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「ジェフ・マルダーの音楽は、さながらアメリカン・ルーツ・ミュージックの見本市だ」

渋谷系がサンプリングの時代の煽りの中で、様々なネタをぶち込んだ、過剰な情報量の音楽を生んだ時代があった。レコードからフレーズを引用するってのは、大元を辿ればクールハークの編み出したブレイクビーツの延長なわけだが、そこで求められる感性ってのは「DJ的なセンス」ってなわけで、先行するのは良し悪しと好みよりも「センス」なところがあるはずで。同時にそのセンスってのは模倣に至らないために「いかにネタをいじめ抜くか」に帰結する部分もあるはず。

ジェフ・マルダーのアメリカン・ルーツ・ミュージックに対する見識の深さは或る意味でその「DJ的な感性」の走り的でもありながら、全く違うものになっている。まず第一に洒脱なこの人自体の「独創性」によるものであることは間違いない。そもそも前妻のマリア・マルダーとの名義でリリースした2枚からも、ブルースフィーリングの理解の上に立ちながら、端っから「黒さ」を放棄してみせるところがあった。ポールバターフィールドブルースバンドが「白人でもここまで黒くできる」ってな凄みを提示していたとしたら、全く違う「白人の鳴らすブルース」を提示していたと思う。

しかし、この人の何が凄いかってのは深い「見識」の部分より、「愛情」からくるものだと思うわけです。それはアメリカン・ルーツ・ミュージックに対するありったけの愛情と敬意。歴史を総ざらいするようでありながら、しっかりと自分のものにしているってこと。

自作自演であることが至上とされがちなのがロックだから、まず「選曲の妙技」とでも言いたくなるようなスワンプ系の感性は馴染まないかもしれない。しかし渋谷系がうけるなら、そういったセンスでこの選曲とアレンジの妙技を見るのが「今っぽい」聞き方な気もする。

1.リヴィング・イン・ザ・サンライト
1930年のヒット映画「ザ・ビック・ポンド」から。心地良くスウィングしたオーケストラサウンド。ノスタルジックなディズニーの映画のような、華やかなオープニングだが、70年代ロックシーンでモダンジャズやブルースってなところじゃなく「ビックバンド」的なとこからの引用は見ない。もうここでこの人の「見識」に基づくセンス、「愛情」が露わになる。

2.ジー・ベイビー
ここでスタンダード。ナットキングコールやビリーホリデイでお馴染み。やっばエイモス・ギャレットのギターソロでしょう!名演。

3.99 1/2
コーネルデュプリー、バーナードパーディ、ビリーリッチで本格的なバックを気楽なボーカルが泳ぐ。ゴスペルをマルダー流ブルースで。

4.アイ・ウォント・トゥ・ビー・ア・セイラー
本作のハイライト。完璧。これぞマルダーの凄み。「バグダッドの盗賊」挿入歌にウォルター・デイヴィスのブルースを力業でつなげる。DJ的な「いじめ抜く」センスが見識と愛情のもとでなされる。バーバンクサウンドがブルースに馴染まないとしてヴァンダイクパークスと喧嘩したライクーダーも尻込みするであろうし、菊地成孔が言うとこのバークリーメソッドとブルースの間の矛盾を易々と超える。

ここまでですでにアメリカン・ルーツ・ミュージックがポップス的、ロック的アプローチで食い散らかされて、消化され、整然とまとめられてる。欲を言えばツェッペリンのように、隙たっぷりに品もなく、ワイルドに並べ立てる雑食性も欲しいとこだが(笑)完璧すぎてぐうの音も出ない。ジャッキーウィルソンをレゲエアレンジに仕立てたナンバーでジョン・ケイル(!!)を呼んだり、ヒューイ・ピアノ・スミスのナンバーをジェイムス・ブッカー迎えてきっちりとニューオーリンズでやったりといった越境ぶりも、計算されつくしてまとめられてる。

唯一の隙はラストのボビー・チャールズのナンバー、「テネシー・ブルース」か。娘と前妻のマリア・マルダーまで参加して、家族の食卓をフェアポートコンベイションのリチャードトンプソンが彩る。ブリティッシュトラッドも好きな身としては嬉しい参加だが、脈絡はないし、幼い娘に歌わせてデレデレして(笑)こんな人間的な部分も、ちゃんとね。

その後の不遇の時代が信じられない名盤。タワレコの再発シリーズは偉大だね。エイモス・ギャレットとのユニットもお薦め。何気にライブ盤は新宿ロフトでのものだし。

これ、75年かよ…