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 2016年に史上最年少の35歳で入閣した台湾のデジタル担当大臣、オードリー・タン(唐 鳳)氏はいまや、世界のオピニオンリーダーと呼ぶにふさわしい。革命的なコロナ対策のみならず、2021年の民主主義サミットで台湾代表を務めるなど、デジタル民主主義を牽引する人物としても大きな影響力を持っている。そんなタン氏に対して、台湾問題に詳しいジャーナリストの野嶋剛氏がオンラインインタビューを行い、デジタル社会における民主主義のあり方から人生観や日常生活まで、幅広いテーマについて語ってもらった。全6回に分けて掲載する。

(以下のインタビューは2021年11月に行われたものです)

「今の私は」は「過去の私」を否定しない

野嶋:タンさんはトランス・ジェンダーであることが知られています。男性として生まれ、成人してから20代で性転換を行い、いまの性別は女性になっています。そのときに、名前ももとの唐宋漢から唐鳳に変えました。ジェンダー・フリーについて、タンさんはどのように考えていますか。

タン:私にとっては、私がもともと何であり、その後何になって、その違いは何であるのか、ということはそれほど大きな問題ではありません。私の思春期は最初に13歳に訪れ、次に24歳に訪れました。けれど、後に起きたことが前の自分を覆い隠してしまうのではなく、「今の私」は「過去の私」を否定するものではないのです。

野嶋:企業や行政のジェンダー・フリーに関する取り組みはどうあるべきでしょうか。

タン:台湾の行政院(内閣)にはもともと性別平等化委員会が設けられており、民間の人材と政府との間で一緒に議論し、どのようにすれば台湾にジェンダー・フリーの概念を定着させられるか議論してきました。

 

 個人の生理的問題や性別問題がその人の社会的な役割を決めるものではないこと、社会に残っているステレオタイプな考え方を多元的なものに変えていくことが、台湾の求めている方向性です。我々の政府の重要法案や中長期計画も、すべて性別平等化委員会の審査を経ています。

 ポイントは、日常の仕事のなかに、その考え方がしっかり入っていることです。米国がいま性別Xのパスポートを発行するようになりましたが、台湾の性別平等化委員会でも議論しており、来年のはじめには何らかの提案があるかもしれません。

野嶋:日本では、まだまだトイレをどうやってジェンダー・フリーにするか議論している段階です。

タン:その問題は台湾では議論済みです。行政院内政部の建築研究所がすでにガイドラインを示しており、政府、行政などのトイレはそれを参考に設計されています。私はこのあと自分のオフィスに戻りますが、そのビルの1階には男女トイレが1つずつ両脇にあり、中央にジェンダー・フリー兼バリア・フリーのトイレが2つあります。ですから4つのトイレがあるわけです。

私は日台双方をつなぐ橋

野嶋:タンさんに関する本は日本でたくさん出版されています。数えたところ、オードリー・タンをタイトルに入れている本は、2020年から2021年にかけて10冊も刊行されていました。そして、驚くべきことに、売れゆきはどれも好調だと聞いています。最近ではタンさんの母親について書いた本も出たようです。なぜ日本でタンさんはアイドルのようにみんなに好かれているのでしょうか。

タン:例えば、先ほど述べた建築研究所のガイドラインのことは、私が主導したのではなく、私が内閣に入るずっと前から、台湾はジェンダー・フリーや多元化の方向にしっかりと準備をしていました。

 しかし、もし私という存在を通してでなければ、あなたも台湾の性別平等化委員会について質問しようと思わないでしょう。つまり、私は日台双方をつなぐ橋なのです。同時に、私という存在を通して、日本の皆さんが「過去の台湾」ではなく「現代の台湾」を触れようとしてくれているのだと受け止めています。

 過去の台湾は公共衛生でも先端科学技術でも、あるいは芸術でも、日本から非常に多くの影響と啓発を受けました。一方、民主主義という問題については、台湾の新しいイノベーションのエネルギー、特に若者から高齢者まで熱心に民主主義プロセスに参画する点が、最近の日本を上回っているのは確かでしょう。

 台湾のイノベーションのあり方が日本にシェアされ、デジタル民主主義でも行政改革でも、私たちと同じ方向に走り出していることを嬉しく思っています。

野嶋:つまるところ、日本人はタンさんを通して何を学ぼうとしていると思いますか?

タン:やはり、「市民を信じよう」という概念が、良かったのではないでしょうか。すべての希望を1人の「天才IT大臣」に寄せるのではなく、皆がそれぞれの解釈を行って、もう1人のオードリー・タンが日本に生まれています。1人1人の心のなかに「小さなオードリー・タン」をつくることによって、それぞれが主導的に改革に参加していく。

 それは市民を信じるということととても似ているようにも思います。

8時間眠らないとクリエイティブな発想が生まれない

野嶋:日本の読者は、あなたがどのような毎日を送っているのか、興味津々です。タンさんの日常を紹介してもらえるでしょうか。

タン:もちろんです。朝7時から夜の7時が私の仕事の時間です。朝6時に起きて、主に北米、南米の友人たちとオンラインで会います。もっと時間が遅くなると彼らの都合が悪いからです。

 9時以降は、台湾、それから日本など、時差が近い友人たちと連絡します。例えばいまは午後ですが、あなたたちの取材を受ける前は、行政院(内閣)の会議がありました。毎週木曜日の科学技術委員会の週一ランチミーティングです。木曜日と月曜日が私にとってオフィス出勤日で、ほかの時間は各地に出かけます。例えば今週の火曜日は基隆にいました。明日はまたどこかに行くので、オフィスには来ません。

 今日は夜7時にオフィスを離れて、夜はやはりヨーロッパやアフリカの友人とオンラインで会い、それからもう休みますね。

 夜の接待や食事には出かけません。私の興味はネットで最新の研究や活動に参加することで、シビックハッカーたちのグループを見て歩いています。世界はだいたい同じことをやっています。それで夜10時ぐらいには眠ります。

野嶋:オンラインであちこちにシビックハッカーとして「ムーンライティング(こっそりやっている副業)」という形で、顔を出しているのですね。一方、睡眠をとても大切にしているそうですね。

タン:そうです。8時間眠らないと、クリエイティブな発想が生まれません。

AIは「空気」を読めない

野嶋:タンさんは翻訳が好きだそうですね。

タン:はい。そうなんです。

野嶋:英語以外で流暢に喋れる言葉は? ドイツに子供時代、留学していたそうですね。

タン:特に流暢に喋れるのは英語ぐらいですね。ドイツ語は子供の頃にうまく喋れましたが、長く喋っていません。読むことは問題ありません。

野嶋:日本語はいかがでしょう。

タン:機械翻訳にお願いしています(笑)。

野嶋:いまはAIが非常に賢くなった。かつてタンさんはAppleで外国語入力システムの開発にも参加していたそうですね。現在のAI翻訳の能力に限界はありますか。

タン:もちろんです。私たちがディスカッションしているとき、私たちの会話の文脈をAIが理解することは難しい。意味を訳すことはできてもニュアンス、行間の意図を読み取るなどの非言語の情報まではわかりません。いわゆる「空気を読む」というやつですね。これはAIには向いていない。人類のほうがうまくいく。人類がうまくできることは別にAIにやってもらわなくてもいいんです(笑)。

私は怒っても2秒だけ

野嶋:こうしてインタビューしていても、タンさんの個性は、とても穏やかで安定しているように見えます。感情の起伏も激しくありませんね。それはあなたが成功者だからでしょうか、あるいは安定したライフスタイルが確立いているからでしょうか?

タン:もしかすると、子供のころに患った先天性の心臓病が関係しているかもしれません。12歳で大きな手術をしてやっと治りました。その前の12年間はちょっと気持ちが揺れると動悸が激しくなってしまいました。怒ったり、興奮したり、嬉しかったりすると、顔色が真っ青になって昏倒していました。

 体が私に教えたのですね、安定した精神のリズムが必要で、嬉しくても悲しくても、興奮したらだめだよと、生きていけなくなるよと。呼吸が安定するように、いつも体が心に制約をかけているのでしょう。もちろん心臓病はないほうがいいですが、結果的にいい点もあった、ということですね。

野嶋:私もメディアで記事を書いたり、意見を発表したりするとネットなどで厳しい批判を受けます。そうすると、少なくとも数時間は気分が悪くなってしまう。こういうときどのように自分の感情と向き合うのかとても大切です。特にこのネット時代はそうですね。

タン:私は、怒っても2秒だけ。

野嶋:2秒?

タン:それから「中国語ってこんな風に使えるんだ」などの好奇心が湧きます。コーヒーを一杯入れてみたり音楽を聴いたりすると、批判の文章を見ても別の喜びの感覚が生まれます。

意見の対立があっても一致点はある

野嶋:そういえばタンさんはIQ180の天才と紹介されることがありますね。

タン:それは身長です(笑)。生まれながらの才能という意味ではみんなが何かの才能を持っている可能性があります。ポイントは、才能によって社会に貢献ができるか、できないかです。

野嶋:タンさんは、自分の才能で社会に貢献できる最大のポイントは何だと思いますか。

タン:異なる考えに耳を傾けることができる点でしょうか。感情に瞬間的に流されないというのは、心臓病が与えてくれたものなので、確かに天性のものですね。相互に衝突する考えを同時に受け止めて考えることができます。意見の対立があっても、長期的にみれば、お互いの一致点、共同の価値観を作り出すことが必ずできるのです。

野嶋:タンさんのいまの役割の一つが、デジタル技術によって、人と人をつなげて何かを作り出すコーディネーターやファシリテーターのように見えますが、そうした資質がとても生きているのだと実感します。

 ところで、タンにとって、人生で最大の挫折はなんでしょう。

タン:挫折はたくさんありますよ。以前のマスクマップは、日本の報道では大成功になっていますが、実際、スタートした初日は薬局の割り当て分がすぐに売れてしまったのにマップ上は残っていることになっていて、多くの抗議を受けました。薬局が「政府は信用できない」と大きな騒ぎになりました。非常に悔しかった。長い時間をかけて準備した結果が薬剤師さんに面倒をかけるだけだったわけですから。

 ですが、落ち込んでいるわけには行きません。薬局に直接行ってもっといい方法がないか聞き取りをしました。それで解決方法が見つかったのです。

 挫折したときでも自分が解決しなくてはならないとは限りません。誰かがトラブルに見舞われれば、みんなと議論し、解決能力がある人が解決の方法が見つけてくれる。挫折は結果的にみれば何かを作り上げるパワーになるのです。

野嶋剛
1968年生れ。ジャーナリスト。上智大学新聞学科卒。大学在学中に香港中文大学に留学。92年朝日新聞社入社後、佐賀支局、中国・アモイ大学留学、西部社会部を経て、シンガポール支局長や台北支局長として中国や台湾、アジア関連の報道に携わる。2016年4月からフリーに。著書に『イラク戦争従軍記』(朝日新聞社)、『ふたつの故宮博物院』(新潮選書)、『謎の名画・清明上河図』(勉誠出版)、『銀輪の巨人ジャイアント』(東洋経済新報社)、『ラスト・バタリオン 蒋介石と日本軍人たち』(講談社)、『認識・TAIWAN・電影 映画で知る台湾』(明石書店)、『台湾とは何か』(ちくま新書)、『タイワニーズ 故郷喪失者の物語』(小学館)、『なぜ台湾は新型コロナウイルスを防げたのか』(扶桑社新書)など。訳書に『チャイニーズ・ライフ』(明石書店)。最新刊は『香港とは何か』(ちくま新書)。公式HPは https://nojimatsuyoshi.com。