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 「こんな仰々しいことをやれと言った覚えはない。日本の戦争でもないのに」。2001年9月、官房長官福田康夫は新聞に大きく載った写真に驚いた。神奈川県の横須賀を拠点とする米空母の出港に、海上自衛隊護衛艦など複数の艦船が伴走していた。

 密接な関係にある他国が攻撃されたら、ともに戦う――。ハイジャックされた民間機が米国の中枢を襲った9月11日の同時多発テロを機に、日本はこの集団的自衛権の世界へ、ぎりぎりまで近づいていた。

 米国の中枢を襲った同時多発テロとその後の「テロとの戦い」は、日本の外交と安全保障政策にも大きな変化をもたらしました。キーパーソンらの証言を交え、この20年を振り返ります。

 空母出港の2日前、首相の小泉純一郎は「世界人類への攻撃だ。同盟国である米国に最大限協力したい」と7項目の対応方針を発表。福田はまとめ役だったが、そこに自衛艦伴走は含まれていなかった。

 米空母出港時の危険を避けた…

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