もっと詳しく
ファミコンおよびスーファミの開発責任者、元任天堂の上村雅之氏が逝去

ANA Global

任天堂でファミリーコンピュータ、同ディスクシステム、スーパーファミコンを開発し、後に立命館大学ゲーム研究センター長を務められた技術者、上村雅之氏が12月6日に死去されていたことがわかりました。78歳。すでに葬儀等はご家族のみで行われ、偲ぶ会等の開催については未定とのことです。

上村氏は1967年に早川電機(現シャープ)に入社、その後1971年に任天堂に移り、米国で市場を形成しつつあったビデオゲームの開発に取り組みました。任天堂ではテーブル形筐体の『任天堂レジャーシステム』のゲーム機開発や『カラーテレビゲーム15』の開発に携わった後、任天堂製造本部開発第二部部長として、1981年からは『ファミリーコンピュータ』の開発を率いました。

『ファミリーコンピュータ』は1983年に発売されて大ヒットを記録しました。 世界累計販売数は6191万台、1990年発売の後継機『スーパーファミコン』を足し合わせると1億台以上にのぼり、いずれも日本のみならず世界のゲーム史に燦然と輝く名機になりました。

上村氏は2015年の日本デジタルゲーム学会の年次大会で、NES(北米版ファミコン)のゲームを息子と楽しんでいるという外国人に出会ったエピソードを紹介し、ファミコン世代のゲームが30年の月日を過ぎてもなお親しまれる理由として、作り手側がそれまで現実にはできなかった、つまり夢に描いていた遊びを、ファミコンを通じて実現するのに夢中になったに違いなく、だからこそ長い年月を経ても面白いのかもしれないといった旨を述べられていました

いまもビデオゲームはたくさん作られていますが、その多くが、基本的にはファミコン時代に作り出されたゲームたちの類型とも言え、テレビ / ディスプレイの中で繰り広げられるゲームの世界は当時から大きな夢の上に成り立っていました。そして処理能力や映像表現力が格段に進化した現在のゲーム機も、その基本構成は上村氏が作ったファミコンの頃から大きく変わってはいません。

(Source:立命館大学ゲーム研究センターEngadget日本版より転載)