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東京オリンピックの開会式をめぐっては、演出チームの不祥事が次々と明るみに出て、今年だけで3人が辞任や解任に至った。作家の岩井志麻子さんは「私も2年前に、韓国人への差別発言で炎上したことがある。当時は非難する人たちを逆恨みすることもあったが、あるひと言をいただいて、心底反省するようになった。ときには手を差し伸べることも重要だと思う」という――。

写真=iStock.com/kieferpix
※写真はイメージです – 写真=iStock.com/kieferpix

■開幕式関係者の辞任劇を見て思ったこと

東京オリンピック開会式にまつわる一連の「出演者や関係者、主催者の過去の悪行、愚行による降板、辞退、その糾弾と謝罪と論争」を見たとき、一視聴者としては「あれはひどすぎる」と深く考えずに思いました。

ですが、普通のオバサンとしてではなく、作家、タレントの端くれ、つまり表現者としてメディアに出ている立場を顧みたとき、違う感情が沸き上がりました。

過去の酷いいじめ自慢を暴露され辞退に至ったミュージシャンのことを見て、私も大いに反省と後悔と謝罪をせねばならぬと、改めてうなだれたのです。その上で、こう考えたのです。

「様々な被害の当事者、被差別の属性を持つ人達。その人達が加害者や暴言を吐いた人、差別した人を絶対に許さない、というお気持ちは尊重します。何が何でも許せ、水に流せ、などというつもりもありません。

ただ、その上で、糾弾される側の人を誰か一人でも許す、一緒に頑張ろう、といった言葉をかけてあげてほしいなと思っています。

今回の件と同列には語れないですが、たとえば決められた刑期を務めあげて出所した人や、堅気になりたいと反社会的組織を抜けた人についても、いつまでも罪人呼ばわり、反社扱いし、更生したくてもさせないなんて、今度はこちら側も差別者や加害者になってしまうではありませんか」

同様の私見をテレビに出演した際に述べましたし、それがネットニュースにもなったので、多くの方に賛否両論いただきました。

■「自分のやったことは忘れ自分は正義」と開き直る人々

あんな人達をかばうなんて、という「否」の意見の方で心に刺さったのは、こんな意見です。

「自分にも後ろめたいこと、自分にも暴かれて困ることがあるからだろう」

はい、大いにあります。

けれど開き直り気味に反論すれば、自分が悪いことをしたという心当たりがあって、それを後ろめたいと感じているだけまだましというか、それこそ反省や更生の余地がありますよ。

徹底的に自分のやったことは忘れる、そもそも悪いことをしたと思ってない、とことん自分のことは棚に上げ、他人を非難できる人もいるのです。なんならその人達は自分を正義の人、何一つ間違ってない生き方をしていると、私以上に開き直っていたりします。

残念ながら、「なんでもいいから悪者をやっつけてスカッとしたい」「お手軽に安全地帯から正義の味方になりたい」という一派がいるのも事実です。あるいは、「自分自身と向き合いたくないから他人を攻撃し、自分から目を逸らす」というのもいます。

完全に台本ありきで、わがままな女の子を懸命に演じた真面目な頑張り屋の女子プロレスラーが、すべてを素の彼女だと本気にした視聴者の一部に激しく攻撃され、自死に追い込まれる痛ましい事件がありました。あれなども、攻撃する側は完全にそれでしたね。

写真=iStock.com/SIphotography
※写真はイメージです – 写真=iStock.com/SIphotography

一部の人達が、今回のオリンピック開幕式の辞退者に対してもそうなっているのを見れば、彼女の死をもっと教訓としなければならないと胸が痛みました。

■私が過去に犯してしまった愚行の告白

正直、それ以上に、自分の脛の傷が痛んだことも書いておかなければなりません。

私は脛に傷どころか、傷の上に脛が貼り付いている状態であり、叩けば埃が出るどころか、埃が人の皮をかぶっている生き物です。

だいたいの発言が失言暴言で、顰蹙を買う行動しかしていないといわれても言い返せません。

ご存じの方も多いですが、私も2年前にあるテレビ局で韓国の人を無神経に揶揄、かなりの差別的発言をしました。これは韓国の方を傷つけたのは当然ですが、テレビ局や所属事務所、共演者の方達にも多大なご迷惑をかけました。

しかし言い訳をさせていただれば、私は今の夫も韓国人で、その前に交際した方も韓国人でした。こんなの言い訳になるかどうかですが、私は韓国に家もあり、夫の友達も可愛い親戚の子みたいなもので、半ば自分も韓国人になった気分でいたのです。身内いじり、自虐ネタのつもりでした。

私は岡山県の生まれ育ちで、しょっちゅう「岡山の男はみんな初体験の相手がヤギ」だの「いまだに日本円が流通してなくて通貨は貝殻」だの、岡山ネタをよくテレビでもしゃべっています。

今もって、岡山県から抗議がきたことは一度もありません。本気にする人がいない、完全に嘘とわかるのもありますが。何より私が岡山県民で、書く小説がだいたい岡山県を舞台にしているので、「そうはいっても岡山県を愛している」のも伝わるからでしょう。

大いに勘違いした私は、それを愚かにも軽薄にも韓国にも当てはめてしまったのです。これに関し、当事者たる韓国の方からもお叱りを受け、韓国人への差別や偏見と戦う日本の良心的な方々からも非難されました。

それは今となってはありがたいことだと感謝すらしておりますが、騒動となったときは違いました。かなり不貞腐れ、その方達への反感や反発すら強めていったのです。

■本当の反省を促してくれた恩人

それを吹き飛ばしてくださったのが、在日韓国人の星の一人である元プロ野球選手、金村義明さんでした。

問題化した直後に東京の某テレビ局に行ったら、彼が出演者の中にいました。昔、大阪のテレビ番組でも一緒にレギュラーを務めさせてもらい、彼の温かく大らかな人となりはだいたいわかっているつもりでしたが、それでも彼に会うのが相当な恐怖でした。

冷たくされても、怒られても、それは仕方ない。

そう、びくびくしながら挨拶に伺ったら、彼はすべて知っているはずなのに、それについては一言も触れず、いきなりぎゅっと抱きしめてくれました。

そして、笑顔でこういってくださったのです。

「ぼくら、同級生みたいなもん。同じ教室にいた、友達やん」

それで私は、卑しい逆恨みや無様な開き直りが吹き飛び、自分がどれだけ愚かなことをして多くの人を傷つけたか嫌というほど思い知りました。

そこからなんとか挽回したい、本当に韓国を好きなことを伝えていかなければならない、と決意できたのです。

もし金村さんに怒られたり冷たくされていたら、それは当然のことと理解しつつも、いろいろと小さい私はますます頑なになって反省どころか、偏見を強めるようなことになっていったかもしれません。

■誰かが手を差し伸べてほしい

繰り返しますが、金村さんが怒ったり冷たくしたとしても、それは正しい対応の一つでもあります。被害の当事者が加害した相手を一生許さないというのは、心情的にもわかりますし、それでいいと支持もします。

ただ、悪者を徹底的にたたいて、水に落ちてもたたき続けて、墓を暴いてもたたくというのでは、本当の反省ができなくなってしまう。

自身の経験から、更正したいと願い、更生の余地がある人には金村さん的な誰かが、手を差し伸べてあげてほしい。そう強く願うばかりです。

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岩井 志麻子(いわい・しまこ)
作家
1964年、岡山生まれ。少女小説家としてデビュー後、1999(平成11)年「ぼっけえ、きょうてえ」で日本ホラー小説大賞受賞。翌年、作品集『ぼっけえ、きょうてえ』で山本周五郎賞受賞。2002年『チャイ・コイ』で婦人公論文芸賞、『自由戀愛』で島清恋愛文学賞を受賞。近著に『でえれえ、やっちもねえ』(角川ホラー文庫)がある。
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(作家 岩井 志麻子)