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ギリシャは憧れの国です。一生に一度でいいから旅してみたいと願う人は多いでしょう。まして、コロナのため、開催が危ぶまれた東京2020が開催されている今、近代オリンピック発祥の地に注目しないではいられません。

 

開会式の聖火リレーで、最終ランナーとして登場した大坂なおみさんが、ギリシャで採火された聖火を灯したシーンは胸に迫るものでした。ところが、よく考えてみると、私はギリシャのことをあまり知らないのではないかと不安になり、刊行されたばかりの『ギリシャ正教と聖山アトス』(パウエル中西裕一・著/幻冬舎・刊)を読みたくなりました。ギリシャを正しく理解するために必要な本だと思ったからです。

ギリシャ人の神々

予想した以上に、『ギリシャ正教と聖山アトス』は深い内容の本でした。これまでの私は、ギリシャといえば、まずはオリンピック発祥の地と考え、次に多くの偉大な哲学者を輩出した国ととらえてきました。ソクラテス、プラトン、アリストテレスなど、優れた哲学者を輩出した奇跡の場所として、ただなんとなく憧れていたのです。そのくせ、哲学書は難しく、細かく読んではいませんでした。自分では、ギリシャをそれなりに理解していると考えていたのですが、『ギリシャ正教と聖山アトス』を読むと、それは思い上がりだと知りました。ギリシャ人がキリスト教徒であることさえ把握していなかったのです。

 

ギリシャの神々と聞いて、私がまず思い浮かべるのは、ゼウス、アポロン、アフロデーテなど、ギリシャ神話に登場する多くの魅惑的な神々でした。けれども、それは古代ギリシャの神々であり、現在のギリシャの人びとはキリスト教徒として生活しているというのです。

 

日本においては、ギリシャ文化が古典古代に偏ったかたちで紹介されてきたからでしょう。近代国家としてのギリシャの独立は1830年です。それまで様々な国家の支配を受け続けるなか、多くのギリシャ人達の絆は、ギリシャ文字を用いギリシャ語を話すこと、そしてギリシャ正教徒であることだったのです。

(『ギリシャ正教と聖山アトス』より抜粋)

 

そ、そうだったのですね。わかったつもりでいながら、実はまったくわかっていなかった国、それがギリシャであることに、私は初めて気づいたのです。

 

著者・パウエル中西裕一について

『ギリシャ正教と聖山アトス』の著者・パウエル中西裕一は、日本ハリストス正教会教団に属する東京復活大聖堂教会の司祭です。

 

「日本ハリストス正教会? 何、それ?」と思う方もいるかもしれません。けれども、東京は神田にあるニコライ堂と聞けば「あぁ、あの立派な教会ね」と、合点がいくのではないでしょうか。

 

著者は生まれながらにギリシャ正教徒だったわけではありません。若いころからギリシャ正教の司祭として生きていたわけでもありません。彼は哲学者・プラトンが描くソクラテスの問答法にひかれて哲学を専攻し、古典ギリシャ語や西洋古代哲学を学び、その後は大学で古代ギリシャ哲学を教えていました。

 

そんな著者に転機が訪れたのは、海外で研究する機会を与えられ、古代哲学研究の源となるギリシャで学ぼうと決めたときでした。結果的にその選択が、著者の興味を哲学からギリシャ正教へ方向転換させます。ホームステイ先のギリシャ人家庭で出された硬く平たいパンが、ギリシャ正教と出会うきっかけとなったのです。それはキリスト教徒の断食の習慣に深く関わるものでした。

 

帰国後も、著者のギリシャ正教への興味は深まる一方でした。そして、とうとう日本で洗礼を受け、かねてより興味があった正教徒の聖地アトスを訪れる決心をします。この訪問が著者を再び、大きく変えます。聖山アトスに魅せられ、足繁く通うようになったのです。以来、20年もの間、巡礼をくり返し、修道士達と生活を共にしてきました。世俗と隔絶された環境で祈りの毎日を送っているうち、著者の思いはさらに深まっていきます。そして、アトスで司祭となり、2012年からは修道小屋で司祭として聖体礼儀(筆者註:カトリックでいう「ミサ」にあたる)を行うまでになります。ちなみに日本人としては初めての司祭叙階となります。

 

聖山アトス

著者を変えた聖山アトスとは、どういう場所なのでしょうか? 世界遺産に認定されたこともあり、今や世界的にその存在を知られています。けれども、その内情はというとあまりに神秘的で、一般の人が訪れることも簡単には許されない聖なる場所となっています。

 

聖山アトスは、ギリシャ国内にあって、同国の憲法によって外交以外の自治を認められている女人禁制の地域であり、963年にこの地に修道院が創設されて以来、現在も神に生涯を献げる人達が住まう楽園、天国のモデルです。

(『ギリシャ正教と聖山アトス』より抜粋)

 

アトスは、祈りの生活を貫くと決心した男性修道士だけが籍を置くことを許されます。巡礼が許されるのも男性に限られ、徹底した女人禁制を貫いています。いまどきそんなところがあるのかと驚きますが、聖山アトスは生神女(神を産んだ母)マリアを統治者としているため、家畜でさえ雄しか入山を許されないのです。例外として、猫だけが、ネズミを退治するのに必要だという理由で、繁殖を許されています。あまりの徹底ぶりに唖然としますが、この世には「なぜ?」と問うたところで、その答えが返ってこないところがあるのでしょう。著者の聖山アトスでの日々は次のようなものです。

 

ここで私は、修道士達と同じように祈り、歌い、食べ、与えられた仕事をし、思索し、文献を調べ、器物の写真を撮り、執筆し、恐ろしいほどの静寂に抱かれて、夜は深い眠りに落ちて日々を過ごしました。そして何より祈りに満たされた生活の中にあって、とりわけこころ穏やかな日々だったのです。

(『ギリシャ正教と聖山アトス』より抜粋)

 

著者はアトスで天国を見たのでしょう。『ギリシャ正教と聖山アトス』には、ギリシャ正教や聖山アトスについてだけではなく、聖地巡礼や祈り、そして、コロナ禍にどう対処しているかまで、驚きの内容が記されています。その一つ一つに驚きながら、この世には祈る、ただそれだけのために存在する場所があることに気づかされます。

 

巻末には付録として、アトス山に巡礼するためにはどうしたらよいのかについてのガイドが記されていますので、興味のある方は読んでみてください。たとえ、アトス山には行くことができなくても、心の巡礼を果たすことができるかもしれません。

 

ギリシャを知りたくて、『ギリシャ正教と聖山アトス』を手に取った私ですが、思いがけなく、あり得ないほど特殊な聖なる領域について触れることとなりました。けれども、アトスという不思議な聖地を思い描くと、心に風が吹き渡るような不思議なさわやかさを感じるのでした。

 

【書籍紹介】

ギリシャ正教と聖山アトス

著者:パウエル中西裕一
発行:幻冬舎

1054年、キリスト教は西方カトリック教会と東方(ギリシャ)正教会に分裂。その後カトリックは宗教改革を経てプロテスタントと袂を分かつが、正教はキリスト教の原点として、正統な信仰を守り続けている。ギリシャ北部にある正教の聖地アトスは、多くの修道院を擁し、現在も女人禁制の地。修道士たちは断食や節食により己の欲を律し、祈りにすべてを捧げてその地で生涯を終える。本書では日本人として初めてアトスで司祭となった著者が、聖地での暮らしを紹介しながら、欲望が肥大しきった現代にこそ輝きを放つ正教の教えを解説する。

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