海外との電話やメールはもちろん、インターネット、SNSのやり取りも、今では気軽に行えるようになった。国際通信は飛躍的に便利になったが、その裏には先人たちの挑戦の歴史があった。その軌跡が東京・多摩市にある「KDDI MUSEUM(KDDIミュージアム)」に残されている。
「KDDI MUSEUM」は、約150年にわたる日本の国際通信の歴史を実物の機器や資料で解説するほか、歴代のau携帯電話とスマートフォンを一堂に展示、最新の5GやIoT技術も体験できる施設である。
日本における国際通信は1871年(明治4年)に開始され、2021年は150年目の節目となった。そこで、これまでTIME&SPACEでは、国際通信の歴史や変遷を「①日本の国際通信のはじまり」「②長波から短波へ~電波が世界をつなぐ」「③宇宙への挑戦、衛星通信」として紹介してきた。連載最終回の今回は「④大容量光海底ケーブル時代」を「KDDI MUSEUM」の展示とともに紹介する。
深海への挑戦。海底ケーブル通信
連載最終回のテーマは、「大容量の光海底ケーブル」だ。いまや国際電話、海外のスポーツやニュースの映像中継はもちろん、インターネットも光海底ケーブルにより伝送されており、国際通信の約99%以上を担う大動脈となっている。
今回は光海底ケーブルが発展した経緯や技術革新を、国際通信の研究者である大野哲弥さん監修のもと紹介。光海底ケーブルの敷設方法や保守作業といった舞台裏について、「KDDI千倉海底線中継所」を取材した。
まずは、光海底ケーブルの変遷や進化について、KDDI グローバル技術・運用本部の戸所弘光と黒田浩之に聞いた。ふたりは長年、光海底ケーブルの事業に携わってきた。
――光海底ケーブルはどのように日本で取り入れられていったのでしょうか?
戸所「1970〜1980年代頃の国際通信は衛星通信が主流でしたが、大容量の光海底ケーブルが登場したことで、この状況が一変します。
アメリカのベル研究所が海底同軸ケーブルを使った長距離の伝送システムを実用化し、1956年(昭和31年)に大西洋横断海底ケーブルが敷設されました。日本ではKDDが1964年(昭和39年)に『TPC-1(第1太平洋横断ケーブル)』を敷設したのがはじまりです。
これにより、初めて太平洋横断といった長距離の国際電話が可能になったのです。『TPC-1』は当初電話換算で128回線で設計されましたが、運用開始後142回線まで拡張されました。これは、100人程度が同時に通話でき、更に電信回線が600回線以上設定できるというイメージです。
その後、1975年(昭和50年)に『TPC-2(第2太平洋横断ケーブル)』が登場し、845回線になりました。とはいえ、海底同軸ケーブルは太い銅線を使用しており、多くの資材を使用するため、コストの壁に直面します。同時に、増え続ける国際間の通信量に対応するには限界があることがわかってきました。その壁を突破したのが、光海底ケーブルです」
――光海底ケーブルとはどういったものなのでしょうか?
戸所「光ファイバという髪の毛程度の細さの透明な線を束ね、周囲を保護したケーブルのことです。ガラス製なので銅線の同軸ケーブルよりコストが安く、髪の毛ほどの細さのため海底の耐高水圧という点で同軸ケーブルよりも強固。また、光ファイバは信号の減衰が少ないので中継器の数が少なく済み、一度に大量の信号を送ることができます。
1989年(平成2年)には、光ファイバを使用した『TPC-3(第3太平洋横断ケーブル)』が誕生し、1992年(平成5年)に『TPC-4(第4太平洋横断ケーブル)』が登場します。『TPC-3』が7,560回線、『TPC-4』が15,120回線と大幅に容量がアップしました」
『Microsoft Windows 95』が発売された1995年に技術革新が起こる
戸所「さらなる技術革新が1995年(平成8年)に起こります。『Microsoft Windows 95』が発売され、インターネットが急激に普及しはじめたこの年に、『TPC-5CN(第5太平洋横断ケーブルネットワーク)』が登場しました。
『TPC-5CN』で画期的だったのは、中継器による光信号の増幅です。光ファイバといえども、大陸から大陸の数千kmを一気通貫で到達するのは難しい。そこで、光海底ケーブルには数百kmごとに、光信号を増幅させる中継器が設置されています。
以前の中継器では、光信号を一度、電気信号に変えて増幅し、再度光信号にして送り出す仕組みをとっており、非常に複雑な構造でした。『TPC-5CN』の中継器では、光信号をそのまま増幅させる技術が実用化され、構造もシンプルになりました。
これにより可能になったのが『多重化』です。それまでは光ファイバの中には1種類の波長(色)しか送れないと考えられていました。そこで、たとえて言えば赤い光と青い光を同時に光ファイバに入れる実験を行ったところ、受け手のほうでちゃんと青と赤の光を区別ができたのです。1本の光ファイバに対して、複数の光の波長(色)を同時に送信できることがわかり、『TPC-5CN』以降の光海底ケーブルでは倍々ゲームで伝送容量が増えていったのです」
――『多重化』によって光海底ケーブルが大容量化していくんですね。
戸所「はい。1996年に行われたアトランタオリンピックでは、世界で初めて光海底ケーブルを使用したテレビ伝送が行われました。この頃、国際通信の主役は衛星通信から光海底ケーブルに逆転します。
最新の光海底ケーブル『SJC2』は、1FP(ファイバーペア)あたり18Tbps(テラビットパーセコンド)のFPが7組あります。家庭用の光インターネットの最大容量が1Gbps(ギガビットパーセコンド)程度なので、およそ12万6000倍ものデータを送受信できることになります」
全世界の光海底ケーブルの長さは地球30周分!?
――光海底ケーブルは、現在どのような用途で使用されているのでしょうか。
黒田「海外でのスポーツ中継やニュース中継はもちろん、国際電話やインターネット、スマホに届く電波も元をたどると光海底ケーブルになります。
現在、光海底ケーブルは日本の国際通信の99%以上を担っています。全世界の光海底ケーブルの距離をすべて足すと約120万kmになります。これはおよそ地球30周分もの長さに相当するんですよ」
――とてつもない長さの光海底ケーブルによって世界はつながっているんですね。
光海底ケーブルはどうやって敷設するのか?
日本と世界の通信ネットワークをつなぐ光海底ケーブル。実際どのように敷設しているのだろうか。光海底ケーブルを中継する、千葉県南房総市にある「KDDI千倉海底線中継所」を訪れた。
光海底ケーブルの運用に20年以上携わっているKDDI グローバル技術・運用本部の川上俊郎に話を聞いた。
――まずはKDDI千倉海底線中継所がどういった施設かを教えてください。
「KDDI千倉海底線中継所はアメリカとアジアへ向けた国際通信の玄関口です。ここにアメリカやシンガポール、香港などアジア各国につながる光海底ケーブルを陸揚げして、陸上ケーブルを使用して国内のネットワークセンターまで通信をつなげています」
――光海底ケーブルの陸揚げとはどういう作業でしょうか?
「陸揚げとは、新しい光海底ケーブルを海底線中継所に引き込む作業のことです。光海底ケーブルを敷設するために、ケーブルシップを使用します。
下のイラストにあるように、日本側と外国側の両岸からケーブルシップが出港し、沖合から海底線中継所に向けて、光海底ケーブルの陸揚げを行います。その後、船を沖合に向けて進めて、海底の地形に沿って光海底ケーブルを敷設していきます。船の上で日本側と外国側からの光海底ケーブルを接続します。試験を行ったあと、光海底ケーブルを海底に沈めます」
――沖合の船から光海底ケーブルを陸へつなげて、そこからケーブルシップが出発して、海底にケーブルを敷設して進むんですね。
「陸揚げでは、ケーブルを海底で引きずらないためにブイで浮かせて陸揚げ局に引き込みます。実はこの陸揚げの方法は、約50年前から変わっていないんです。
陸揚げした光海底ケーブルは管路に通して、『KDDI千倉海底線中継所』につながる仕組みになっています」
光海底ケーブルの修理方法とは?
――敷設した光海底ケーブルが破損することがあるのでしょうか?
「あります。日本近海では少ないですが、漁業活動や船舶による投錨、地震や地滑り、海底面での摩擦などが、主なケーブル障害の原因です。光海底ケーブルが切断されたり、一部が傷つけられたりして、機能が低下することがあります。
特に浅い海のほうが、人的活動が多くケーブル障害の危険が高いため、太い外装線で保護した光海底ケーブルを使用します。ここに2本の光海底ケーブルがあります。性能は同じですが、左の太いほうが浅い海、細いほうがより深海で使用するタイプになります」
――深海のほうが水圧は高いので、太くて頑丈な光海底ケーブルを使うのかと思いましたが、そうではないんですね。では、光海底ケーブルが破損した場合は、どのように修理するのでしょうか?
「光海底ケーブルに障害が発生した場合は、ケーブルシップが障害海域に急行して修理を行います。光海底ケーブルの補修作業は、イメージ的には“釣り”に近いです。
破損したケーブルがある付近にケーブルシップからケーブル切断装備を取り付けたロープを海中に投入して、一度ケーブルを切断します。切断したケーブルを引き揚げて光学的・電気的試験を行い、正常性を確認します。ちなみに8,000mの海底下からケーブルを引き揚げる場合は、まる1日以上かかる場合があります。
続いて、切断された反対側の光海底ケーブルを引き揚げて正常性確認試験を行い、障害点を除去。予備ケーブルの割入れを行い、最後にケーブルシップ上で両側の光海底ケーブルを接続します」
――本当に“釣り”の要領で破損した光海底ケーブルを引き揚げて修理を行うんですね。
「ケーブルの障害位置はGPSやケーブルの状況でおよそ位置がわかるのですが、富士山の高さより深い水深8,000mもの深海に探線機を投入してケーブルを引き揚げるのは容易な作業ではありません。
また、光ファイバには青や赤の色がつけられていますが、同じ色を接続しないと信号がつながりません。
揺れる船の上で、髪の毛の細さほどのファイバを多数つなぐのは、訓練を受けた技能士にしかできない作業です」
東日本大震災では光海底ケーブル20本以上を修理
――光海底ケーブルの補修は想像以上に大がかりで緻密な作業ですね。
「2011年の東日本大震災では、日本とアメリカを結ぶ海底ケーブルが20カ所以上も切断されました。そこで、ケーブルシップの『KDDIオーシャンリンク』をはじめ、各国からケーブルシップが出動して、ケーブルの切断箇所の修理を行いました。
切断されたケーブルを探して船に引き揚げ、接続して埋設する。このような修復作業を24時間体制で行いました。作業は150日間を超え、『KDDIオーシャンリンク』が帰港したのは2011年8月6日でした」
光海底ケーブルの安定した品質を保ちたい
――KDDI千倉海底線中継所では、アメリカとアジアの光海底ケーブルが陸揚げされて、全国のネットワークにつながっています。どのような思いで仕事をしていますか?
川上「光海底ケーブルは一般の方が目にする機会はほとんどなく地味な存在ですが、通信には欠かせないインフラになっています。KDDI千倉海底線中継所では光海底ケーブルが安定した品質を保つため、24時間体制365日で稼働しています。できるだけ障害を起こさず、また、障害が起きてもすぐに復旧できるよう日々、保守・点検を行い運用しています」
インターネットやスマホが普及し、通信容量が飛躍的に上がり、世界をつなぐ光海底ケーブルは欠かせないインフラとなっている。光海底ケーブルによる通信を途切れさせないよう、日々、徹底した対策や丁寧なメンテナンスが行われているのだ。
日本の国際通信がはじまって150年余り。KDDIは前身である国際電信電話(KDD)の設立以降も、無線・衛星・光海底ケーブルとあらゆる通信手段を用いて、日本と世界190カ国以上を通信でつないできた。KDDIは、これからも世界の情報通信を支え続けていく。
大野哲弥さん
1956年、東京生まれ。立教大学経済学部卒業、放送大学大学院文化科学研究科修士課程修了。博士(コミュニケーション学/東京経済大学)。1980年、国際電信電話株式会社(KDD)入社。退職後、放送大学非常勤講師などを歴任。著書に『通信の世紀―情報技術と国家戦略の一五〇年史―』(新潮社)、『国際通信史でみる明治日本』(成文社)。