最近は自分仕事でちょっと忙しくしている間に、アラもう9月!
昨日は雪組の『壬生義士伝 / Music Revolution!』のライブビューイングを見てまいりました。
雑感は「ダ~イシ~~~(^^#)」てな感じですが、全体的には演者の頑張りに泣かされたというか。
ショーは皆さんが言ってらした通り、「体感3分」でした。
で。
やっぱり雪組は今 最高潮―――――っ!!!!!
てところに落ち着きました。
ショーについては、生で観ていないのであまり語れない。
てなわけで、お芝居『壬生義士伝』をとおして、組子さんたちに触れてみたいと思います。
今回はお隣県の、しかも週1~2は行く盛岡のお話であり、実際名前は出てこなかったけれど、秋田征伐では私の住んでいるズバリ!なところも絡んでくるので、地元の歴史にかかわっている身としては、いろいろと考える下地があって、より泣けた気がします。
だいもんの吉村貫一郎はとにかく南部そのもの。
岩手南部藩は度重なる凶作によって、足軽どころか百姓も欠落(かけおち=脱藩)してた。
隣県である私たちの藩は、飢饉(けがぢ)でも南部に比べれば比較的米は実ったそうで、峠を越えて流入してくる者も多かったと聞いています。近所にも「盛岡ルーツ」の人はいまだにいっぱいいるし。
一揆もたびたび起きていて、百姓が沿岸でこっそり魚を取ったり、南部鉄の鉱山に送られたりしていて、そこでもまた『MESSIAH』(花組)の松倉(ちなつちゃんが演じた悪代官)みたいなのもいたりして、それはそれはひどい暮らしだったらしい。人を焼く煙が絶えなかったとも聞くし。
だからなのかもしれないけど、南部藩の人々は生きることのためには我慢強い。厳しく長い冬を乗り越えて、美しく盛る春を尊ぶ。厳しさを耐えれば、春が来る。
米が作りにくい、岩手山が降らせた火山の硬い石や土壌を割って美しい桜が咲く。
その南部の桜そのものが、だいもん演じる吉村貫一郎でした。
「生きるために戦う」が本当に体現されていた。
愛したしづと、大事な子供たちの元に戻るために。南部に戻るために。
最期の時でさえ、自分は死ぬとは思ってなかったんじゃないかな?
きっと南部のみんなのもとに戻ると思ってたんだよ。
映画やドラマではその悲壮さが際立っていたような気がするのだけど、だいもんの吉村さんはひたすらあたたかかった。
クズ野郎がよく似合うだいもんですが(激!!ほめてる)、だいもんの本当の部分のやさしさ、情愛、無邪気さ、純粋さが結晶となった役どころだったと思います。
ファントムのエリックにもそれはあったのだろうけど、あちらがファンタジーなら今回は地に足の着いた物語。
同じものを表現するにしても、これだけの引き出しをもって役に臨み、表現して魅せるだいもんは、本当にうまい役者さんだなあ、と思ったことでした。
『くらわんか』のときの貧ちゃんの時もその芝居のうまさにびっくりしたけど、こうして時を経て深さや余裕をもって役を魅せるだいもんに本当に感動しています。
特筆したいのは、斎藤一の襲撃場面での「穏やかさの内に秘めた殺気」。
そのバランスがすごいの。
一太刀目の斬り付けに驚き、次の斬りかかりから三太刀四太刀と交わすうちに「殺せないけど殺されない」とまどいや、自分の剣への自信が垣間見えて、面白かった。表情だけでなく、下駄をそっと外す足さばきとか構え方とか。
語らずとも気配をみせられる、ってのがやっぱり一朝一夕ではできないことなので、その所作が身に着くまでの研究あればこそのタカラジェンヌだよなあ、と思ったりもしました。
昨日のことではありますが、今になってじわりじわりと「だいもんの吉村、良かったなあ~~~」ってなってる私です。
だからこそ心に残っていくのだろうな、って。
昨日は見ていて、クシャッと笑う笑顔に、研3くらいのころの『落陽のパレルモ』で少年兵を演じていた笑顔を思い出しました。
純朴な少年は、13年たった今も純朴さを失わずにいてくれました。
まあやちゃんのしづ。
しづもまた石を割って咲く桜。
想い激しく流れる様子は盛岡市内を流れる中津川というより、奥羽の山脈で育まれた清く強い雫石川。
実は雫石川も、隠れた桜の名所なのです。咲くのは5月なんだけど(笑)。
彼女もまた、信じて信じて待っていたんだろうな。
嘉一郎の激しさは、貫一郎よりもしづに由来する気がします。
対してみよも、わがままなようで、芯が強く想いの強い女性。
根底に流れるものはしづと同じ。
まあやちゃんも、本当に芝居上手だわ!
蹴っ飛ばしてもズレないだろう歌唱力と、的確なせりふ回しは彼女の天性のものもあるだろうけど、努力の結晶でもあるのだろうな~。
少ない出番で本当にしっかりと印象を残し、涙を絞られました。
カチャの松本良順先生。
……ダーイシよ。あれだけおいしいカチャを使って、これか……。
ううう、うまいよカチャ。存在感と安定感と高貴さ。せりふと声の妙。
めっちゃほめて言うけど、「穏やかなシメ(紫苑ゆう)さん」になりえる人。
内に秘めたエネルギーは、芝居からもショーからもにじみ出ます。
いつまでジプシーにしておく気なのでしょう。。。劇団。。。
どっかでトップにしてください!たのむ!
咲ちゃんの次郎右衛門
組を背負っていく貫禄がぐんぐんついてきている。あそこまで心の機微の移り変わりを魅せつつ、しかもどっしりと落ち着いて見える。
滑舌が流れなくなってきていて、せりふの意味も伝わる。
台本のおかげで(^^#)唐突に見える大阪差配になってからのシーンも、咲ちゃんが次郎右衛門を生き切ってくれたおかげで説得力があった。
場を支配する成長ぶりは、公演ごとに増してくる。
咲ちゃん、あなたが大羽根をしょってくる日がちょっと楽しみになってきました!
凪翔さま
あなたの土方さまは最高です!!!!!!×10000000000000000
初演の『星影の人』で土方を演じたターコさんのような、艶やかさと大きさ。
この場面にいる!という安心感や絶対的な「美」をもって、舞台に存在する人。
ああ、カッコイイ・・・・・(ええ、ただのきもちわるいファンです)
いろんな人が演じてきた中で、私にとってはターコさんの土方を超える人が現れなかったのだけど(だいもん…)、凪翔さまはちょっと超えたかも。
彼女が生き切った土方さんは、彼女にしかできない土方さんでした。
あーさ。
最近ウワサのあーさ(笑)。
そんなウワついたものに惑わされず、やっぱり彼女も確かに宝塚の生徒さんだ!と、思いを強くいたしました。
斎藤一はおいしい役、というかこの芝居のキーマン。
吉村の対比であり、ある意味吉村の影。そしてもうひとりの吉村。
警部補になったというのは創造ではなかったかと思うのですが、見た目はそのままでも、微妙に年を経てからの芝居を変えていて、この人もまた役者だなあ、と。
ふと見せる表情が少年で、救いようがなくて、でも何とかしてあげたくなる…あまり最近では使わない言葉ではありますが「母性をくすぐる」タイプ。
(今はこの言葉を使うと賛否両論どころか非難されるかも?)
ヤンさんの持っていた少年性に似ているなあ、と時々思うのですよ。
表情で見せる芝居がうまい。滑舌は言わずもがな。独特な声も高低取り混ぜて使っていて綺麗だし。
次はどんな役どころで来るだろう?これまた楽しみ!
あ、やっぱり凪翔さまとあーさの並びは「美の暴力」だと断言いたします!!!!!!
ひとこちゃんの沖田総司。
に、似合う!似合いすぎる!!!!!!
さわやかで、怜悧な刃で、無邪気だけどちょっと邪気(笑)。
花組での化学反応が、今からとっても楽しみです。
花組で『ファントム』組回りしてるんだよね。
ひとこちゃんの花組ポーズも待っているでござる!
てなかんじで、主要キャストだけでごめんちゃい。
それにしても、久々にめっちゃ泣きました。
ホントは救いようのない物語かもしれないけど、宝塚のオブラートは最強だし、何より演じる人たちが真摯に取り組むからウソがない。今目の前に起きていることがリアルなのです。
あれだけの物語を毎日演じることは相当のパワーが要ったと思う。
雪組の皆さん。
素晴らしい時間をありがとうございました!
お疲れさまでした。
全国ツアーは行けないけれど、アメリカに舞台を移しての人間物語をまた楽しみにしてますよ~!