AKOGAREを始める時のコンセプトは「RCサクセションとボガンボスのいいとこどり」みたいに考えてたけど、見事に曲がっていきました。しかし最も影響受けたバンドの1つであることは間違いない。
アメリカ縦断、横断的な音楽にちょっとした難しさが付きまとう印象はライクーダー辺りの功罪な気もします。先のジェフマルダーなんかも小難しい、学術的な印象すらある。ボガンボスがファーストでついたこの「汎アメリカ」な雰囲気って盲点だったし、当時の日本人でこの辺行き着くのってやはり見識の賜物な部分があるけど…まず根底にダンスミュージックとしてニューオーリンズの音楽を位置付けてるから難しい印象一切無し。「快楽」を根底に据えて最高のポップスに仕立てる。タジマハールで言ったら「ミュージック・ファ・ヤ」が学術的側面をぬぐい切れない感があれど「快楽」において素晴らしい作品に仕上がっているのを、さらにポップスの地平に落とし込んでいるような。ボガンボスがニューオーリンズ、タジマハールがカリプソって違いはありますが。
これ以前にこのような音楽性に挑んだ代表的なものって、細野晴臣の「トロピカル・ダンディ」とか「はらいそ」、久保田真琴さんの諸作になるんでしょうが…ほんとの意味で入口となるには、前者は学術的過ぎて、後者は渋すぎるかもしれない。僕は大好きなんですが(笑)不良的アティチュード、不良っつっても京都大学のインテリなんですが、それの発端が「パンク」である以上無邪気にとれる感じが担うところはでかい。
カヴァーアルバムになるとやっぱちょいと学術的なんだけど、このファーストがあるからコステロの「コジャックバラエティ」、ザ・バンドの「ムーンドックマチネー」みたいな「入口」的機能を担う。要は骨格がしっかりしていて、ルーツにありったけの敬意が示された、最高のポップスなんです!
でも、例えばミックジャガーが「ポップ以外の全てが詰まっている」といった「メインストリートのならず者」が、図らずもストーンズの天然なメロディーの屈託の無さでポップに聞こえるのとは違って、計算されつくしているポップさ。わざわざボ・ディドリーとのやり取りのくだりで本人達のポップに仕上げる意志が書かれているし。
セッションミュージシャンとしてやりくりしながら、ロックやサイケとの折り合いのつけかたに苦心したドクタージョンが「ガンボ」に至る背景にはザ・バンドの「ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク」があったでしょう。それは「なんだ、これでいいんだ」ってとこによるだろうし、ドクタージョンの「ガンボ」がニューオーリンズ音楽の見本市という意味で学術的でありながらポップだったのは、まんまのニューオーリンズ音楽の持つ魅力でしょう。しかしボガンボスのファーストは計算づくでアップデートされてるし、しかもその職人的作業がすごく日本的。
これが気に入ったら、「ガンボ」いって、プロフェッサーロングヘアーの遺作いけばディープにニューオーリンズのとりこになるはず。
サンディニスタに付きまとう、クラッシュの音楽的エゴは、あの作品を人によって駄作にも傑作にもする(僕には後者)。だけどこの作品にはさして文句のつけようがないでしょう。もちろんちょいちょいいちゃもん付けたかったりするけど、傑作は傑作なわけで。
大好きな名盤。