もっと詳しく

人間、いつかは終わりを迎える。その究極が「死」だが、もうひとつ象徴的なのが「引退」だろう。それは会社員ならば定年かもしれないし、僕のようなフリーランスならば「もう仕事やーめた」と言ったときかもしれない。

 

「引退」の文字が取り上げられることが多いのが、プロ野球選手だ。特に名選手と呼ばれている選手が引退するときには、何かしらのドラマがあるものだ。

プロ野球選手の「最後の1年」

現役引退―プロ野球名選手「最後の1年」』(中溝康隆・著/新潮社・刊)は、プロ野球選手が引退する最後の1年にフォーカスを当てた書。名選手の場合、その全盛期の活躍に目が行きがちだが、意外と辞める年のことは記憶になかったりする。

 

長嶋茂雄、王 貞治、ランディ・バース、門田博允、村田兆治、原 辰徳などなど、往年の名選手の最後の1年について書かれている。全盛期と変わらぬ成績を残しながら、きれいに引退することを望んだ選手、ボロボロになるまで戦い抜いた選手、それぞれの引退にまつわるエピソードが綴られていて、興味深い。

 

かなり有名な選手ばかりなので、長年プロ野球ファンを営んでいる人たちにとっては知っている内容は多いものの、引退にまつわる苦悩やいきさつなどが改めて知ることができておもしろい。

 

名プロ野球選手の心に残る名言

本書には、各選手が発した言葉が数多く掲載されている。そのなかでも印象深いものをいくつか紹介しよう。たとえば、読売ジャイアンツの主軸として活躍したヤッターマン中畑 清。現在も野球解説者として活躍している彼だが、とても義理人情に厚い一面がある。当時のチームメイト、定岡正二とかなり山奥の過疎の村にサイン会に出かけた。定岡は、都内のデパートでやればいいじゃないかと不満をもらしたとき、中畑はこう言う。

 

「うん、サダ。ここはな、オレがまだ一軍で活躍していないころ、最初に呼んでくれたところなんだ。だから、ここだけは大切にしたいんだ」

(『現役引退―プロ野球名選手「最後の1年」』より引用)

 

昭和の浪花節を感じさせるいい話だ。

 

また、マサカリ投法で有名なロッテオリオンズのエース、村田兆治は、引退する年に26試合登板し10勝8敗2セーブ、防御率4.51という成績。、あと2、3年くらいは現役でできそうな感じだが、40歳のこの年にスパッと引退する。引退直後に出版された『剛球直言』(小学館・刊)でこのように真情を吐露しているという。

 

「余力を残してマウンドを去ることがエースの美学だ」

(『現役引退―プロ野球名選手「最後の1年」』より引用)

 

50歳を過ぎても130kmを超える投球をしている村田兆治らしい発言だ。

 

未完の大器、長嶋一茂

本書に登場している選手の中で、話題性だけ高くてあまり活躍できなかった選手も含まれている。それが長嶋一茂。そう、ミスタープロ野球長嶋茂雄の息子だ。

 

その素質は父親譲りと言われていたが、結局花開くことなく未完の大器のまま現役を引退。パニック障害やそれに伴う過呼吸症候群の疑いがあったりと、かなり精神的にやられていたそうだが、個人的には父親譲りのエピソードがおもしろい。

 

中学生の時に、父親が読売ジャイアンツの監督を辞任(事実上の解任)。一茂は「オヤジの敵討ちは自分でやる」と決め、「リベンジ」という文字を鉛筆やカバン、廊下の壁にカッターナイフで彫ったという。また、プロ入り2年目には、遠征のときにスリッパのまま車を運転してきたそうで、このあたりは、まさに長嶋2世といった感じだ。

 

やっぱり惜しまれつつ引退したい

プロ野球選手は、なるのも狭き門だが、多くのファンに惜しまれつつ引退する選手はそれこそほんの一握りだろう。この本を読んでから、もし自分がフリーライターを辞めると宣言したら、みんなが惜しんでくれるだろうかと考えてしまう。

 

世間にはあまり知られてないフリーライターだが、できれば仕事関係の人たちには「もったいないね」と言われるくらいにはなっておきたいものだ。

 

【書籍紹介】

現役引退―プロ野球名選手「最後の1年」

著者:中溝康隆
発行:新潮社

華やかに有終の美を飾るか、静かに去り行くかーー。長嶋、王、江川、掛布、原、落合、古田、桑田、清原など、24人のラストイヤーをプレイバック。意外と知られていない最晩年の雄姿。その去り際に、熱いドラマが宿る!

楽天koboで詳しく見る
楽天ブックスで詳しく見る
Amazonで詳しく見る