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「足立 紳 後ろ向きで進む」第21回(後編)

 

結婚19年。妻には殴られ罵られ、ふたりの子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々——それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

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12月17日(木)

午前中から区の検診センターへ夫婦で行く。夏に受診した健康診断の結果が夫婦ともにあまり良くないので呼び出された。というか、いつも呼び出されている。

 

妻は酒の飲み過ぎ、私は甘い物の食べ過ぎ。いつも検診センターで助言をくれる女性の保健師の方には夫婦で覚えられてしまい、「あなたたち、いいかげんこっちの言うこと聞いて」とお叱りを受ける。とにかく1日2回食べているアイスを1回にしようと誓う。妻は週に一度は飲まない日を作ると宣言したが、きっと守らないだろう。なんせ「私が毎日飲むのはあんたのせいだ」と信じられない理由をつけて飲んでいるのだ。

 

その後、息子を民間療育サービスに連れて行くために学校に迎えに行く(にしても民間は高い。一刻も早く公的な支援をつながらないと我が家は破産だ)。

 

ちょうど息子たちは昼休み中だった。私を見つけた息子の友達が「あ、足立のお父さんだ」と近寄ってきたので、息子の所在を聞くと、今は「逃走中」をして遊んでいるようで「あいつは絶対に見つからないよ。隠れまくってるから」とのこと。

 

鬼ごっこで捕まることが苦手な息子は、鬼ごっこになると絶対見つからないところに隠れて出てこないのだ。やがて昼休み終了のチャイムがなると、不安そうな顔で息子が出て来た。ガキ大将チックな子に「俺、捕まってないよね? 捕まってないよね?」と真顔で聞いている。ガキ大将チックな子は「はぁ、何言ってんの?」みたいな顔をしてスルーしていた。見たくない姿だった……。

 

12月18日(土)

今日も一日中オーディションのため、朝7時半に妻と出発。電車で銀座に向かっている最中、30回くらい妻の電話がなる。息子からだ。

 

「お姉ちゃんが怒る、お姉ちゃんがゲームさせないって言ってる」と泣いている。その後、娘から「弟が嫌なことを言う、弟ばかりテレビ見てる」みたいなことが繰り返し妻の携帯にかかってくる。

 

息子を預ける予定だった子の家からも、急遽発熱して無理になったと連絡があり、妻は途中下車していったん帰宅。息子の新しい預け先を探し、姉弟が近距離にいないようにしてから遅刻して参加となった。まったく大変だ。でも、オーディションは大変実りあるものだった。

 

12月19日(日)

今日は娘が野球にどうしても行きたくないと言う。

 

定期試験が終わったら“お菓子を買いに行く、美白化粧品を買いに行く、漫画喫茶に行く、LUSHに行く、スタバに行く”と妻と約束していたのに、全然行けなかったのだ。

 

かなりヒステリーに怒っているため、仕方なく急遽娘を買い物に連れて行くことになった。息子も連れて行こうとしたが、案の定拒否(買い物などという見通しが立たない予定は絶対に無理だと思っていたが)。なので息子を残して娘と3人で買い物へ。最近息子にばかりに目が行ってしまい、娘のことがほったらかしになっていたので、今日は娘を甘えさせようと心に決めた。

 

久しぶりに、キレイなチョコレートを買ったり、服を買ったり、美白化粧品やハンドクリームを買ったりしてテンションが上がった娘は初のスターバックスでキャラメルマキアートを飲んでご機嫌にもなり、今後のこと(受験や将来のことなども)や息子のことなどざっくりと話した。

 

娘も分かっちゃいるけど、「私だって勉強も部活も野球も人間関係も大変なんだよ! 弟ばっかり贔屓しないでよ!」ってことを言いたかったみたいだ。とりあえず、娘は部活を頑張っているし、あの事件(9/26参照以来、監督のことを好きになれない野球は休部させることにした。というか辞めてもいいのだが、なぜか娘は休部すると言う。この辺がよく分からない。

 

早めに帰宅し、久しぶりに夕飯を4人で食べながらM-1を見る。インディアンスと錦鯉に息子も娘も大爆笑し、久々に子どものメンタルが安定し穏やかに眠れた。

 

※妻より

娘は「パパ来なくていいよ」と言い、私も「二人でゆっくり買い物するから来ないでいいよ、あんたが来ると『まだ?まだ?』ってうるさいし」と何度も言いましたが、「いや、俺も行く!!」と言い張って夫はついてきました。そして誰よりも夫のテンションが高く、チョコを爆買いしてました。おまけにパーカーも。同じようなパーカーが腐るほどあります。

 

 

12月20日(月)

朝、「学校に行きたくない」と言う息子の気分を上げようと朝食時に昨日のM-1の決勝を流すと、娘も息子もケタケタ笑い、渋りながらも遅刻せず学校に行けた。笑いの力は凄い。今日は気持ちよく朝から仕事ができた。

 

夕方、吉祥寺UPLINKにて渡辺紘文・雄司兄弟「大田原愚豚舎」の新作を武 正晴監督と2作品鑑賞する。とにかく大田原愚豚舎の作品は劇場公開を見逃すと、なかなか見られないので公開時が貴重なのだ。今、日本で唯一無二の作品を作っているのはこの渡辺兄弟以外にいないのではないか? 作品の作り方も含めて羨ましい気持ちで一杯になるが、私には真似はできないだろう。

 

↑左から武正晴監督、渡辺雄司・紘文兄弟、足立

 

12月22日(水)

今日は息子の長野への山村留学出発日だ。この日ために、ここ3週間ほど、まるで開幕試合にむけて調整する投手のごとく息子の気分と脳調を調整しつづけていた。(まったく成功していないけど)。

 

夏(8/5参照)はこの山村留学に行き、めちゃくちゃ楽しんだ。すこしだけ自信をつけて帰ってきたように親の目には見えた。だから親としては今回も行かせたい気持ちでいっぱいだ。

 

前回は息子も「もっと長野に居たかった。長野に戻りたい」と泣いていたので、申し込みが開始された10月初旬「どうする? 冬も行く?」と聞いたら「行く!!」と答えたから申し込んでいたのだが、近ごろの不登校や癇癪など、メンタルが悪化していたので今回は難しいかなと思っていた。

 

だが、なんとか息子に小さな成功体験とか楽しい体験を積んでほしいので、妻とともに夏の楽しかった思い出の写真を見せたり、冬の雪遊びをしている楽しそうなパンフレットの写真を見せたり、夏に友達になった子たちもまた来ているかもよ、などと話しながらどうにか行ってくれるように誘導していた。

 

息子は「分かんない」とか「考える」とか言うだけで結論が出なかったが、締め切りもあるし、一か八かお金は払い込んだ。

 

キャンプで使うためのかっこいい腕時計も買って(300円)息子のテンションを上げた。息子も「夜が怖くて行きたくないけど、だったら行くよ。まったくしょうがないなあ」と言い出すまでにはなってくれて、あとは当日が勝負だなと思っていた。

 

集合は都庁前のバス乗り場に14時半なので、家を出る間際までお笑いを見せたりゲームをさせたりして息子の脳調を誤魔化しつつ、だが、ちょっと気を許すと不安が爆発しそうな感じはあるので、恐る恐る集合場所に向かった。

 

最近息子は外貨通貨に興味をしめしている(というか執着している)ので、都庁前の外国為替両替所で韓国ウォン(映画「新感染」で韓国が好き)と香港ドル(かつての香港でのジャッキー・チェン映画が大好き。かつてと書かなければならないのが悲しい)にお小遣いを両替し、近くのファミレスでパフェなど食べさせギリギリまでゲームをさせて、さぁ集合まであと15分のところで店を出ようとしたら……始まってしまった。

 

「行きたくない…………」

 

そうつぶやいた息子は身体中の力が抜けたかのように、ファミレスの床に寝そべってしまった。そして石のように固まった。こうなるともう何を言っても耳に入らない。

 

あれだけ前もって見通しも立てて、本人も途中まで行く気だったのに、やはり直前でダメか…と思い、私は思わず放心しそうになったところ、ふと気づくと妻は完全に放心していた。

 

そんな妻を見て、私は何とか息子を説得しようと試みた。しかし、息子は「行かない」の一点張り。振り込んだお金もパーになるが、そんなことはどうでもよかった。ただ悲しかった。「もうダメだ」と諦めた。そして「諦めよう」と妻に告げたとたんに、妻の涙腺が決壊。泣き出してしまった。

 

びっくりした。まさか泣くとは思わなった。15年くらい前、アルバイトをしながら3年くらい必死にシナリオ直しを続けた(続けさせられた?)映画がダメになった報告をした時に、妻がワッと泣き出したことがあったが、あの時のことを思い出した。

 

妻は私の何倍も、今日、息子にキャンプに行ってほしかったのだろう。妻は息子に対しての向き合い方が私の比ではない。私が仕事で遅くなったりすれば、その日に向き合うのはすべて妻だ。息子の特性を私の何倍も目の当たりにしている。だから妻は、この日のために、小さく小さく息子をキャンプに対して前向きにさせようと必死だった。それは泣きたくもなるだろう。

 

泣く妻を見て、私は恥ずかしながら息子に腹を立て、言ってはいけないセリフを言ってしまった。

 

「お前、行かないならもうずっとゲームはなしだ」

 

言葉通りに受け取ってしまう息子はそこで大癇癪。だが、私も怒りに任せて息子を抱え上げるとファミレスから連れ出した。妻は泣きながら、当日キャンセルの旨を伝えに集合場所に行った。

 

私は暴れる息子を京王プラザの前あたりまで連れていくと、「お前はもうこっから一人で帰れ!」と完全に虐待になるが言ってしまった。息子は「じゃあ帰るよ!」と地下への階段を下りていった。数分後、頭の冷えた私は息子を追ったが、都庁前の広い地下で完全に見失った。

 

テンパって探し回っていると、妻から電話。息子以外にも泣いて嫌がっている子が数人いるとのこと。キャンプの人もそんな子の親御さんに「経験上、無理にでもバスに乗せてしまえば30分くらいでケロッとしてますよ」とのこと。妻はその言葉に最後の望みをかけたのか、とにかくバス乗り場まで息子を連れてきてくれと言う。しかし息子を見失った私はテンパっていたので、「あいつが見つからないんだよ!」とさっきまで泣いていたくせに連れて来いとうるさい妻に大きな声を出してしまった。すると息子が私の真後ろに立っていた。

 

「父ちゃんのあとをずっとついて来てたからね」と睨みながら言う息子を問答無用に抱き上げると、あとは泣こうがわめこうが私はバス乗り場まで走った。

 

バス乗り場では、妻が2名のキャンプのスタッフの方と待っていた。スタッフの方は当然最初は優しく「夏も楽しかったじゃん、行こうよ」と言ってくださったが、息子は「嫌だ! 絶対に行かない! 父ちゃんに騙された! 行くなら死んだほうがマシだ!」とわめくのみ。

 

正直、私はこれで行かせても強烈に恨まれるだけのような気がして(発達障害の特性として、自分に起こった嫌なことを常に昨日のことのように思い出して怒りを爆発させることもあり、息子はそれが顕著)、一応抱えてバス乗り場まで連れてきたはいいが完全に諦めていた。

 

「どうします? あとはお父さんとお母さんのご判断にお任せしますが、お二人がここにいたら絶対に動かないですよ」と貫禄十分な雰囲気の女性スタッフの方に言われる。

 

私は何も決められなかったが、妻はまたブワッと涙を溢れさせ「この子、夏のキャンプ凄く楽しんだので、行けばきっと楽しめると思います。行く直前だけ不安を爆発させてしまうんです。きっと大暴れすると思うけど連れて行って下さい。リュックの外側に酔い止めドロップ入っているからあとで舐めさせてください、宜しくお願い致します。○太、大丈夫!楽しんでおいで! 紳、行くよ」と言って私をつかみ、その場から離れた。

 

「裏切者―!! 殺してやるー!!」という息子の叫び声が背中に突き刺さるどころではなく、貫通した。息子から離れ、柱の陰に隠れて様子を見ていると、息子の「離せ―! 離せー!」という叫び声とギャン泣きが響き渡り、先ほどの貫禄十分な女性スタッフの方が、バッタバタに暴れて泣き叫んでいる息子をかついで走りながらバスに飛び乗る姿が見えた。その光景に、正直私は死ぬかと思った。幼い頃に見た戸塚ヨットスクールの恐怖の映像を思い出さずにはいられず、本当に胸が張り裂けてしまったし、正直今この瞬間、自分のしでかしたことは短い子育て人生の中でも最大の失敗なのではないかと思ったからだ。

 

妻は唇を噛みしめ、「……行けばきっと楽しむよ。楽しめる子だよ、あの子は……」と自分を納得させるように頷きながら言う。私は「恨みだけが残ってずっとその記憶が払しょくできなかったら地獄だ」とぶつぶつと繰り返していた。

 

息子が無事に行けることを願って(行けると信じて)、げんを担ぐつもりでこのあと「パーフェクト・ケア」(監督・J・ブレイクソン)を予約していたのだが、正直映画など楽しめる気分ではまったくなく、夫婦二人で朦朧としながら新宿を徘徊していた。が、「もう考えてもどうしようもない。殺されるわけじゃないし、どうしてもダメだったら電話がかかってくるから長野に迎えに行けばいいだけ」との妻の言葉に、映画館に入った。映画は面白かった。こんな時じゃなかったらめちゃくちゃ楽しめただろうに、ロザムンド・パイクがとても良かった。

 

その後、高田馬場の「蒙古肉餅」で羊肉と火鍋をやけ食いした。帰宅すると、娘がのびのびと居間でお笑いを見ていた。

 

※妻より

私も夫同様に失敗した…と思いましたが、子育ては何が正解か分からないし、人生は賭けみたいなとこもあるし(じゃないと足立と結婚しない)、何も地獄の矯正施設に送り込むわけでもないし……。 行けばきっと楽めるだろうと思い、行かせました…… ですが、数日は胸が苦しくて苦しくて一気に禿げました……。

 

12月23日(木)

昨晩、息子がキャンプで泣いている夢を見てほぼ一睡もできなかった。溜まらず朝起きてすぐ、宿舎に電話してくれと妻にお願いする。妻は連絡が来るまで待つべきだと言ったが、押し切って電話をしてもらった。このキャンプは外部からのコンタクトは余程の緊急案件でない限り取らない方針なのだが、東京事務所の方に昨日の息子の大癇癪を伝え、現地スタッフの方に息子の様子を聞いてもらった。

 

「落ち着いているし、食事も取れている、何かあれば連絡する」と返事があった。「落ち着いているし、食事も取れている」という返事にまた心配になる。息子が落ち着くってことは、寂しい想いをしているのではないか、元気がないんじゃないか?と気が気じゃない。事務所に人に念のため息子の特性や取説などを伝えた。

 

妻は「大丈夫だよ、今晩はクリスマス会があるし、明日は山散策があるし、明後日は川散策とお楽しみ会がある。きっと楽しめるよ、多分」と、昨日の息子の様子をもう忘れたかのように言うので、無責任なことを言いやがって! と腹が立った。「息子にトラウマができたら、全部お前のせいだからな」というセリフは、すんでのところで飲み込んだ。それを言ってしまっては離婚必至だ。ここに書いてるけど。

 

今日は民間療育のペアレンツトレーニングのため、14時半に出発。ペアレンツトレーニングの前に昨日の惨状を私よりも20歳以上も若い先生に「この女が無理やり行かせたんです!僕はイヤだったんです!」と伝えると「それは賭けでしたね…トラウマになるか、楽しんで自信につながるか、どっちになるか分からないですね」と正直な感想を頂く。そしてその若い先生から息子の特性分析と、対応方法などを学ぶ。

 

16時半に終わる。このまま帰っても中途半端なので(何が中途半端なのか分からないがいつもそんな理由をつけて)またも外食。「ジンギスカン楽太郎」に飛び込み2日連続の羊。お店のお姉さんが木下優樹菜そっくりの話し方で、反抗期の娘の対応などを助言してくれて楽しかった。

 

その後、娘が欲しいと言っていた自然派スキンケアブランド「LUSH」に入店。あまりに女子ばかりだったので私は近くで待っていた。妻が店員さんに中学生に人気の商品を聞いて購入。

 

夜帰宅し、LUSHを渡すと娘は喜んだが、一緒に渡した我々からのクリスマスカードには完無視。「読め!」と言うが、絶対説教が書いてあるからイヤだ、と。確かに書いてある。

 

夜になると息子の雄たけびが聞こえてきて、今日も眠れなかった。

 

12月24日(金)

脚本を書いたドラマ、「拾われた男」の撮影を見学に行った。

 

主演の仲野太賀さんはこの役のために14キロ増。原作者の松尾 諭さんと並んでいる写真を見せてもらったが、もう本当の兄弟にしか見えなかった。このドラマはきっと面白いものになるだろうと思う。そして、私も早く撮影したいと久しぶりに前向きな気持ちになった。

 

その後、妻と娘と天ぷら屋に行った。本当は妻とちょいちょい行く寿司屋に娘を連れて行ってやりたかったが、妻の「14歳にはまだ早い」という言葉で、天ぷら屋になった。

 

80歳越えのおじいちゃんが一人でやっている、地元の老舗の天ぷら屋だ。その天ぷら屋もとても美味しい。カウンターしかなく今は完全予約制で、今日は我々しか客はいなかった。

 

しめさばも、ミンククジラも自家製塩辛も最高だった。娘はそれらと天ぷらでどんぶり三杯のご飯を食べながら、好きな人に告白するべきか否かを延々とマシンガントークしていた。中二にもなって好きな人の話を親にベラベラする幼さにビビる。

 

その後、娘だけ家に帰して妻とBARに一杯飲みに行く予定だったが(私は酒が好きではないが、BARの雰囲気は好きなのだ)、かつて妻が映画館でするめを食べて、前の席に座っていた男性に怒られた話を天ぷら屋でしたら妻が不機嫌になり、BARは中止になった。なぜにそれで不機嫌になるのか私にはまったく理解できない。

 

※妻より

「娘が寂しい思いしているから、クリスマスくらいは娘ファーストで外食したい」と夫は言いましたが、夫のセレクトはいつも自分が食べたいものです(娘はイタリアンに行きたいのに毎回却下)。私も鮨は大大大好きですが、夫が「高い鮨食いたい、ペアリングで酒がコロコロ変わる店行きたい!」とか、娘の事など1ミリも考えずミーハーなことを言うから死ぬほど腹が立つんです。

 

12月25日(土)

朝からオーディション。娘は部活後に塾なのでお弁当を作り手紙を書いて出かける。今日もまた面白い子が沢山いて、良き出会いもあった。

 

今日のオーディションは早めに終わった為に、オーディション後にスタッフの皆さんと軽く飲んで、20時に妻とともに娘の塾にお迎えに行く。娘を迎えてから今日こそBARに行こうかと話していたのだが、娘を待っている最中に、今日のオーディションのことで妻と口論になる。私が股間を何度も掻いて、そのたびにその手の匂いを嗅いでいたというのだ。誓って言うが断じてそんなことはしていない。したとしても一度か二度だろう。

 

いつの間にか塾から出て来た娘が「こんなとこでケンカやめてよ」と言い、正気に戻る。そして今日もまためでたくBARには行けなかった。

 

※妻の一言

15回は掻いてましたね。

 

12月26日(日)

今日はとうとう息子がキャンプから帰宅する日だ。息子がどんな様子で帰ってくるのか、ものすごく緊張して集合場所だったバス乗り場で待った。

 

数日前、この場所であんな行かせ方をしてしまったが、連絡がなかったということは、悪い事は起きていないはずだ。そして、あんな行かせ方をした限りは、息子が普通に帰ってきたらそれを利用して、今後はいろいろと一人でやらせようと妻と話した。

 

ドキドキしながら息子を待っていると、息子はヘラヘラとした顔でバスから降りてきた。我々を見ると、ちょっと照れくさそうな顔をして、プイっと横を向いた。とりあえず激しい恨みはないのが分かり、ホッとした。

 

担当のスタッフの方に息子の様子を聞きに行くと、山歩きでは先頭に立ってリーダーになり、下の子を凄く気遣ってくれて助かった(息子はその班で最年長だった)とか、川の探検はめちゃくちゃ大声を出して楽しんでいたとか、最終日の出し物会ではM-1ばりの司会をして盛り上げてくれた、とか教えてくれて、妻号泣。私も目頭が熱くなり、これを書いている今も、なんなら涙が滲む。

 

帰りの電車内で「楽しかったか?」と聞いても息子は「普通」としか言わないし、「司会やったのか?」と聞いても「分かんない」しか言わなかったが、長野の写真を見ながら「川が楽しかった」とは言った。あとは「新感染」や「13日の金曜日」の話ばかりだったが、元気そうで何よりだし、妻が言うようにやはり息子はそこそこは楽しかったのだと思う。

 

夕飯時、いつもなら「お茶取って」というのに「お茶、僕いれるね」と自分で動いたことに驚いた。多分、こういうのは3日ももたないのだが、それでもそんな小さな変化が嬉しい。ついでに「言っとくけど、僕、二度とキャンプには行かないからね。騙されたんだから」とニコニコしながら言った。

 

不安と楽しさがごちゃ混ぜになっているのだろう。今後キャンプに行けようが行けまいが、あんな形ではあったが今回行かせて良かったと思った。

 

とにかく今年は息子のことを含め、いろいろあって疲れた一年だった。来年もきっと同じような年になると思う。

 

皆さま、今年もお世話になりました。

来年もよろしくお願いいたします。

 

【妻の1枚】

 

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【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作「百円の恋」が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品「佐知とマユ」(第4回「市川森一脚本賞」受賞)「嘘八百」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「こどもしょくどう」など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が公開中。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『したいとか、したくないとかの話じゃない』(双葉社・刊)。

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