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歴史ロマンに思いをはせて

2020年NHK大河ドラマ「麒麟が来る」は、戦国時代に活躍した明智光秀の一生が描かれていました。最終回、本能寺の変を起こして、主君織田信長を倒す前、光秀は丹波攻めを行っていました。信長が中国地方を我がものにするために、丹波平定はどうしても必要なものだったのです。光秀がいた時代の丹波の歴史を少し振り返ってみましょう。

 

明智光秀と戦った荻野(赤井)直正

興禅寺

光秀の丹波攻めを語る上で、黒井城の城主・荻野(赤井)直正を避けては通れません。丹波市黒井にある黒井城は1335年に最初の城が築かれたとされています。のちに荻野氏が城主となり、荻野正元・荻野秋清らが在城してた1554年、赤井家から養子に入った荻野直正が秋清を倒して入城し、城主となりました。直正は、地元の氷上郡のほかに近隣を制し、丹後や但馬地方にも勢力を拡大しました。今も残る黒井城の遺構は、多くがこの時期に造られたものだと考えられます。

1575年、織田信長に丹波攻略を命じられた明智光秀は、丹波の東部を難なく平定しました。ところが直正が治める奥丹波は苦戦。一旦、黒井城を取り囲んだものの織田氏から離反した波多野秀治が背後から明智を挟み撃ちにし、明智は京に逃げ延びます。しかし、直正が病死した翌年の1579年、再び丹波に攻め入り黒井城を攻略したのです。

当時の氷上郡一帯を治めるために黒井城に入ったのが、光秀の重臣斎藤内蔵助利三です。利三は下館(興禅寺)を陣屋とし、ここで利三の末娘として生まれたのが、のちに春日局となるお福だと伝わっています。

 

戦国の山城の形を残す黒井城

黒井城の石垣(山頂付近)

黒井城は標高356m、周囲約10kmの猪ノ口山すべてを要塞化したもので、今も戦国期の山城の特徴を見ることができます。黒井城の下館だった興禅寺の近くにある登山口から山頂を目指すと、山頂までの細い山道のいたるところに、戦のために作られた施設が残っています。陣地として使われたであろう曲輪(くるわ)、敵を迎え討つ堀切り、切り崖の跡、武器に使われた矢竹も群生しています。

山頂。黒井城は別名保月城ともいう

山頂は南北に約150mの平地となっており、北から本丸・二の丸・三の丸が段階状に配置されています。大手口・二の丸・本丸などの石垣は、いずれも自然石を使った野面積(のづらづみ)で、長い年月、風雪に耐えた様子が伺われます。

※麓から山頂まで大人の足で40分ほどですが、細い山道で途中滑りやすい場所もあるため、装備は万全にしていきましょう。

古刹をゆく

丹波の正倉院といわれる達身寺

平安後期から鎌倉初期の古い仏像約80躯を有する寺です。ほとんどが木彫仏の一木造で、通常は一寺に一躯奉ればよいとされる兜跋(とばつ)毘沙門天が16躯あったり、本尊仏になる仏像が数多く残っていたりと謎が多く、未完成の仏像や破片が多いことから、丹波仏師の工房だったのでは、ともいわれています。が、光秀の丹波攻めで寺が焼かれたため、古文書はほとんど残っておらず、真相はわかりません。

近隣では、春はカタクリや水仙、夏はハス、秋にはコスモスの群生が見られます。

達身寺仏像。下腹が膨らんだ、「達身寺様式」と呼ばれる独特なスタイルを見ることができます。

 

  • 達身寺(たっしんじ)
    兵庫県丹波市氷上町清住259

九尺藤が美しい百毫寺

九尺藤

705年、法道仙人によって開かれた天台宗のお寺。ご本尊の薬師瑠璃光如来(秘仏)の眉間の白毫(びゃくごう)から神々しい光を放っていため「白毫寺」と名付けられたそうです。境内には、セッコク、桜、藤、シャクナゲなどが植えられ、四季折々の自然の美を堪能することができます。5月初旬には、120mの藤棚から垂れ下がる、花穂の長い九尺藤が見事な美しさです。

 

  • 百毫寺(びゃくごうじ)
    兵庫県丹波市市島町百毫寺709

 

天目カエデで知られる高源寺

1325年に開創された臨済宗中峰派の本山です。開山の祖、遠谿祖雄(えんけいそゆう)禅師が修行をした中国天目山から持ち帰った天目カエデが境内を彩ります。葉が小さく、葉の切れ目が深く、枝が垂れ下がる天目カエデは、初夏の緑、秋の紅葉ともに美しく、その風景を写真におさめようと多くの人が訪れます。

 

  • 高源寺(こうげんじ)
    兵庫県丹波市青垣町桧倉514

丹波市柏原町のみどころ

丹波市の玄関口ともいえるJR柏原駅の近くは、古い城下町の風情が残っています。商店街や史跡などを訪ねて散歩するのも楽しいです。

木の根橋

JR柏原駅から徒歩5分ほど、丹波市役所柏原支所の横にある橋です。大ケヤキの根が幅6mの奥村川をまたぎ、自然の橋を形作っています。このケヤキは樹齢千年と推定され、兵庫県の天然記念物に指定されています。

 

丹波市柏原町柏原

柏原藩陣屋跡と長屋門

柏原藩陣屋跡

 

長屋門

柏原藩主織田家の邸宅跡。陣屋の表御門にあたる長屋門は、陣屋創建当時の姿のまま残されています。陣屋は1818年に焼失し、1820年に再建されたもので、大書院は一般公開されています。

  • 丹波市柏原町柏原683

丹波市の桜の名所

自然豊かな丹波では、春になると山桜や街路の桜が美しく咲きます。見頃は4月上旬、この時期にはぜひ訪れたいものです。

 

柚津の桜堤

丹波市春日町柚津の竹田川沿いの約1kmの間に100本ほどのソメイヨシノが咲き誇ります。

場所:兵庫県丹波市春日町柚津(春日ICより車で約5分)

 

柏原川桜堤

丹波市柏原町を流れる柏原川沿いでは約1000本のソメイヨシノの並木道がみごとです。

場所:丹波市柏原町北中(丹南篠山口ICより車で約25分)

 

黒井川の桜堤

丹波市役所春日庁舎北側の黒井川沿いに約500本のソメイヨシノが咲きます。

場所:丹波市春日町黒井(春日ICより車で約5分)

 

お土産に丹波の特産品を

 

丹波茶の徳寿園

垣根茶と大路柳

綺麗な空気と水、昼夜の気温差が大きい丹波の気候は、美味しい茶葉を育てるのに適しています。徳寿園では自家農園で有機栽培したお茶を自社で製茶し、オリジナルブランドで販売しています。

中でも丹波の在来種は樹齢を重ねていることから、地中深くに根を張り、土壌のミネラル分をたくさん蓄えます。「垣根茶」は新芽と粉茶の部分、「大路柳」は葉の大きい部分を用いた芳しいお茶。収穫量が少ないので冬までに売り切れてしまいます。

 

老舗割烹料理店 㐂作の「ごはんのお供」

手作りごはんのお供(ちりめん山椒、鯖そぼろ、丹波焼黒豆等9種類) 紙箱M 7,560円(税込)

1937年創業。4代目主人は京都の料亭で長く厨房を任されていた料理人。食材にこだわり、一つひとつ自分の目で見て選び、料理をしています。昨年発売した新商品「ごはんのお供」が、ギフトや持ち帰り用として早くも大人気。

丹波産の肉厚椎茸を甘辛く炊き上げた旨煮をはじめ、国産牛とゴボウのしぐれ煮や、牛タンとこんにゃくの味噌煮など、どれもごはんがすすむ味わい。添加物を入れず、技を生かした味は割烹料理店ならでは。とびきりの佃煮を家庭で味わえます。

 

 

「丹波」を感じる和菓子の明正堂

最中「おさんの森」170円(税込)

1930年創業、90年以上も丹波の地でお菓子作りを続けてきました。初代から受け継がれた「伝創寶菓(でんそうほうか)」と、丹波でとれる素材を大切にした「丹波寶菓(たんばほうか)」の2種類にカテゴライズされたお菓子は、地元の人たちに人気です。

最中「おさんの森」は、近松門左衛門の作品「おさん茂兵衛」の舞台が丹波であったことにちなんで初代が考案し、最中を山のような台形に仕立てています。サクサクの皮の中には、甘さ控えめのつぶあんとほっくりとした栗の甘露煮、そこにお餅が入りって食べ応え抜群です。

  • 明正堂(めいせいどう)
    兵庫県丹波市柏原町柏原71
    TEL 0795-72-0217
    http://meiseidou.net/

アクセス

  • JR大阪駅から柏原駅(丹波市)まで、特急こうのとりで約1時間13分。福知山線快速・普通で約1時間35分。
  • 車で中国池田ICから春日ICまで約68km。

取材協力:
西日本出版社 「くるり丹波篠山」編集部

最後に

春の丹波路。歴史にふれる旅の紹介はいかがでしたでしょうか?有料住宅老人ホーム「日本ロングライフ」では、お客様が楽しく過ごすことができるよう、国内旅行をはじめとした様々なアクティビティを企画しています。

スタッフがサポートした上での開催なので、体力が心配という方でも安心してご旅行をお楽しみにいただけます。老後の選択肢として、シニアライフを楽しみたいという方におすすめです。

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春の丹波路。歴史にふれる旅素適なセカンドライフ ~老人ホーム探しのお役立ち情報~で公開された投稿です。