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こんにちは、書評家の卯月 鮎です。子どものころ、炭酸のグレープジュースを飲んでいて驚いたことがあります。缶をよく見るとそこには無果汁の文字。「無果汁!? グレープはブドウのはずなのになんで無果汁? でも、ちゃんとブドウの味がする、不思議……」。結局、メロンパンにはメロンは入っていないし、カニパンにも蟹は入っていないし(笑)、そんなもんかなあと納得していました。

 

実はかき氷のシロップも、シロップ自体の味はほとんど一緒で、レモン、イチゴ、メロンの差は色と香料だけだとか。人間は舌以上に目や鼻で味わっているのかもしれません。

食と色の関係を歴史的にたどる

今回の視覚化する味覚 食を彩る資本主義』(久野 愛・著/岩波新書)は、そんな食べ物と見た目の関係をテーマにした一冊です。

 

著者の久野 愛さんは、20世紀アメリカ史を中心に感覚史を専門とする東京大学大学院情報学環准教授。技術や産業の発展が、どのように人々の味覚や視覚、嗅覚などの感じ方に影響を与えてきたのかという研究を行っています。英語では『Visualizing Taste: How Business Changed the Look of What You Eat』(ハーバード大学出版局、2019)という著作があります。

 

バターの「自然な色」って何色?

本書は谷崎潤一郎と夏目漱石の話題から始まります。羊羹について、谷崎潤一郎は「玉のように半透明に曇った肌が、奥の方まで日の光りを吸い取って夢みる如きほの明るさを啣(ふく)んでいる感じ」(『陰翳礼讃』)と記し、夏目漱石は「別段食いたくはないが、あの肌合が滑らかに、緻密に、しかも半透明に光線を受ける具合は、どう見ても一個の美術品だ」(『草枕』)と描写しています。

 

ふたりが文学者だから表現が巧みなのは確かですが、私たちもお菓子やスイーツなどは味よりも見た目を重視することが多いですよね。

 

第1部「近代視覚文化の誕生」では、食品の色が作り出されてきた背景を、主に19世紀末~20世紀のアメリカを中心にたどっています。19世紀後半に繊維産業や印刷業者向けに合成着色料が生まれると、やがて食品にも使われるようになりました。その理由は、缶詰など工場で大量生産される加工食品が増えたから。安くてムラのない標準化された食品を大量に生産する必要があり、合成着色料は不可欠な材料になったそうです。

 

食品の色に関連して個人的に面白いと思ったのが、第5章「フェイク・フード」のバターとマーガリンの対決。もともとバターは、牛が新鮮な草を食べる夏は草に含まれる色素「カロテン」のせいで黄色くなり、枯れ草や穀物を食べる冬は白っぽくなるものでした。また、カロテンがバターに風味を与えるため夏の黄色いバターのほうが美味しいとみなされていました。そこでアメリカでは、バターは1870年ごろにはすでに合成着色料で黄色くされていたとか。

 

一方、マーガリンが19世紀末に台頭してくると、バター生産者の反発が起こり、多くの州で「バターに似せた色」のマーガリンの販売・製造が禁止されました。でも、よくよく考えると当のバターはすでに人工的に着色されていたもの。バターの色とは何なのか……。思えば、私もバターと聞くとすぐに黄色くて四角い塊を思い浮かべますが、それは半ば作られたバターのイメージなんですね。

 

そのほか、第2章では食品の色と広告産業の関係性、第7章では食品コーナーを“魅せる”べく発達したスーパーマーケットの工夫、第9章ではSNSで“盛られた”食べ物写真の登場……と、食と視覚を巡る社会史のトピックが多数。

 

研究に裏打ちされたしっかりした内容で、軽い雑学本とは一線を画した深みがあります。とはいっても、私たちに直接関わる“食”がテーマなので親しみやすさも十分。売るために食べ物がどう変わってきたのかを知って、非常に考えさせられました。「美味しいものを食べるのが好き!」という人ほど読んでみてほしい一冊です。

 

【書籍紹介】

『視覚化する味覚 食を彩る資本主義』

著者:久野 愛
発行:岩波書店

現代の色彩豊かな視覚環境の下ではほとんど意識されないが、私たちが認識する「自然な(あるべき)」色の多くは、経済・政治・社会の複雑な絡み合いの中で歴史的に構築されたものである。食べ物の色に焦点を当て、資本主義の発展とともに色の持つ意味や価値がどのように変化してきたのかを、感覚史研究の実践によりひもとく。

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【プロフィール】
卯月 鮎
書評家、ゲームコラムニスト。「S-Fマガジン」でファンタジー時評を連載中。文庫本の巻末解説なども手がける。ファンタジーを中心にSF、ミステリー、ノンフィクションなどジャンルを問わない本好き。