「ついてきた道のりは長く、ときに苦しく、ときにとてつもない喜びを持っていたからこそ、その日々の時間が愛おしくてなりません。その時間を生きてきた自分が、愛おしくてなりません」
6年前、とむさんが宝塚を退団された次の日に、北に向かう新幹線の中で、このブログにこう書きました。
ふふふ、なんて浸りまくった文なのかしら。
そんなことを思いつつも、でもこの言葉この文章が、あの濃密な時間には一番しっくりくるのですよ。
これ以外には言葉がない。
何年たっても。
とむさんを舞台で見ることが、直接応援することが叶わなくなって、もうどれだけの日々を駆け抜けてきたやら。
時折、元気予報を降らして下さるし、先日なんか久々にメディアご出演もあったし、一昨日なんざ「3年越しの虫さんたちの集い」に〈真由のipad〉(←可愛い…)経由で集まってしまっているし(笑)。
変わらずに、ウィルスにも負けずに、そこにいてくださるのは嬉しいことです。
毎年こうして、5月11日は宝塚の男役だったとむさんとの想い出を、あの日の1日の反芻とともに想い出すけれど。
この頃よく考えるのは「あ、今日は○○記念日じゃん」とか「☓☓☓の千秋楽だった日だ!」とか「お茶会に行った日じゃなかったかなあ」とかなんですよ。
とむさんのファンになってから退団されるまでの約10年間って、毎年毎日なんかあった(笑)。
だからすべての「○年前の○月○日」には意味というか、想い出がぴったり寄り添っている。
今日のような特別な日もあれば、ただ入り待ちや出待ちに行っただけの日も。
今も風の匂いや空気の暖かさ冷たさ、咲いている花に「今頃の季節は○○の公演中だったなあ」なんてことが、最近頻繁に思い出されるんです。
そしてその想いと幸せは必ずセット。
何なら思い出しニヤニヤまでセット(笑)。
いつでも会えるところにいなくても、こんなに胸がつまるような、叫びだしたくなるような幸せをもらったことは真実なのです。
それを過去におかず、今日も一緒にその想いと確かにあった真実と歩いて行くことができる。
いつか
本当にまたいつか
逢えることを信じて夢みて。
だから今日も、そしてこれから歩いて行く道にも、幸せと勇気をありがとう。
何年たとうと、ここにきて叫びます!
Thank you!とむちゃん!