ドストエフスキーは「危機の時代」の作家
2021年はドストエフスキー生誕200年にあたります。200年前、1821年といえば日本では文政4年、まだ江戸時代ですから、ずいぶん大昔に生まれた作家だなという感じがしますね。ちなみに夏目漱石が1867年生まれ、森鴎外が62年の生まれになります。
そんな昔に生まれたドストエフスキーの小説は、いまだに世界中の人びとに読まれているし、きっと今から100年後にも変わらず読まれているに違いありません。時代を超えたその魅力は一体どこにあるのでしょうか? そして100年前でもなく、また100年後でもなく、現代の日本に生きる私たちはどんな意識をもって読めばいいのでしょうか? そんなことも一緒に考えてみたいと思います。
振り返ってみると、ドストエフスキーはこれまでも危機の時代によく読まれてきた作家です。新型コロナウイルスの流行によって世界的に格差が拡大しつづけている今もまた、まさに読まれるべきタイミングと言っていい。ドストエフスキーは、資本主義が誕生し急速に発展していく時代の只中を生きた作家なので、作品の背景にはつねに格差や社会の歪みと、そこであがきながらも必死で闘う人間が描かれており、われわれが共感する点が多いのです。
現在の日本で格差を描く力がある代表的な作家は雨宮処凛さんでしょう。雨宮さんは、犬猿の仲である共産党と公明党、両方のメディアに登場しつつ、れいわ新選組代表の山本太郎さんの側近も務めている。そんな幅広さが彼女にあるのは、イデオロギーに捕らわれず、つねに目の前にある貧困問題を第一に考えているからで、その徹底した現場主義を私は尊敬しています。
その雨宮さんが『コロナ禍、貧困の記録』(かもがわ出版)という本を出しました。コロナ禍が襲った2020年春から年末までの貧困当事者の声とそれに応じた活動をまとめたものです。たとえば、1度目の緊急事態宣言中の20年4月に開かれた生活電話相談には、派遣先のデパートが休業して収入がなくなった人、コロナウイルスに感染して入院し、退院しても雇い止めになって最後の給与は手取り7万円しかなかったという人、自宅の家賃も経営する店舗の家賃も払えない人、そして「コロナに感染してもしなくても死ぬしかない」というところまで追い詰められた人たちの切迫した声が寄せられました。
さらに同年8月の相談会で、雨宮さんが「コロナが生活を直撃する直前までと比較して、どれほど月収が下がったか」と質問したところ、自営業者はマイナス11万4000円、派遣社員がマイナス9万2000円、フリーランスがマイナス6万円となっていることがわかった。派遣社員の月収を非正規の平均年収の179万円として計算すると、月収にして約15万円。そこから9万2000円マイナスすると、残りはわずか5万8000円。東京では家賃を払うことすら難しい額です。では「地方に移住すれば」と言っても、地縁・血縁のない人が地方で仕事を見つけるのは至難の業だし、運よく仕事が見つかっても引っ越す資金がない。八方塞がりの状況で路上生活へ移行するか、自ら死を選択する人も増えているわけです。
また雨宮さんは、貧困当事者としてメディアに登場した人物が、「ほんとに貧困なのか」と責められる〈貧困バッシング〉、そして「お前より大変な人がいるのだから、現状をありがたく思え」といった形で貧困当事者を黙らせる〈犠牲の累進性〉が深刻化していることも指摘しています。
一方で私は、新型コロナのおかげで、株で1000億円儲けた人や、「これで土地やビルの値段が下がる、うちの会社の発展にはまたとないチャンスだ」と大喜びする企業経営者を知っています。現に今、都内の高級レストランの個室は予約でいっぱいですよ。コロナで社会が流動化し、特に東京で貧富の格差が拡大していることが皮膚感覚でヒリヒリと感じられます。
緊急事態宣言をめぐって、「優先すべきは命か、経済活動か」という議論がありますね。もちろん命の方が大事に決まっているけれど、そもそも私たちが生きる資本主義社会は「労働力を商品化する」、すなわち命とカネを交換するシステムで成り立っています。システムのどこかに手を加えないと格差は止まりませんが、実際にどうすれば有効なのか、これはかなりの難問です。
こういう難しい時代にドストエフスキーを読むのは、大きな意義があります。作品の中にひそむ〈生き抜くためのヒント〉を一緒に探していきましょう。
ドストエフスキーの予言性
作家が長編小説を書くのは複数のテーマを作品に込めたい時です。逆に言えば、どのテーマで読むかによって、複数の読み取り方が可能になります。
たとえば21世紀の今この瞬間に『罪と罰』を読むのならば、私はエピローグが現在とアナロジカル(類比的)に読めて面白いと思う。一例として、金貸しの老女を殺した主人公のラスコーリニコフがシベリアの監獄で熱にうかされて見た夢のシーンを読んでみましょう。
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彼は病気の間にこんな夢を見たのである。全世界が、アジアの奥地からヨーロッパにひろがっていくある恐ろしい、見たことも聞いたこともないような疫病の犠牲になる運命になった。ごく少数のある選ばれた人々を除いては、全部死ななければならなかった。それは人体にとりつく微生物で、新しい旋毛虫のようなものだった。
(『罪と罰』工藤精一郎訳、下巻573ページ)
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アジアから全世界に新しい疫病が蔓延していく。どこかで聞いたような話でしょ?
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しかもこれらの微生物は知恵と意志を与えられた魔性だった。これにとりつかれた人々は、たちまち凶暴な狂人になった。しかも感染すると、かつて人々が一度も決して抱いたことがないほどの強烈な自信をもって、自分は聡明で、自分の信念は正しいと思いこむようになるのである。自分の判決、自分の理論、自分の道徳上の信念、自分の信仰を、これほど絶対だと信じた人々は、かつてなかった。
(『罪と罰』下巻573ページ)
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中国でも、アメリカでも、ロシアでも、人びとはどんどん偏狭になり、「自分たちこそが正しい」と絶対の自信を持っている。ステイホームを余儀なくされて考えが悪い方向へ煮詰まって、異なる人や文化を認めたくない心理的構造に陥っているからです。
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全村、全都市、全民族が感染して、狂人になった。すべての人々が不安におののき、互いに相手が理解できず、一人一人が自分だけが真理を知っていると考えて、他の人々を見ては苦しみ、自分の胸を殴りつけ、手をもみしだきながら泣いた。誰をどう裁いていいのか、わからなかったし、何を悪とし、何を善とするか、意見が一致しなかった。誰を有罪とし、誰を無罪とするか、わからなかった。人々はつまらないうらみで互いに殺し合った。
(『罪と罰』下巻573ページ)
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まるで現在の世界みたいでしょう? 引用はここまでにしますが、まだスペイン風邪のようなグローバルなパンデミックが出現していない時代に、ドストエフスキーはこういうイメージを見事に描いていたんだからすごいよね。
数年前の日本の小説だと、村田沙耶香さんの『地球星人』(新潮文庫)も、現在のコロナ禍で人びとが生き延びるために煮詰まっていく姿をアナロジカルに鋭く提示しているように読めます。このアナロジーという手法を使って思考を深めていくことは、私の専門である神学の世界でよく使います。ドストエフスキーを読む際にもアナロジーは有効な方法です。
佐藤優(さとう・まさる)
1960(昭和35)年生れ。1985年、同志社大学大学院神学研究科修了の後、外務省入省。在英日本国大使館、ロシア連邦日本国大使館などを経て、1995(平成7)年から外務本省国際情報局分析第一課に勤務。2002年5月、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕。2005年2月執行猶予付き有罪判決を受け2013年執行猶予期間を満了。2005年『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて―』で毎日出版文化賞特別賞を受賞した。主な著書に『自壊する帝国』(新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞)、『日米開戦の真実―大川周明著「米英東亜侵略史」を読み解く―』『獄中記』『国家の謀略』『インテリジェンス人間論』『交渉術』『いま生きる「資本論」』『いま生きる階級論』『高畠素之の亡霊』『新世紀「コロナ後」を生き抜く』『生き抜くためのドストエフスキー入門』などがある。