなり得ません。

 なぜなら、中国自体に信頼性がないからです。

 中国政府が、いつ、何をするかわからないという存在であり続ける以上、ある日突然、利用に制限が加わることも十分考えられるし、価値が下がることもあり得る。

 そういう意味では、人民元は信頼を得ていない。だからデジタル化しても基軸通貨になるのはありえないだろうというのが私の見方です。

「中国覇権」の落とし穴

 今年9月、中国は正式にTPP(環太平洋パートナーシップ)に、加入申請しました。加入することで貿易をさらに拡大させ、それに乗じてデジタル人民元も展開させるのでは……という議論もあります。しかし、これについても効果は希薄だと見ています。

 そもそも私は、自由貿易圏に対して人々は誤解を抱いていると思っています。

 TPPが「貿易の自由化」だ、と思っている人が多いのですが、そうではありません。むしろ貿易圏域外に対して貿易を阻害する。TPPによって貿易が増えるとは一概には言えない。

 中国についていえば、TPPは知的財産権などに対して、いろいろな制約を加えることになるでしょう。結果、中国は束縛されることになる。だから、単純にTPPに入るから貿易が拡大して人民元の利用が増えるということにはならないと思います。

 また仮に貿易が拡大するとしても、そこでデジタル人民元が使われるかどうかは、別の問題です。使われるためには人々が中国と人民元を信頼しなければなりません。

 デジタル人民元は基軸通貨にはなりえないと思います。

円が「デジタルドル」に飲み込まれる日

 結局のところ、基軸通貨はドルです。そのドルがCBDCの方向に大きく舵を切れば、影響は非常に大きい。中国とは比べ物にならないくらいの影響が、世界中に及びます。

 たとえば、ベネズエラです。目下、ハイパーインフレ下にあるベネズエラでは、この10月に100万分の1のデノミが行われたとはいえ、通貨ボリバルは、もはや紙切れ同然です。

 そんな国で、「デジタルドルが使えます」ということになったら、ベネズエラの人々は争って「デジタルドル」に換えて、自国通貨を使わなくなってしまう。そうなればベネズエラ政府は潰れてしまいます。

「デジタルドル」には、それほどの大きな効果があり得るのです。だからこそアメリカは慎重にならざるを得ない。

 これはベネズエラのような国に限った話ではありません。日本の円だってドルに吸収される可能性はあるのです。

 それは、現在の円安状態を見れば明らかです。

 円が非常に安くなっているにもかかわらず、日本の政策当局はそれに対して何もしていない。何もしないどころか、ガソリン価格が高くなったから補助金を出そうとか、信じられないような馬鹿げたことをしている。

日本の最大の弱点は「地方銀行」「手数料」

 こうした動きに対して、日銀は、自分から進んでデジタル円に進むつもりはないけれども、他の国がCBDCを進めているから研究する、と言っているわけで、「CBDCを導入する」という表明をしていないのは事実です。

 もちろん、日銀当局にまったく危機感がないとは思いませんが、日銀がいくら頑張ってシステムを構築したとしても、それだけでは何ともならない問題が日本にはある。

 それは「手数料」の問題です。

 冒頭で「手数料をゼロにすべきだ」と言いましたが、現在の日本においては、電子マネーの手数料が高いのです。従来の金融取引については、いわずもがなです。

 なぜ、このようなことが起こるのか。それは、日本の金融機関のほとんどが手数料で収益を上げているからです。

 手数料収入に依存した効率の悪い地方銀行がたくさんあるのは、日本特有の問題だと言っていいでしょう。さらに各地域には信用金庫があり信用組合があるわけで、それらがCBDCで全部潰れるかもしれないとなれば、導入に後ろ向きになるのも分かります。

 では、どうすればよいのか? 

「デジタル通貨」という巨大な嵐があらわれて、預金がなくなるかもしれない。もしかしたら円までもがなくなってしまう――そういう最悪の事態が想定される状況に、どう対処したらよいか? ということです。

 CBDCはそれくらい、世界の通貨システムを根底から変えてしまうもので、それゆえの「中央銀行デジタル通貨の衝撃」なのです。

 もちろん、それぞれの当事者にとってはどの問題を取り上げても大変なことは分かります。

 しかし、日本におけるCBDCの問題は、日銀が頑張って技術的システムを構築すればすぐに解決する、という話ではない。これは日本の社会が抱え持つシステムの問題なのです。

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野口悠紀雄

1940年東京生まれ。東京大学工学部卒業後、大蔵省入省。1972年エール大学Ph.D.(経済学博士号)取得。一橋大学教授、東京大学教授などを経て、現在、早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問、一橋大学名誉教授。専攻はファイナンス理論。1992年に『バブルの経済学』(日本経済新聞社)で吉野作造賞。ミリオンセラーとなった『「超」整理法』(中公新書)ほか『戦後日本経済史』(新潮社)、『数字は武器になる』(同)、『ブロックチェーン革命』(日本経済新聞社)、『マネーの魔術史』(新潮選書)、『AI時代の「超」発想法』(PHPビジネス新書)など著書多数。

11月に新刊『CBDC 中央銀行デジタル通貨の衝撃』(新潮社)を上梓。

公式ホームページ『野口悠紀雄Online』【http://www.noguchi.co.jp】

野口悠紀雄
1940年東京生まれ。東京大学工学部卒業後、大蔵省入省。1972年エール大学Ph.D.(経済学博士号)取得。一橋大学教授、東京大学教授などを経て、現在、早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問、一橋大学名誉教授。専攻はファイナンス理論。1992年に『バブルの経済学』(日本経済新聞社)で吉野作造賞。ミリオンセラーとなった『「超」整理法』(中公新書)ほか『戦後日本経済史』(新潮社)、『数字は武器になる』(同)、『ブロックチェーン革命』(日本経済新聞社)、『マネーの魔術史』(新潮選書)、『AI時代の「超」発想法』(PHPビジネス新書)など著書多数。公式ホームページ『野口悠紀雄Online』【http://www.noguchi.co.jp