【編集部注:】
ミャンマーの最大都市ヤンゴンで今月5日、軍車両に後方から猛スピードで突っ込まれて5人が亡くなったデモの参加者たちが掲げていたのは、「FREEDOM FROM FEAR」。自分の中にある恐怖心こそが監獄であり、恐怖心から自分を解き放つことこそが真の自由だ、というアウンサンスーチー氏の言葉でした。徹底的な弾圧を続ける軍に対して、さまざまな形で抵抗の意思を示し続ける現地の様子を伝えるFacebook投稿を紹介しました。
~ 以下、Facebook投稿より ~
先週、ヤンゴンの片隅で声を上げた若者たちが、軍に轢き殺された。
逃げまどう若者に、冷酷なスピードで突っ込む軍の車。
瞬間、音もなく転がる細い身体。
友人から送られてきた動画を見ながら、えっ、うそ!と叫んだ。
心臓が嫌な感じに波打った。吐き気がする。
クーデター後、もう何百回この吐き気を味わっただろう。
どうして。
なぜ、こんなことができるのだ…。
その後、若者たちが掲げていた横断幕に【FREEDOM FROM FEAR】と書かれていたことを知った。
アウンサンスーチー氏の言葉だ。
『私たちをとじこめる監獄は、自分の中にある恐怖心。
その恐怖心から自分を解き放つことこそ、本当の自由だ』
あぁ、と顔を覆いたくなった。
彼らが掲げていたのは、軍を攻撃するメッセージではない。
軍政への批判ですらない。
彼らは、ただ多くの人々に訴えていたのだ。自由であることを諦めるな、と。
彼らが手にしていたのは、銃ではなく、花だった。
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その日の午後、すでにその虐殺の映像が拡散されていたにもかかわらず
ヤンゴンでは、ゲリラ的な抗議デモが続けられた。
夜8時には、鍋の音。
軍に人生を奪われ続けた人たちが、命がけで叫んでいる。
FREEDOM FROM FEAR。
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市民によるミャンマープラザ(ショッピングモール)のボイコットも続いている。
2週間ほど前に、ミャンマープラザの中で横断幕を掲げて抗議の声を上げた若者を
警備員が暴力的に取り押さえたからだ。
その日のうちに、ボイコットを呼びかける投稿がSNSに溢れた。
ミャンマープラザはすぐに謝罪のコメントを出し、警備員をクビにした。
あれは提携していた民間警備会社なのだと説明し、自分たちは民主側だとまで言った。
それでも人々は、ボイコットを続けている。
なんだかミャンマープラザがかわいそう、、、という気分になっていた私に
友人は「それでも私は行かない」と断言した。
「ミャンマープラザが嫌いなわけじゃないよ。
彼らが2月に、警察に追われた市民をかくまってくれたことを、私たちは覚えてる。
だけど大事なのは、軍政に加担することは絶対に許されない、と示すことなの」
またある友人はこう言った。
「僕らには、思ったことを口にする自由があるはず。
軍政は嫌だ、と言う権利があるはずなんだ。
それが暴力で封じられたということに、僕たちは抵抗しなきゃいけない。
ミャンマープラザはお金のためのビジネスだけど、僕らは人権のために戦ってるんだ」
タクシーの運転手も、得意げに話してくれた。
「僕たちもボイコット中だよ。
お客さんの行き先がミャンマープラザだったら、ごめん、行けないよ、って断るんだ。
Grabでミャンマープラザに呼ばれたときも、すぐにキャンセルしてる」
軍は、ミャンマープラザの店舗オーナーたちを呼び寄せて、店を開くように命令した。
そのニュースを聞いて、友人は笑った。
「オーナーに命令して店を開けさせることはできても、
私たちに命令して買い物に行かせることはできないよ」
国家や法律を思いのままに変えることはできても、
人々や社会を思い通りに操ることなどできない。
彼らはそれを証明し続けているのだ。
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「ミャンマープラザのボイコットは驚かなかったけど、
鍋叩きが再開したのは正直驚いたな」
と、同僚は言った。
「最近では、誰がどこで見ているかわからないだろう?
ダランもいるし、私服警官もいる。
だから、僕たちは道端で何か話すときにも気をつけなきゃいけないんだ」
「そういう意味では、ボイコットは簡単だよ。
どこに買い物に行くかは個人の自由だから、誰に咎められることもない。
でも、鍋叩きは違う。明らかな反軍政の行為だ。
しかも、音の発信源で家がバレる。これはすごく勇気のいることなんだよ」
友人の話によると、その日『鍋叩きをやろう』という事前の呼びかけはなかったそうだ。
軍の蛮行に怒った誰かが最初に鍋を叩き始め、周囲がそれに共鳴した。
最初は、ほんの数か所で。
翌日はそれが、ヤンゴン全体にまばらに広がった。
以前のような、町中が鍋の音で覆われるようなスケールではない。
とても小規模で、散発的な鍋叩き。
それでも、それは確かに「FREEDOM FROM FEAR」のメッセージだった。
だれかが命がけで発信し、だれかがそれを受け取り、まただれかに伝えていく。
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スーチーさんには、懲役2年が課された。
一度、4年の刑期が課されたあとに、2年減刑されたのだという。
「あとからわざわざ減刑するなんて、意味不明すぎて笑っちゃう。
私たちが『わーい、50%オフ!』と喜ぶとでも思っているのかしら」
同僚はそう言って「軍に感謝なんて絶対しないからねー!」と笑って叫んだ。
スーチーさんの判決について、国内でのリアクションは薄かった。
有罪判決が出ることはわかりきっていたからだ。
「スーチーさんを無罪に!」などという無意味なアクションは起こらなかったし
判決後に市民が怒りのデモをする、みたいなことにもならなかった。
「興味ないよ」とはっきり言う人もいた。
友人は、淡々とこう言った。
「たとえ何百年の刑が課されても、僕らがやるべきことは同じなんだ。
僕たちは民主化を目指して戦う。軍が倒れれば、彼女は助かる。
それだけだよ」
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友達が以前、スーチーさんについて、こんな風に話すのを聞いたことがある。
「昨年の選挙で圧勝したあと、彼女は自分が軍に捕まることを覚悟していたんじゃないかな。
もしかしたら、殺されるかもしれないことも。
そういうリスクを覚悟の上で、それでも選挙はやり直さない、と正義を貫いたんじゃないかな」
もしそうだとしたら、それはまさにFREEDOM FROM FEARだ。
この国の誰もがスーチーさんを支持しているわけではない。
でも彼女のこの言葉は、ミャンマー市民の心にしっかりと深く根を張っている。
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