『大家さんと僕』(矢部太郎・著/新潮社・刊)は、『小説新潮』誌上で連載されていた漫画です。連載終了後、単行本として出版されました。著者は矢部太郎。お笑いコンビ、カラテカのボケを担当する芸人です。彼は『大家さんと僕』の後、『大家さんと僕 これから』や『ぼくのお父さん』などの話題作を次々と発表しましたので、ご存じの方も多いでしょう。
二世帯住宅の間借り人
数年前、『大家さんと僕』を読み、なんて面白いのだろうと思いました。そのときは、ただ笑っていただけだったのですが、今年になって、何度も読み返したくなりました。コロナ禍のなか、ステイホームを続けているせいでしょうか。心に沁みてきて、読まずにはいられなかったのです。
著者は、出演したテレビ番組が原因で、住んでいたマンションを引っ越すことになります。急いで住むところを探すため、不動産屋さんに行くと、一つの物件を紹介してくれました。それは、新宿区のはずれにある木造2階建ての一軒家でした。一階に大家さんが住んでいます。最近では珍しいかもしれませんが、二世帯住宅になっていて、お風呂やトイレも別々です。出入りは外にある階段を利用する完全な別居形式で、アパートの部屋と同じです。
ただし、不動産屋さんは、一つ頼み事があると言いました。何だろうと思ったら、それは、「大家さん、かなりのご高齢なので、何かあったらよろしくお願いします」とのことでした。「そう言われても」と戸惑いながらも、部屋を借りた著者は、早速、大家さんに挨拶に行きます。彼女はとても小柄で、そして、上品な方でした。間借り人となった著者に向かい、「ごきげんよう」と、挨拶してくれます。それは著者が初めて出会った「ごきんようと挨拶する方」でした。
86歳の大家さんと39歳の僕の生活はこうして始まります。同じ屋根の下に親切な大家さんがいる、これだけなら、ほんわかとした幸福な毎日に思えます。けれども、年があまりにも離れていますし、住んでいる世界も違う二人です。最初のうちは驚きの連続でした。大家さんはとても親切で、雨が降ると洗濯物が濡れますよと知らせてくれます。夜、帰宅すると、「おかえりなさい」と電話があります。時には、外出中に雨が降ってきたからと、洗濯物を取り込み部屋の中にたたんでおいたりします。それまで気ままな一人暮らしを楽しんでいただけに、それはちょっと窮屈な好意だったかもしれません。おまけに、大家さんの行動は矢部にとっては驚きの連続で、異次元の世界と向かい合うような毎日となりました。
終戦が基準?
はじめは、いちいちびっくりしていた矢部でしたが、次第に、大家さんに惹かれていきます。老いても、きちんとした生活を崩さないその生活ぶりを見事だと感じます。加えて、上品な物腰の裏に、とてつもない孤独や老いていくことへの恐怖があることも知りました。彼女は甥ごさんたちに支えられながら静かに暮らしていましたが、同時にやがて来る死への不安と戦っていたのです。それは矢部が今まで気づかずにいたことばかりで、新鮮な驚きとなりました。
おまけに、大家さんの話は芸人の矢部を驚愕させるほど面白いのです。たとえば、好きな人の話になると、大家さんは「マッカーサー元帥なんか素敵だったわ」などとおっしゃいます。すべての基本が第二次世界大戦なのです。私は実家の母を思い出しました。母の憧れの人も「マッカサー元帥」で、口癖は「戦争がなければね」でした。母は既に亡くなりましたが、生きていたら大家さんのように「終戦を基準とする人生」を今も貫いていたような気がしてなりません。
矢部は芸人としての本能ゆえか、大家さんを笑わせようと努力します。自分が仕事で馬鹿にされたことも隠さず、何とか笑ってもらおうとします。ところが、すべてがすべってしまい、失敗ばかりです。大家さんの笑いのツボがどこにあるのか、さっぱりわからないのです。そんな矢部の気持ちも知らず、大家さんはテレビのバラエティ番組で、矢部がプロレスラーに放り投げられたりするのを見てひどく心を痛め、「ひどい人よね」と憤慨し、「元気出して」とお米をプレゼントしてくれます。二人のこうしたやりとりは、バラエティより面白く、笑いを取るとはどういうことか考えこんでしまうほどです。わき上がってくるような不思議なおかしさ、それが『大家さんと僕』の一番の魅力です。
大家さんと僕、その絶妙な距離感
『大家さんと僕』は全編を通じて面白いのですが、私が一番、笑ったのは、大家さんの家に灯りが灯らなかったときのエピソードです。いつもは明るい家が真っ暗で、夕刊も郵便受けにささったまま……。心配で眠れないまま朝を迎えた矢部は、不動産屋さんに連絡します。中で倒れていたらどうしようと思ったのです。どうしても確認しなくてはと、いざ、突入となったとき、背後から大家さんの声が響きます。「ごきげんよう。どうされました?」と。何でも友達が上京して、楽しくて話がはずみ、そのままホテルに泊まってしまったというのです。矢部にとって「それは僕が知る限り最高齢の朝帰りでした」となります。思わず、アハハハと笑ってしまうでしょう?
そうかと思うと、胸がじーんとして言葉も出ないときもあります。矢部の出演する舞台を大家さんが観に来てくれたときのことです。矢部はまたもうまくいかなかったのですが、大家さんは、「若いころに観た『マクベス』を思い起こしました」という感想を残して帰っていきます。一緒に舞台に出ていた芸人たちは、矢部と同様、『マクベス』を観たことはなかったのにもかかわらず、なんだか誇らしい気持ちになったというのです。大家さんならではの感想だったのではないでしょうか。
笑ったり、涙ぐみそうになったりと、『大家さんと僕』は私の感情を揺らし続けました。そして、どこかでほっとしている自分を発見するのです。老いや死や、うまくいかない仕事などすべてを受け入れて生きていかなくてはと思ったりもしました。コロナ禍のもと、何度も読み返していると、ステイホームを幸福な毎日にしなければと思うようになります。ステイホームを「家にいなければいけない縛り」と考えずに、「家での生活を楽しむためのチャンス」と考えたいと思います。
大家さんは芸人に向いていないのではと悩む矢部に、自信を与え、居場所を作ってくれました。矢部は矢部で、大家さんの庭掃除を手伝ったり、ご飯を一緒に食べたりしながら、本来は家主である大家さんに、快適な居場所を作り、寂しさを払拭させる元気を与えたのではないでしょうか。
ステイホームで家にいても、自分の居場所がないと感じる人も多いでしょう。そんなとき『大家さんと僕』を読むことによって、孤独を癒やし、自分の居場所を作ることができるような気がします。大家さんと矢部太郎は、性別も職業も生き方もまったく異なります。もちろん、血のつながりもありません。そんな二人でもお互いを思いやり、適度な距離を保つことによって、快適な居場所を確保していたのです。コロナ禍による不自由な状態がいつまで続くのか、私にはわかりません。けれども、『大家さんと僕』を読んだことで、私も自分の居場所を確保し、新しい幸福を創り出したいと改めて思うようになりました。
【書籍紹介】
大家さんと僕
著者:矢部太郎
発行:新潮社
一風変わった大家さんとの“二人暮らし”の日々は、ほっこり度100%! 1階には大家のおばあさん、2階にはトホホな芸人の僕。挨拶は「ごきげんよう」、好きなタイプはマッカーサー元帥(渋い!)、牛丼もハンバーガーも食べたことがなく、僕を俳優と勘違いしている……。一緒に旅行するほど仲良くなった大家さんとの“二人暮らし”がずっと続けばいい、そう思っていたーー。泣き笑い、奇跡の実話漫画。
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