田勢 康弘
わずか1年で退陣に追い込まれた菅偉義政権。政権末期の内閣支持率こそ低迷を続けたが、失政と呼ばれるほどの大きなミスはなく、続投の意欲も見せていた菅氏を急転直下、断念させたものは何だったのか。その内幕を描く。
追い落としの画策に気付かなかった菅首相
菅義偉には1年で政権の座を降りなければならないほどの失政はなかった。ならば、直前まで意欲を見せていた自民党総裁選不出馬という形で自らの政権の幕を引いたのはなぜか。
背景には戦国時代もかくやと思わせる謀略、騙し、裏切り、寝返りなど権力闘争の裏面で躍動するあらゆる動きがあった。秋田の農村から上京し、ダンボール工場で働いたこともある“今太閤”の菅には、情報を集め、あるいは裏で工作し、戦略を検討しあう同志がいなかった。政界ではスターダムにのし上がる速度の何十倍もの速度で地面に叩き落とされることがあるが、これはその典型だ。
横浜市の市会議員からスタートして総理の座にまで上り詰めた菅の最大の能力は「聴く」ことにある。誰の話でも「聴く」。自分の考えを言うことはほとんどない。ただひたすら「聴く」。朝昼夜の三食ともだれかを招いて話を聴いてきた。
菅の真正面に座るゲストにとっては、「聴く」だけの政治家は不気味である。何を考えているのか分からないし、問いかけもあまりないので、己のレベルを推し量られているのではないかと疑心暗鬼になり、話すべきでない微妙なこともつい口にしてしまう。
菅の大脳には二十年以上の裏情報が蓄積されている。菅をよく知る自民党幹部は菅の恐るべき武器は「細かいところまで情報を集めて揚げ足をとること。それは天才的だ」と語る。
この手法で安倍晋三に首相としての再登板を勧め、安倍長期政権の官房長官として自分も無派閥ながら実力者になった。しかしながら安倍には菅がいたが、菅には誰もいなかった。そして菅を追い落とそうとしている勢力にまったく気が付いていなかった。
安倍晋三前首相の変心?
東京五輪・パラリンピックを成功させ、9月初旬に解散・総選挙、そこで与党過半数を確保し、総裁選は無投票再選、というのが菅ならびに周辺の思い描いていた政局カレンダーだった。総裁選といっても立候補しそうな石破茂は推薦人20人を集められそうもない。岸田文雄は菅に大差で負けた前回総裁選で死んだも同然。河野太郎も小泉進次郎も菅を敵に回して出馬するとは思えない。世論調査の支持率は低いが、二階俊博が支え、安倍晋三、麻生太郎がバックにいる限り無投票当選は公算大だった。
安倍は5月3日にBS放送の番組で総裁選について聞かれ、「菅支持」を明言している。情勢が動き始めたのは8月に入ってからだ。安倍の懐刀の人物(仮にAと呼ぶ)が岸田に接近し、総裁選出馬を秘かに持ちかけた。岸田はこの人物がそういう話を持ちかけてくるには安倍と麻生も了解しているのではないかと判断したようだ。
自分でも「岸田は死んだと言われている」と自虐的な発言をしていた岸田はおそらくダメ元の心境だっただろう。安倍・麻生の心情を忖度(そんたく)したか、あるいはそういう話が伝えられたか判然としないが、公約に「総裁以外の党役員の任期は3期3年まで」と5年以上になる二階更迭を思わせる文言を盛り込んだ。
安倍の懐刀がなぜ岸田の総裁選出馬を持ちかけたか。それは菅を追い落とすためだった。理由は明確である。カーボン・ニュートラルを始めとした菅のエネルギー政策に危機感を抱いた自民党保守派、自動車、鉄鋼、不動産を始めとした産業界トップらが、菅が再生可能エネルギーをエネルギー政策の基本に据えようとし、いずれは反原発に移行するのではないかと疑ったからだ。
対抗馬を立てれば、人気がそれほど高くない岸田でも支持率低迷の菅には勝てる可能性がある。岸田は8月26日に出馬表明、そこで党役員任期制を発表し、一般には好評だった。官僚出身のAは岸田の公約づくりにも関与したと言われる。二階外しなどは岸田の判断だけでできるはずがない。Aが絡めば、それは安倍・麻生の意向を踏まえたものと位置付けられる。