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俳優の渡 哲也が亡くなったのは、2020年8月10日のことでした。ニュースで訃報を知ったとき、頭の中でひとつの記憶がフラッシュバックするのを止めることができませんでした。

 

渡 哲也が目の前に

私がまだ大学生だったころのことです。友達と渋谷を歩いていたら、偶然ドラマのロケに遭遇しました。ADらしき人に「しばらく歩道から動かないでくださいね」と言われ、私たちは「何のドラマなのかな」と、あたりをキョロキョロ見ていたら、目の前に突如、渡 哲也が現れたのです。知り合いでもないのに、私は思わず「あ、渡 哲也!」と言いそうになりました。

 

目があったのをいいことに、私は持っていた大学ノートを差し出し、「あの、サインをいただけますか」とお願いすると、彼はにっこりしながらうなずき、「ここでいいの? このページにすればいいんですね」と確かめたあと、サインをしてくれました。スターのサインはくずしてあって読めないものだと思っていたのですが、彼のサインはちゃんと渡 哲也と読むことができました。アルファベットではなく、漢字で書かれていて、そのかっちりとした書体が、大学ノートにぴったりとおさまっていました。

 

もっといかつい感じの方だと思っていたのですが、すらりとした華奢な体で、驚くほど小顔の持ち主でした。その後、もちろん会うことはできませんでしたが、テレビで姿を見るたびに、あの日のことを思い出していたのです。

 

それなのに……。まだまだ活躍できたはずなのに……病気だと報道されてはいましたが、早すぎると思いました。

 

死を身近に経験した少年

流れゆくままに』(渡 哲也・著/青志社・刊)は、俳優・渡 哲也の生き様を描いた作品です。まるで大河ドラマのように、誕生から最後の日々までが丹念に書かれています。元々は渡 哲也自身がまとめた一生を伝記として出版する予定だったのだそうです。しかし、残念なことに体調不良のため、2015年に中断したまま完成には至りませんでした。

 

けれども、渡 哲也に惚れこんでいた人たちは、彼の死を悲しみながらも、もう一度、彼を主人公として蘇らせたいと考えたのでしょう。石原プロダクションの応援を得て、1冊の本として完成させました。

 

本書には、渡 哲也がまだ俳優になる前、淡路島で育った少年時代や、ひょんなことから俳優になり、スターにのぼりつめていく道のりが書かれています。彼自身が目の前で語ってくれているかのようです。

 

彼自身の家族についても詳しく書かれていますが、私にとってそれは驚きの内容でした。渡 哲也には、同じく俳優の渡瀬恒彦という弟がいることは知っていました。けれども、他にもあとふたり兄弟がいて、男ばかりの4人兄弟として育ったのだそうです。ところが、渡 哲也が6歳のときに兄が栄養失調のため亡くなります。そして、それから 6年後、彼が12歳のときには可愛いがっていた末っ子の弟も病死します。わずか6年の間に、ふたりの兄弟を失うなんて、どんなにか辛かったことでしょう。

 

渡 哲也は華やかなスターでしたが、どこか寂しげで、死に対してあきらめたような雰囲気を持つ俳優でもありました。わずかの間に兄弟をふたりも亡くした経験が、彼の明るさに影を落としていたのかもしれません。渡 哲也自身も言っています。

 

人間はいつか必ず死ぬ。いや、死ぬということ自体よりも、どんなに愛そうとも、あるいはどんなに愛されようとも、人間の思いや願いとはいっさい関わりなく、死んでいくときは死んでいくという、この厳然たる事実に心が揺さぶられていました。

(『流れゆくままに』より抜粋)

 

人は時にあきらめるしかないほどの不幸に耐えなければならないということでしょうか。

 

病気との闘い

渡 哲也は望んで俳優になったわけではありません。大学時代の空手部の仲間が、彼に無断で新人俳優のオーディションに応募したのだそうです。浅丘ルリ子の相手役を探すためのオーディションでした。俳優になるなんて考えたこともなかったので、最初は固持したものの、もしかしたら、憧れの石原裕次郎に会えるかもしれないと考え直し、日活の撮影所に出向きます。これが彼の人生を変えてしまうのですから、人生にはいつなんどき何が起こるのかわかりません。

 

結局、渡 哲也は石原裕次郎には会えませんでした。それでも、せっかく来たのだからとオーディションを受けました。そして、撮影所の大食堂でカレーライスを食べていたら、いきなりスカウトされたのです。浅丘ルリ子の相手役には選ばれなかったものの、スカウトの目にとまったのですから、やはり独特のオーラがあったのでしょう。

 

それでも、俳優になる決心はつきませんでした。

 

役者で食っていくという気持ちがあれば別だったのでしょうが、そんなものはまったくありません。(中略)こうしたい、ああしたいという夢も目的もなく、流されるままに不真面目な俳優志望者を続けていたのです。

(『流れゆくままに』より抜粋)

 

結局、月給の良さに惹かれ、両親を安心させたいという思いもあって、俳優になろうと決めます。けれども、演技も知らず、学ぶ気も起こらずと、悶々とした日が続きます。俳優なんて無理だ、もう辞めようと思ったとき、またしても、撮影所の大食堂で運命の出会いが待っていました。憧れの石原裕次郎に紹介されたのです。緊張して挨拶をすると、石原裕次郎はわざわざ立ち上がり、握手をして「キミが渡君ですか。石原裕次郎です」と名乗ってくれたのです。

 

この出会いによって、渡 哲也は俳優として生きようと決心したのですから、まさに決定的な大食堂の出会いだったのでしょう。

 

ストマになっても

一旦、俳優になろうと決心するや、渡 哲也はスター街道をひた走るようになりました。相手役にも恵まれ、石原裕次郎との共演も果たし、まさに向かうところ敵なしの華やかな生活が始まります。

 

ところが、そんな彼を嫉妬するかのように、戦うべき相手が次々と現れるのです。といっても、ライバル俳優ではなく、スキャンダルに見舞われたわけでもありません。大きな仕事が入り、真面目に役を演じようとすると、病魔に襲われるのです。それも「なぜ今なのか」と、天を仰ぎたくなるほど絶望的なタイミングで起こります。

 

とくにNHKの大河ドラマ「勝海舟」を収録中、発病したことは痛恨の極みでした。さあ、これからという時だったからです。最初はただの風邪だと思っていたのですが、「左胸膜陳旧性癒着性肋膜炎」との診断を受け、途中で降板せざるをえませんでした。たとえ死んでも演じきるつもりだと、悔しがる渡を説得したのは、他でもない石原裕次郎でした。他の人だったら、渡 哲也は納得しなかったかもしれません。

 

『流れゆくままに』には、他にも病にまつわる話が続きます。ここまで打ち明けるためには、勇気が必要だったでしょう。病気の話はできたら隠していたいものだからです。

 

とりわけ、直腸癌の全摘手術によってストマ(人工肛門)をつけることになったときの衝撃と絶望を正直に綴ってあることには、心底驚きました。俳優という職業を続けていくうえで、ストマの存在は命取りになるのではないかと悩んだこともさらしています。俳優は、ラブシーンや入浴する場面も撮影しなければなりません。アクションシーンもありますし、俳優として生きていこうとするなら、ストマの存在は隠していたいと思っても不思議はありません。けれども、渡 哲也はストマになったことを公表します。これはなかなかできることではないと思います。

 

さらに、ストマをつけた後の生活についても告白します。そして、洗腸という方法をマスターすれば、便を入れる袋をぶら下げる必要はなくなることまでも教えてくれます。同じ病気に悩む人にとって、大きな励ましとなるでしょう。

 

渡 哲也は勇気のある、魅力あふれるスターであったことを、改めて感じる本、それが『流れゆくままに』です。亡くなるわずか3日前、渡 哲也と話をした石原プロモーション専務の浅野賢治郎による特別寄稿にも、最後まで周囲を思いやった姿勢が読み取れます。

 

流れゆくままに生きようと望みながらも、自分を律することを忘れない真の大人、それが渡 哲也という人だったのではないでしょうか。

 

【書籍紹介】

流れゆくままに

著者:渡 哲也
発行:青志社

運は振り向いてくれたけど病魔には容赦なく襲われた。長く生きることよりも“生き方”を大切にしたい。七十八歳で逝去した昭和最後の映画スター渡哲也の自伝。

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