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逃した魚のライブを見てきました。新代田フィーバー、クレイマンクレイマンとの共同企画。ハグレヤギ、或る感覚も出演した豪華なイベント。お世辞抜きに盟友逃した魚のライブは圧巻だった。くやしいね。むかつくから細かな感想は書きません。いいライブ見るとくやしい。

夏の終わりに必ず聞きたいのはいつもマーシーの「夏のぬけがら」。昔MD(笑)に入れたのを毎年大事に聴いてたけど、最近CDをやっと購入。

歳をとると、夏を懐かしむ営みはリアリティを失う。社会人に夏休みは無い。懐かしむとしたら、それは「ある夏の風景」か「束の間のバケーション」になるわけで、退屈を弄びながら、いつか来る宿題の提出に追われるだとか…夏休みってワードが孕む普遍的な意味合いからすりゃちょいと俯瞰してみたものになると思っていた。
だけど一夏の甘い恋じゃないけど、盆の帰省だとか、旅先で出会うだけの人ってのはやはり夏の風物詩か。そう思うと、夏を懐かしむってのはつまりのところ「夏の終わりのセンチメンタルな気分」って意味合いじゃいつまでも味わえるもんなんすね。また歳をとる恐怖がちょっと薄れた。

木の根の人達は達者かな?あの野外ライブを思う感覚が、今後とも続いていく人生であれ。