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2019年、東京・池袋で起きた暴走事故で、飯塚幸三被告(90)に、禁錮5年の実刑判決が言い渡された。
妻と娘を亡くした松永拓也さん(35)は、判決に「涙が出た」と心境を語った。
2日午後3時45分。
亡き妻と娘の遺影とともに、会見に臨んだ松永拓也さん。
松永拓也さん(35)「やっぱり、涙が出てきてしまったんですけど、判決が出た瞬間に。これで命が戻ってくるなら、どんなにいいことかなって、やっぱり思ったら、ちょっとむなしさが出てきてしまったんですけど、ただやっぱり、この判決は、わたしたち遺族がこの先、前を向いて、少しでも前を向いて生きていけるきっかけになり得るなと。ここまで本当に多くの人に支えられながら、なんとか生きようとした。2人の命とわたし自身向き合いながら、苦悩と葛藤の中、生きてきた2年4カ月だった。でも、それに向けての1つの区切りには、間違いなく、きょうはなった」
2019年4月、東京・豊島区の東池袋で、暴走する車にはねられ、松永真菜さん(当時31)と娘の莉子ちゃん(当時3)が犠牲となった池袋暴走事故。
車を運転していたのは、当時87歳で、旧通産省元幹部の飯塚幸三被告。
母子2人を死亡させたほか、9人に重軽傷を負わせた。
事故があった横断歩道には、慰霊碑が設置されている。
2日はあいにくの雨だが、花を手向けに来る人や、手を合わせに来る人の姿が見られる。
2020年10月から行われた裁判では、飯塚被告側は一貫して、車に何らかの異常があり暴走したとして、無罪を主張。
検察側は、ブレーキと間違えてアクセルを踏み続けたことに疑いの余地はないとして、過失を問われる車の事故としては、最も長い禁錮7年を求刑した。
そして、2日に迎えた判決の日。
東京地裁前には、22席の傍聴席を求め、563人が列を作った。
大学生(19)「日本中が注目する裁判だと思うので、どのような判決になるのか」
飯塚被告が事故後に逮捕されなかったことや、高齢ドライバーの免許返納が広がるなど、社会に大きな影響を与えたこの事故。
午後1時、飯塚被告を乗せた車が、東京地裁に入った。
午後1時半ごろ、松永さんら遺族も東京地裁へ。
法廷では、検察側の席に座り、判決を待った。
飯塚被告は、車いすで入廷し、座ったまま証言台へ。
額には、ばんそうこうが貼られ、大きなあざが確認できる。
そして、午後2時。
禁錮5年の判決が言い渡された。
東京地裁は、ブレーキと間違ってアクセルペダルを踏み込み、加速したとして、飯塚被告の過失を認定。
亡くなった2人について、「将来の希望や夢を絶たれ、その無念は察するに余りある」と述べ、禁錮5年の実刑判決を言い渡した。
判決を、うつむき加減で、じっと聞いていた飯塚被告。
一方、目を伏せたまま、耳を傾けていた松永さんは、しばらくして一瞬天を仰ぎ、再び目を伏せた。
松永拓也さん「裁判官が最後にですね、尊い命がなくなり、松永真菜と松永莉子の尊い命が奪われて、その2人が感じた恐怖心などは想像しがたいと。残された遺族や、もちろんほかの被害者の方々の苦悩というのは察するに余りあると、そういうお気持ちを、配慮の言葉を述べていただいたこと。そこからわたしは、ちょっと涙が出てしまったんですけれども」
事故から2年4カ月。
8月31日、判決という節目を前に、事故現場で加藤綾子キャスターに胸の内を語った松永さん。
松永さん「(当時と比べて、心境の変化は?)当時は悲しみと苦しみしかなかったんですけれど、やれることはすべてやってきて、少しずつ、少しながらでも、前を向いて生きてこようとした2年4カ月だったな」
1年に及んだ裁判。
その詳細を、ずっとノートに書き記していた。
被害者参加制度を利用し、飯塚被告に直接質問をした6月の裁判後の会見では、「わたしは加害者を心から軽蔑します。いつもは冷静であろうと心がけていますが、もう、きょうは言います。わたしは彼に刑務所に入ってほしい」と悔しさをにじませ、語気を強めた場面もあった。
判決のあと、裁判長が飯塚被告に対し、「認定に納得できるならば、被害者・遺族に過失を認め、真摯(しんし)に謝っていただきたい」と告げると、飯塚被告は表情を変えずに、小さくうなずいた。
松永さん「今回のことで、もし納得できるんだったら、罪を認めたうえで心からの謝罪をしてほしい。納得できないなら、これだけの証拠と客観的な判決を聞いても、なお納得できないなら、権利ですから控訴すればいいとは思います。ただ、心情的には、あくまで心情的には、争いを続けることはわたしはしたくない。なぜなら、やっぱり争いを続けている、人と争いを続けるわたしというのは、2人が愛してくれたわたしではないから」
90歳の飯塚被告は控訴するのか。
その期限は2週間。