村岡選手は脊髄の病気の影響で4歳の時に車いす生活になり、中学生からチェアスキーを始めて、2014年に冬のソチパラリンピックのアルペンスキーに出場しました。
前回のピョンチャンパラリンピックでは金を含む5つのメダルを獲得し、「冬の女王」と呼ばれています。
おととしからはスキーを続けながら、車いすの陸上を行う二刀流に挑戦し、その年に100メートルで日本記録を更新するなど順調に力を伸ばしてきました。
そして、初めての夏の大会となる東京パラリンピックで1日夜、女子100メートル車いすのクラスの決勝に出場しました。村岡選手は得意のスタートで飛び出して先頭グループを走りますが、中盤以降、スピードを伸ばしきれず、16秒71のタイムで6位となりました。
16秒67の日本記録の自己ベストには届きませんでしたが、目標としていた決勝の舞台で世界の強豪と激しく競う力走を見せました。
金メダルは中国の周召倩選手でタイムは15秒90でした。