もっと詳しく

いやはや、アドラー心理学を知ったら頭がすっきりした

「人間はどう生きたらハッピーになれるのか?
…という問いの答えが遂に明らかになったのだ

「アドラー心理学入門」と「嫌われる勇気」を書いた
岸見一郎氏には本当に感謝している。

我輩がアドラー心理学に触れて再認識したのは以下の3つだ。

・人生はシンプル
・人生は自分次第でどうにでもなる
・人間は自由に自分を変えられる

そして目から鱗が落ちた新事実は…

・人間の悩みは100%対人関係が絡んでいる
・トラウマや精神疾患の100%は個人の言い訳
・人間の感情は100%自ら生み出している

…実に驚きじゃないか

では、岸見一郎氏の著作を元に、アドラー心理学の一部を解説しよう。

まず、人間の悩みの100%が
対人関係に関係してるという事について。
何と100%だよ!!
説明は省くけれど、
これが間違いではない事は考えれば判るはずだ。
従って、この宇宙に自分1人しか存在しなかったら、
そもそも苦悩など生まれない。
「1人だと孤独に苦しむだろう?」と思うだろうけど、
寂しさとは、自分が他人と離れている事
=仲間に入れない事に対する苦しみをいう訳で、
初めから他人が存在しない状態だと生まれない感情なのだ。
寂しさだけじゃなく、「強さ」や「優しさ」や
「豊かさ」なども、
他人がいないと存在し得ない価値じゃないか?
つまり、貧乏とか金欠なんていう苦しみも
他人と相対する事で生まれる。
だからこそ、悩みの100%は対人関係が絡んでるというのだ。
人間は他人と向き合う事で歓びと苦しみを感じる。
我々は互いに影響し合って生きてる訳で、
それこそ人間が集団で存在する意義であり意味なんだ。
アドラーは、
悩みの多くは他人と自分を比べる事で生まれるという。
誰かと比べて自分が上だと思うと優越感を抱き、
下だと思うと劣等感を抱いて情けなくなるだろう
実際、この「人と比べる」、「競争する」、「上下関係を作る」
…などが様々な不幸の始まりになっているのは明らかだ。

とはいえ、劣等感そのものが悪いとはいいきれない。
自らが成長するための糧として大きな武器になるからである。
そうじゃなくて、
自分が劣ってる理由を何かのせいにして言い訳をして、
何もしないで問題から逃げるのが悪いんだ。
「僕の成績が悪いのは、
家が貧乏で十分な教育を受けられないからだ」とか
「私に彼氏が出来ないのは肥ってるから」
…なんて言い訳をいう人はいるよね?
家が貧乏だと
塾にも行けずに家庭教師も雇えず不利なのは確かだけど、
結局は自らが努力しないのが最たる原因だ。
ならば、なんで努力しないのか?
もし、努力をしても成績が上がらなかったら傷つくからだ。
努力しない人は、
「上手くいかないのは自分がダメ人間だから」と思いたくない。
だから「やれば出来るんだけど」
…という可能性を保って自尊心を維持しようとする。
でも、中には「自分はダメ人間だから」という人もいるよね?
それは、「ダメ」だと開き直ってしまえば
努力する必要がなくて楽だからだ。

このように、
言い訳をして努力せずに現状を維持して安心しようとする訳ね。
「肥ってるから彼氏が出来ない」というのも、
現状を維持して安心したいための言い訳に過ぎない。
痩せてもモテなかったら自尊心が激しく傷つくからね。
だから、課題から逃げて安心するために肥満体を維持して
「私は悪くない」と思い込んで自分を護る。
結局、彼女が努力しないのは自らが望んでるからで、
曖昧な「ぬるま湯」に浸かった状態を本人が許容しているからだ。
そもそも問題なのは努力しても上手くいかない事じゃなく、
努力しようとしない事である。
また、上手くいかないからじゃなくて、
やる前からダメだと思い込むのがダメなんだ。
このように、
何かに責任転化して言い訳をして本質から目を逸らし、
自分が変わる事を恐れて現状維持する人は多い。
これは、課題からの逃げであり、
まさに自らの人生に嘘をついてるも同じ。

結局、劣等感というのは
単なる個人の妄想に過ぎないと解っただろう?
実はトラウマも同じ。
これは、過去の忌まわしい記憶が
全ての原因だと思い込む責任逃れでしかない。
過ぎ去った嵐に、
人を吹き飛ばす力なんてないからね。
自分を苦しめてるのは過去ではなく、
勝手に過去を思い出してクヨクヨしてる自分自身なんだから。
以上のように
劣等感=他人との対比)や
トラウマ=過去、に囚われて苦しむのは実に愚かしいが、
いってしまえば個人の勝手だからまだマシだ。
でも、中には周りに迷惑を掛ける者もいるから厄介だね
周囲に、「威張る」、「自慢する」、
「説教する」、「やたらに人を批難する」、
「グレて悪さをする」などの人はいないか
はたまた、「ブランド品を集める」、「年下に上から目線」、
「学歴や地位で人を見下す」とか?
実は、このような人ほど劣等感が強くて自分に自信がない。
劣等感を克服するために努力するのではなく、
背伸びして自分を高く見せたり
他人を見下したり攻撃したりして気持を楽にしたいのだ。
これをアドラーは優越感コンプレックスといい、
人間を不幸にする1つの要因だとしている。

コンプレックスとは、
自ら招いた感情に振り回された状態を指す。
あなたは、自分の感情が、
外にある何らかの原因によって動かされてると信じ、
この「何らか」に責任を求めようしてないか?
例えば「僕が怒ってるのは、あいつが怒らせるからだ」とか
「私が悲しいのは苛められたから」とかね。
でもアドラーは、
人間の感情は外からの刺激に対する反応ではなく、
何か目的を達成するために自ら作ってるに過ぎない、という。
これが、大事なところ
怒るのは、「相手を屈服させるため」、
悲しむのは「相手(周囲)に同情をさせるため」なんだ。
(ストレス解消もある)
人間は、怒ったりとか泣いたりとか、
感情を利用して他人を思い通りにしようとする。
これは人間に生まれつき具わった習性で、
自己保存欲を根底に持った本能である。
本人としては何かが原因で怒ったり泣いたりしてると思っても、
実は無意識に自ら目的を持って発動してるのだ。
つまり、感情は
100%自分自身の思い込みによって左右されており、
自らの意識さえ整えれば変動する事はない。
だから、周囲や他人を原因にしても何の解決にならない訳だね。
そもそも悩みの100%は自分で作ってるんだから、
自分自身で簡単に消せるのだ。
まさに「全ては自分次第でどうにでもなる」、という真実
これを知ってこそ、初めて人間は真の大人になれる。
周囲や他人と自分を比べて劣等感を抱くのは、
自立からほど遠い依存であり、つまり甘えてるって事だ。
トラウマなど過去に囚われて努力しないのも単なる甘え。
中には劣等感やトラウマを
他人に同情してもらって安心しようとする甘ったれもいる

自分で自分を認められないから
人に頼って認めてもらわないと気が済まない人とかね。
何で、我々は
このような依存的発想に陥ってしまうんだろうか

アドラー心理学研究の第一人者である岸見一郎は、
社会が上下関係で運営されているのが大きく影響しているいう。
つまり資本主義社会での競争によって、
人間を勝ち負けで上下に分けて生じる格差が元凶って事だ。
アドラーは全ての人間は、
如何なる能力や実績に関わらず「平等で対等」だという。
これは釈迦や福沢諭吉(小沢一郎も?)と同じ主張であり、
我輩のポリシーでもある。
そもそも我々が生きてる人間世界は平坦であり、
人を上下に分けるなど不可能だし無意味だ。
我々は縦社会に生きてると思い込んでいるが、
その実態は完全なる横世界。

人々は上を目指して崖を登るのではなく、
ただ前を目指して一歩ずつ進んでいる。
先に進んでるからエライとか、
送れて来るから劣ってるという訳じゃなく、
ただ各々が自分の価値観を持って自分のペースで
自由に日々を過ごしながら前に進んでおり、
これこそが世界の実態であり真の姿なんだ。
しかし、我々は縦社会という嘘の世界で生きていると錯覚して
周囲と自分を比べて勝手に足掻いている
本来、我々が存在している世界にとって、
競争や勝ち負けや上下関係などは無用の幻想でしかない。
競争ではなく、共栄と共創(共産)でこそ
世界は上手く機能する。
個人が自由に遣りたい事を遣り、その経験から学び、
また必要ならば助け合い、
時には共に1つの課題に向かいながら、
この世界を共同で形創っているのだ。
岸見一郎はいう。
「社会が不都合と理不尽に溢れてるのは、
全体としては未だ前に進めてないから」。
「競争で誰かが勝利して上に行っても、
負けた者が下に行ってしまうので、全体ではプラマイ〇」。
「平等と対等の横社会になってこそ全体が前に進める」。
全くその通りだと思わないかい
強欲な一部のエゴイストが権力を持ってる分、
清貧な庶民がいくら品行方正であっても相殺されるから、
いつまで経っても世界は進歩しないのだ

いやはや、話が大きくなってしまった。
次回は、アドラー心理をより具体的に紐解いてみたいと思う