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先日友人と話していて、どういう流れだったか「帝王切開」の話になった。そういえば以前、フランス語のクラスで帝王切開に関する文章を読んだ気がする、と思い出し、久しぶりに引っ張り出して訳し直してみた。

  César, surnom du premier des empereurs romains, vient cædere, couper, car il avait dû sa naissance à une césarienne. Et césarienne ne vient pas de César, comme on le croit souvent.
 ローマ帝国の初代皇帝の称号「カエサル」はラテン語で「切る」を意味するcædereから来ている。彼自身が帝王切開によって生まれたからである。我々がしばしば信じているように「帝王切開」という言葉がカエサルから来ているわけではない。

  La césarienne est une opération fréquemment pratiquée depuis des temps immémoriaux, mais uniquement sur la femme à peine morte. La première qui l’ait été sur une vivante date de l’an 1500 : cette année-là, Jaques Nufer, charteur de porcs à Siegerhausen, en Thursovie, sollicite de… la magistrature locale l’autorisation d’accoucher sa femme, Marie Alepaschin, par une voie artificielle, les médecins et sages-femmes du cru déclarant impossible l’accouchement par la voie naturelle. Il réussit parfaitement son exploit, puisque son épouse eut plusieurs autres enfants par la suite —— preuve de courage en un temps o&ugrav; l’anesthésie n’existait pas encore.
 帝王切開は大昔から頻繁に行われていた手術であるが、瀕死の女性に対してのみであった。初めてそれを生きた女性に行ったのは、西暦1500年といわれる。この時、ツィアーガウ(スイスの北西部の地域)のズィーガーハウゼンの豚の去勢師ジャック・ニュフェールが妻マリー・アレパシンの人工的な方法での分娩の許可を地方の司法官に求めたのだ。地元の医師も助産師も自然分娩は不可能だと判断したためだ。彼の妻はその後も続けて何人もの子供を産み、彼は完璧な成功を収めた。麻酔がまだ存在しなかった時代の勇気の表れである。

  La même opération sera tentée, parfois avec succès, au cours du XVIe siècle et après. Ambroise Paré, puis François Mauriceau s’élèveront contre cette pratique, cruelle à l’époque. Même durant la première moitié du XIXe siècle, cinq opérées sur six y laissaient la vie : il faudra attendre 1880 et les progrès de l’asepsie pour que la tendance se reverse complètement. La césarienne dite « haute » devient alors courante, mais l’opération reste dangereuse. A partit de 1920, la césarienne « basse », appelée ainsi en raison du changement du point d’incision sur l’utérus, en fait une intervention dénuée de risque.
 16世紀以降、同じ手術は幾度か試みられ、いくつかは成功した。アンブロワーズ・パレとフランソワ・モリソーは、この手技を残酷だとして批判した。19世紀前半でさえ、6人中5人がこの手術で命を落とした。この割合が完全に逆転するには、1880年に無菌処理法が開発されるまで待たなければいけない。「高い」帝王切開が一般的になったが、それでもまだこの手術は危険であった。1920年から、子宮の切開の位置の違いにより「低い」帝王切開と呼ばれる手技がリスクを軽減するのに一役買ったのである。

日本語の「帝王切開」という術語は明らかに皇帝カエサルを意識した訳だ。明治時代にこの語を訳した人(実際はおそらくドイツ語からの訳だと思うけど)が語源を勘違いしたのだと思う。この文章によれば、逆に「カエサル」という名前こそが帝王切開から来ているという事になる。

大昔の帝王切開は今とは全く違っていた。
現在はリスクの高い妊娠によって起こる母親への負担を軽くするために行う手術だけど、かつてはほぼ死にかけの母親に対して、子供だけでも助けるための手術だった。だから帝王切開をするという事は、母親は殆ど見殺しだった。書かれている通り麻酔もなかったし。

そして授業の時に一番驚いたのが、生きた母親に対して最初に帝王切開を行ったのが医師ではなく豚の去勢師だったという事だ。
その昔、大学で学問を修めた「医師」というのはつまり内科医の事だった。
現在の外科医の仕事は、街の肉屋さんだったり床屋さんだったり、要するに日常的に刃物を使う人たちの仕事だった。

僕が大好きなロッシーニのオペラ「セヴィリアの理髪師」の中で理髪師のフィガロが歌う歌の中でも、「瀉血」とか言ったりする。
理髪師で街の何でも屋(医療行為までこなす!)のフィガロは、権威をバリバリ身に纏った「医師」のドン・バルトロを散々コケにする。それも伯爵のアルマヴィーヴァを変装させたりさせながら。
これは元はフランスの戯曲だけど、この戯曲が当時大はやりしたのは、こうした内容が贅沢な貴族階級にうんざりしていたフランス革命前夜の市民にドンピシャで受けたからなんだとか。「セヴィリアの理髪師」がフランス革命を起こしたと言っては言いすぎか。

The_Anatomy_Lessonともあれ、ヒトの身体を切ったり貼ったり、血を見るような仕事は「高尚な」医師の仕事ではないと考えられていた。だから大学の医学教育の中で、「解剖学」がきちんと教えられるようになるのは16世紀のルネサンスの頃だ。アンドレアス・ヴェサリウスという人がボローニャ大学で行った解剖学の講義(ひとつの遺体を先生が解剖しながら生徒に見せるというスタイル)は当時としては画期的だったはずだ。(参考資料:レンブラント《テュルプ博士の解剖学講義》)
このヴェサリウスがこの頃出した人体解剖図はそれはそれは見事なもので、殆ど現在でも通用すると言われている。”Vesallius”で画像検索すれば沢山出てくるけど、筋肉の塊や骸骨が色々なポーズを取っていてとても美しく描かれている。

当時の普通の(大学で医学を修めた)医者は、人体の構造なんて知らないのが当たり前だった。当然、日常的に刃物を使う人たちの方が人体の内部構造には詳しかったから、西洋の外科医学はこういう街の外科から発達していった。
たとえばロンドンに拠点を置く英国王立外科医師会は、昔のロンドンの理髪師のギルドから発展した団体で、この学会では現在でも外科医に対する正式な敬称はDrではなくMrと定めている。
この文章に登場するアンブロワーズ・パレという人物も、外科医学史には必ず登場する有名な床屋外科医で、「近代外科学の祖」とも言われている。

かねてから「悪い所があるなら切っちゃえばいいじゃん!!」とか思いつくなんてよくよく考えたらかなり野蛮だよなー、と思っていたけどそういうわけだ。

話を帝王切開に戻す。
滅菌も麻酔も出来ない中での帝王切開は、今よりもずっと危険な手術だった。そもそも、出産自体がそれなりにリスクの高いことだったし。
文章中、「高い」「低い」という言葉が登場する。
これは、帝王切開の時の子宮の切り方の種類の事だ。「高い帝王切開」というのは、子宮の上の方から縦に切る方法、「低い帝王切開」というのは子宮の低い位置で横に切る方法だ。
これはよく話題になる「お腹を縦に切るか横に切るか」という話ではなく、「子宮をどのように切るか」という話だ。
現在では、お腹をどのように切っても子宮自体は横に切る事が圧倒的に多いのだそうだ。縦に切ったり、縦横に逆T字型に切ったりするのはあくまでも緊急の場合にしかしないらしい。

さて。
当地フランスでは、出産の際「無痛分娩」を選ぶ事がとても多いのだそうで。
要は、麻酔を使って痛みを消して行う分娩、もしくは帝王切開によって行う分娩のこと。他ブログの記事など見ても、何も言わなければ無痛分娩になるのだとか。
出産で必要な痛みとはいえ、無用に苦しいのは避けるべきと考えるのがヨーロッパの考え方なのだそうだ。僕は男だから出産をする事はないけれど、痛くないのはイイね!と単純に思ってしまう(←痛いの大嫌いな痛がりw)
それとフランスに関して言えば、1971年に普仏戦争で負けて以来、もう100年以上も国を挙げて少子化対策をしている事もあるだろう。要するに、出産が痛いものではないという風にする事で出産を躊躇する若い女性を後押ししているのだ。
日本では「痛みを我慢する事の美徳」などが語られる通り、痛みを取り除くというような事はあまりしたがらない。特に出産は「自然に任せるのが一番いい」と考えられているから、無痛分娩は今でもあまり一般的ではないのかも。
ひと昔前は「帝王切開で産まれた子は我慢強くない」とか言われた時代もあったらしいけど、もちろんそんなのは関係ない。

日本では基本的に母体に危険があるような場合にしか行わない帝王切開も、フランスでは割とバンバンやっちゃう。
「(子宮ではなく)お腹をどのように切るか」という話をしたけれど、フランスでは横が選ばれる事が圧倒的に多いのだそう。お腹の低い位置を横に切るため、出産を終えても傷が目立たない(もっと具体的に言えばビキニが着られる!)ということがその理由らしい。
日本だと縦に切る方が比較的簡単だとかで、縦に切る事も割とあるみたい。ざっと検索した所では、横に切る帝王切開をやっていない病院もあるようだ。最近の若い女性で帝王切開になりそうな人は、Yahoo知恵袋的な質問サイトでは圧倒的に横を勧められている。

実際、割合はどれぐらいなんだろう。半々くらいかな。

フランス語のクラスで使ったこの手の文章、他にもいくつかあるからまたこういう記事を書いてみよう。
久しぶりに色々調べたりして楽しかった。こうしてパリの夜は更けてゆく…(ΦωΦ;)