「足立 紳 後ろ向きで進む」第19回
結婚19年。妻には殴られ罵られ、ふたりの子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々——それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!
『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。
【過去の日記はコチラ】
10月2日(日)
娘、先週の辛い出来事があり(9月26日の日記を参照ください)野球の練習は行かないかもしれないなと思ったが行った。
前日の夜、娘は野球ノートに珍しく抗議文というのか、「試合に出れなくて悔しかったし、悲しかった。でも、頑張ってファウルボールを追いかけた」と素直な気持ちを吐露していた(こういうことを書いたのは初めてだ)。私としては「よく書いた!」と思い、娘を誉めたのだが、監督からの返信はサインだけで絶句した。
勇気を振り絞って書いた娘の気持ちを思うと、ぶち殺してやりたくなるが、もしかしたら、この監督は人の気持ちをうまく想像できないタイプかもしれない。だとしたら嫌味でなく、どんなにこちらが腹を立ててもしかたがない。中学生女子を怒鳴ることもなく、楽しそうに練習させてくれているという良い面だけを見るか、娘がチームを変えるかだ。無理に理解しあおうとしたり、こちらの考えだけを押し付けても、断絶が起こるだけだ。こんな書き方をすると上から目線のように思われてしまうが、愛のある放置という人間関係が一番だろう。娘がいよいよいたくないとなれば、辞めるかチームを変えるかで解決することだ。未熟な私は今後もイチイチ腹を立てる姿が目に浮かぶが。
『ベイビーわるきゅーれ』(監督・阪元裕吾)鑑賞。
10月7日(木)
健康診断。区の無料のやつだ。去年よりも身長が2センチほど縮み、体重は2キロほど増えた。尿酸値と中性脂肪、減っていてほしいがたぶん横ばいだろう。なんの対策もとっていないのだから。
ドイツのモモちゃんからチョコレートやグミや入浴剤やキャットフードが届く。6年前、ドイツの映画祭でボランティアをしていた彼女と知り合った。生まれも育ちもドイツの日本人だ。来日するときはこの狭い我が家に泊まるのが恒例となっていたが、コロナ禍でもう2年会っていない。彼女が描いてくれた絵が我が家の特徴を捉えていて面白い。こんなふうに見てくれているのもうれしい。
そして毎度のことだが、いただいたチョコが美味しすぎて一気食い。日本のチョコレートより濃厚で鼻血が出そうになるが、止まらない。
10月9日(土)
息子の運動会。去年と同じ2学年ごとのミニ運動会。運動会大好き人間の私としてはこの形の運動会は寂しいが、大嫌い派の生徒や親にとってはこの形が良いだろう。たとえコロナ禍が終わったとしても、運動会の形がすんなりと元に戻ることはないような気がする。それは運動会だけではないだろうが。
息子も運動会はあまり好きではないが、最近ようやく全力で走れるようになり(今までは身体に力を入れられなかった。体幹がしっかりしていないのも発達障害の特性だ)、徒競走はギリギリの1位でゴール。でも、走るときは真下を向いてしまう。前を見て走ればもっと早く走れるよとアドバイスするのだが、「怖くて前は向けない」と言うのだ。
自分が1位になるわけなどないと思っている息子はゴール後、2位のところに行こうか3位のところに行こうか(3人で走った)迷っているようだったので、「1位だったぞ!」と声を出さずに見てくださいという禁を破って声をかけたが聞こえておらず、2位と3位の間の中途半端なところでずっと佇んでいた。
その後、かけっこよりも苦手なダンスも一応クリア。毎年運動会前はダンスの振り付けを覚えることがストレスでまぁまぁ荒れる。普段より先生がピリピリして、大声も出すし、怖いと言うのだ。息子は聴覚過敏でもあり、大きな声や音が大の苦手だ。家でも私や妻が少しでも怒るとすぐに両手で耳をふさいでいる。
息子はダンス自体は好きで、ダンス教室にも通っているが、毎年運動会のダンス練習が始まるころになると、ダンス教室のほうへも行かなくなってしまう。
何年か前に運動会の組体操を中止にする動きが一気に加速したことがあったが、こういう息子を持つ私としては、ダンスは自由参加とさせてほしいと思ってしまう。もしくは親も参加のものすごくゆる~い「マイムマイム」で十分なのだが。
『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』(監督・豊島圭介)鑑賞。
10月14日(火曜日)
今日は『拾われた男』というドラマの制作発表があった。今年は映像関係の仕事はほぼこれしかやっていない。原作は松尾 諭さんが書かれた同名のエッセイだ。
原作からしてとても面白かったが、ドラマもかなり面白いものになるのではないかという手ごたえがある。NHKとディズニープラスの共同制作で、見られるのは来年になってしまうが、全世界にも配信もされる。流行のゲームっぽいドラマではなく、バリバリの人間ドラマコメディだ。これが世界で通用すれば、私としては大きな自信になる。ご期待ください。まだ書いてるけど……。
そして、ちょっと恥ずかしい話なのだが、ここ数日、いや数週間、いや数か月、お尻が痒くてたまらず、搔きむしっていたらお尻の皮膚がボロボロになったので皮膚科に行った。
実はこの痒みは昨年からだ。昨年の夏前くらいから「あれ? なんかケツが痒いなあ」と思っていたところ、真夏になるころには痒くてたまらず妻や娘からも「ねえ、なんでお尻ばっかかいてんの? 見たくないのに目に入るし、そのボリボリ音、とてつもなく不愉快なんだけど」と言われていた。ウナとかムヒとかそんなクスリでごまかしつつ、寒くなってきたらいつしか痒みは消えていたので忘れていた。
ところが、今年も夏前くらいからもぞもぞと痒くなってきて、真夏にはその痒さがやはり増してきて、しかも、ウナとかムヒではもはやしのぎきれず、薬局で売っているあらゆる痒み止めを買ってきては塗りたくり、もう市販の痒み止めで使っていないものはないということころまできて、キンカンをこすりつけて部屋中のたうち回るほどの痛みに耐えていた。それでも1時間もすると痒みが復活してくる。夏が過ぎても痒みがまったくおさまらないどころか夜も眠れなくなってきて、妻にお尻の写真を撮ってもらい、その写真を見てドン引きした私はようやく病院に行くことにしたのだ。
いつもどこかしら具合が悪くなると、行く病院を探すのは妻に任せきりなので、今回は絶対に男性の医者選んでくれと強くお願いした。
そして本日、妻が探し出してくれた男性医院長先生の皮膚科(お尻の痒みに対して権威っぽいと妻は言っていた)に行ってきた。しゃれたビルの中にあるその病院に入ると、5、6人ほどの若くて美しい受付嬢の方々に迎えられ、何だか妙にゴージャスな雰囲気で照明も目が潰れるくらい明るい。待合室と言うよりはこじゃれたホテルのロビーのような場所で、待っている患者さんもすべて若い女性だ。なんとそこは美容系の皮膚科だったのである。正直この時点でかなりキョドッてしまい、逃げようかと思ったが、ここで引き返したら完全に変人なので、心を無にしてロビーの片隅で佇んだ。
スピーカーを通して「○○さん、3番の診察室へどうぞ」などと患者さんを呼ぶ声が聞こえてくる。男性の声と女性の声がかわるがわるだ。つまり、女性のお医者さんもいらっしゃるのだ。どうか男性のお医者さんに呼ばれますようにと手を合わせて祈り続けたが、鈴のような美しい女性の声で「足立さーん、2番の診察室へどうぞー」と呼ばれてしまった。その瞬間に目の前にシャッターがおりたが、もうこれは風俗だと思い込むしかないと気持ちを切り替えて「こんにちはー」と明るく診察室に入って行った。
年のころは30代半ばだろうか、一見して「う、できる」という聡明な雰囲気を醸し出したその女性の医師は、微笑を浮かべながら、「どうされました?」と聞いてきた。
「いやー、なんかお尻がすごく痒くて、妻にヤバイ色になってるから医者行って来いって言われちゃって。ヒヒヒ」
「あらー。じゃあちょっと見せてください」
「えーと、このベッドに寝そべればいいですか?」
「寝そべんなくていいです。クルッと回って見せてください」
私は言われた通りにクルッと無駄に大きな動きでもって回って、お尻を向けるとべりっとズボンとパンツを同時に脱いだ。
「あー、これは……」と言いながらお医者さんは私のお尻をさわさわとさわり皮膚を削り取った。
そのあとのことは食事中の方もいらっしゃるだろうし、私のプライドにかけても言いたくないが、とりあえず診断がおりてクスリをいただいた。
『姫君を喰う話』(宇能鴻一郎・著)読了。
10月20日(水)
妻と高校教師。今日は前回の授業で書いてもらった「私の良いところ、嫌なところ」を発表し感想やら意見を述べ合う。
授業を進めているとスーツの男性がふたり入って来たので「ん?」と不思議に思いながら生徒たちと話していると、1限が終わったところで、本日は研究授業で校長と教頭が来ていたことが判明。なんの挨拶もしていない。『14の夜』を見せていた授業でなくてよかった。
今日は授業前のランチに行けなかったので、授業後に高校近くの焼きトン屋に軽く一杯飲みに行く。飲み屋でお酒を飲めるようにもなり、私は久しぶりの焼きトン&サッポロラガーでテンションも上がるが、なぜか妻の機嫌が悪い。聞くと、授業中の私の態度が良くないと怒り出す。
妻の発言中に、私がパワハラを発動し、高圧的な態度で妻の言葉を遮ったらしいのだが、そんな態度を取れば妻は場所もわきまえずにキレるから気をつけているし、かわいい生徒たちの前でそんな醜態をさらさない程度の常識は私にもあるつもりだ。
あ、常識という言葉は使いたくないな。きっとこの言葉は数年後には使えなくなるだろう。なぜなら非常識な人というのは、そうなりたくてなっている訳ではないことが分かってくるはずだ。だからパワハラはしている側は、していることに気づいていないことも多いのだ。もしかしたら、私も知らず知らずのうちにそんな態度になっていたのかもしれない。
そこから派生して「アンタの外面の良さと、私への虐待のギャップにいい加減うんざりだ」と妻はヒートアップ。パワハラにパワハラで返されているような気になってくるが、外面が良いのはお互い様だ。止まらない妻の罵詈雑言を聞いているとあっという間に息子の習い事の迎えの時間になる。妻の罵詈雑言が酒の肴という究極の無駄飲みをしてしまった。
帰り際、罰でも当たったのか、妻のおろしたての秋物コートがハンガーにないことが判明。コートの特徴をお店の人に言うと、30分ほど前に退店した我々の隣の席に座っていた泥酔中年オヤジ2人組が着て帰ったと教えてくれた。普段ならザマミロと思うところだが、あのコートは妻に良く似合っていたので私も残念無念だ。
『相米慎二 最低な日々』(相米慎二・著)を読む。
10月21日木曜日
友人のAが大変な状況に置かれている。Aとは映画学校時代からの友達でいろいろと苦楽を共にした仲だ。8年ほど前に結婚し、いきなり20歳の引きこもり気味の長男と大学受験を控えた高3長女の父親となった。Aは6年前に縁もゆかりもない長野に移住して、それからは連絡をあまり取り合っていなかったが、来月、長野のうえだ城下町映画祭に行くので、妻がAに連絡を取ったのだ。それでAの近況が分かった。
彼の状況を一言で言うと、親の介護と離婚問題を同時に抱えている状態だ。今、奥様は家を出てしまっており、Aは意思疎通のできない寝たきりのお母さんの胃ろうをしながらひとりで在宅介護をしているとのこと(お父さんは長野に呼び寄せ、施設に入れ、週一で面会に行っているらしい)。妻とAのLINEのやり取りを見せてもらったが、「うわ、ものすごく大変そうだ……」というアホな言葉しか出てこない。私なら耐えられず鬱になってしまいそうだ。幸いにして私の両親はまだ元気だし、妻とはケンカも多いが今のところ離婚話は出ていない。だが、いつ降りかかってきてもおかしくない問題だ。
周囲にはいろいろな苦労をしょいこみながら生活している人が多くいるが、そういう人を見ていると、人間の生命力というのはかなり強靭なものだなと私は思う。もちろん、これだけ自殺率の高い国なのだから、生命力があるとは簡単には言えないのかもしれないが、それでもそう思う。よく生きているよなと。
私は49歳になるここまで苦労というものを知らずに生きてきた気がする。強いて苦労と言えば20代後半で撮影現場の仕事をやめて、脚本で食っていこうと思ってから41歳になるまでほとんど仕事がなかったことくらいか。それとてアルバイトでしのげたし、怒声を浴びせながらも一緒にいてくれた妻がいたから、眠れない夜もたまにはあったが、わりに平気だった。たいした苦労ではない。だから、これから来るであろう苦労が怖くてたまらないという取り越し苦労をしている。
でも、もしかしたら私の仕事が全然ない41歳までの状況を苦労というか、悲惨な状況と見る人もいるかもしれない。
人それぞれ「苦労」とか「大変」と感じる状況は違うだろう。介護と離婚をダブルで抱えてしまったAの問題は、私にとっては問答無用に大苦労と感じる。でも、そこに子どもの引きこもりも加わる人も世の中にはいるだろう。それでも何となく元気に生きる人も多くいる。そういう生き抜く力というものは、どうすれば育つのかと考えると、やはり自己肯定感を持つことなのだろうなと思う。
私の場合は20代後半から41歳までのヒモのような時期にも、ことあるごとに「あんたにはそうやってヤドカリみたいに生きる才能があるのよ」と母から言われた。横で聞いていた妻はテーブルをひっくり返しそうな顔をしていたが、そんな妻に「ねえ、アキコちゃん、面白いでしょ、この子。アキコちゃんもなかなか味わえないわよ、こういう状況は。紳と結婚できてラッキーよ!」などと言っていた。つまり、否定されなかった。あのときの私の状況を見れば、「いいかげんに働きなさい」と説教をする親のほうが多いのではないか?
考えてみれば、私は親に否定された経験がない。「だからお前みたいな人間ができたんだよ」と妻からは言われるが、もしかしたらそれは大きなことだったのかもしれないと今は思う。妻だって、ストレス解消のために罵詈雑言は浴びせてくるが、本気で私のことを否定していれば出て行くだろう。
Aにも私と同じような匂いを感じるのだ。妻とのLINEのやり取りの最後のほうで、「辛いから電話で話させてもらっていい?」と書いてあり、「おい、相談すんのは俺じゃねえのかよ!」と思った。普通、友達を通り越してその奥さんに相談するか!? と思ったけれど、Aからしたら妻のほうが話しやすいのだろう。私には友人を通り越して、友人の妻にものごとを相談するというメンタルはないから、そういうメンタルを持っているAが羨ましくもある。
小説家を目指していたAは過去形ではなく今でも目指していた。毎年新人賞に応募しているとのこと。やはり強い生命力を感じる。
妻とAは、この晩4時間半話していた。
10月24日(日曜日)
夜、息子の誕生日の夕飯を家族で食べに行く。息子が好きなステーキ店だ。
本当の誕生日は来週だが、私が来週はほとんど家にいられないために、今日行くことにしたのだ。
店に行くまでに、息子は明日までの宿題を終えていなかった。金曜の晩も土曜日も今朝も暇な時間にやってしまえと言っていたのだが、宿題が地獄の時間の息子は先延ばしにし、「お店で宿題をやる」と言い出して、店に宿題の道具を持って行った。嫌な予感がしたが、案の定、店で癇癪が出てしまった。自分の宿題が終わるまで私も妻も姉も一切口を開くなと言うのだ。だから私と妻と娘は黙った。少しでも口を開けば息子が「口を開かないで!」と目に涙をためて睨みながら大声で言う。30分以上は黙っていたかもしれない。もし、我々がお構いなしに話せば息子は満員の店内で泣き叫び暴れるだろう。
宿題がやれていないこと以外にもこうなる予兆はあった。食事に行く直前に野球から帰ってきた娘が、練習試合とはいえフル出場し3打数2安打の結果を出してハイテンションでそのことをベラベラと話し出した。私と妻も当然よくやったとその話を聞きながら娘をほめちぎる。すると、宿題ができていない息子が、必死に姉の話を遮ろうとする。野球の練習に行けなくなった息子は(好きではなく姉がやっているからやりたいと言い出しただけだから、そうなることは分かっていたが)、姉の野球話を聞くのがイヤなのだ。「どうせ自分だけがダメ人間」という思考に陥ってしまい、案の定、脳調(脳の調子)がおかしくなり、そのまま店に行ってしまった。
娘はお店でも今日の様子をいろいろと話したそうだったが、店内で暴れる弟の姿が想像できるので、じっと我慢して黙る。そして妻と私も我慢して黙るしかない。
今、これを読んでいる方の中には息子のことを「甘やかし過ぎだ」とか「ガツンと怒れ」と思う方も多いかもしれない。私だって1年前まではそう思っていて、こんな状態になった息子を怒鳴り、時にはカッとなって手を出したこともある。だが効き目はなかった。どうして怒られているのか息子は理解できない。そういう態度を取るべきではないというところには想像が及ばないのだ。ただただ「僕なんか死ねばいいってことでしょ!」と泣き散らし、最後に残るのは恨みだけだ。
息子のこの症状は近ごろどんどんひどくなっていて、気持ちのコントロールがほぼできない。通っていた療育をやめるのが早過ぎたかと、また通わせてほしいと電話をしたが、すでにいっぱいで順番待ちだ。同じような子を通わせたい親御さんもものすごく多いのだ。
手先が不器用な息子は鉛筆を持って漢字の宿題に向き合うだけでも癇癪を起こすし、リコーダーの練習でも同様だ。将来はパソコンかスマホ入力さえできればいい時代になるだろうし、漢字もリコーダーもやらなくても構わないと私と妻は言うが、やらないということも息子はできない(先生に怒られるという恐怖に結びついてしまう。強迫観念が恐ろしく強いのだ)。だから嫌なことをしなければならない時、癇癪につながりやすい。そして、癇癪起した後は自己嫌悪になり「僕なんかいなければいい、死ねばいいんだ!」という自己否定と「パパとママは世界一嫌いだ!」という親否定が始まり、それが終わると、放心したように鬱状態になる。そして最後にはヘトヘトに疲れて寝てしまう。
寝ているその顔は天使のようでかわいくてたまらないが、癇癪中は悪魔に見える。悪魔の時の息子はそうとう苦しいだろうと思う。一見、普通の子なので余計に生きづらいだろう。他人の気持ちを考えられない言動は悪目立ちもしてしまうし、親の我々でも対応に困り、激しくムカついてしまうのだから、小学3年の同級生は言うに及ばず、「そんな態度は許せない、ちゃんと叱らないと!」と言う周囲の大人や先生もいる。今後、社会に出た時に許容される場は少ないだろう。怒りや落ち込みのコントロールができないままに年を重ねていくと、家庭内暴力や自傷行為が始まる可能性だった大いにある(その前兆も感じられる)。
発達障害を持った人の二次障害では自殺率も高いと聞くし、きっと自殺率だけでなく、他人を傷つけたり、傷つけられたりする率だって高いはずだ。正直ものすごく不安になることもある。
ステーキ店でなんとか宿題をやり切った息子は、自分の癇癪などなかったかのように満面の笑みで今度は自分の好きなアニメのことをペラペラと話し続けた。そんな弟に娘が腹を立てるのもよく分かる。だが息子は本当はものすごい自己嫌悪にも陥っているのだ。
自己嫌悪のないパターンの発達障害もあるらしいのだが、我が道を行く系のそちらのほうがはるかに良かった。
家に戻って、明日の学校の用意をしようと言うと「明日は学校に行かない」と言い、『プレデター』を見ながら寝てしまった。弱っちくて同級生たちからバカにされているところもあるから、シュワルツェネッガーへの憧れも強いのだ。
10月25日(月)
昨日の宣言通り、息子は学校に行かなかった。「明日は行かない」なんて言葉は今まで何度も出てきているし、行き渋りだって何度もある。そんなときはほったらかしにしておくと、「やっぱり行こうかな……」と言い出して、遅刻して行くのが息子のパターンだったのだが、今日は行かなかった。もちろん今までもズル休みはしたことがあるが、今までのズル休みとちょっと違うなと感じてはいた。「行かない」という言葉に今までにない強い意志が感じられ、その言葉を発したあとは、ボーっとしていた。
それでもほっとけば「やっぱり行く……」と言い出すかなと思ったが、結局息子は布団にくるまって、猫を抱きながら窓外の児童公園で遊んでいる幼稚園児をぼんやり眺めたり、学校から配られたタブレットをボケっと眺めていた。
そんな息子を眺めながら仕事をするのは精神的に激しく追い込まれるので、2階で仕事をしたが、下で息子はどうしているかなと思うとほとんど手につかない。自宅での仕事中は暇さえあれば見てしまうエロ動画や「さっchannel」も見る気にならなかった。
途中、アンケートのおばちゃんが来たので、ハゲとか男性化粧品についてのアンケートに答えて2000円の図書カードをゲット。
アンケートのおばちゃんとは10年来のお付き合い。いろいろと悩みの尽きない私ではあるが、顔がちょっと明るくなったと言われた。10年前はどんな顔をしていたのだろうか。
10月26日(火)
息子、今日も学校行けず。私は昼から打ち合わせがありどうしても外出せねばならず、家を出る時間に外で仕事をしている妻に帰ってきてもらう。
仕事に出るときに「送ってくから学校行くか?」と聞いたら「僕は学校が大嫌いなんだ!」とわめいた。
足取り重く打ち合わせに向かう。夕方近くまで、同じ会社で別の企画の打ち合わせを2件こなすが、頭の片隅には息子のことがチラついてしまう。
夕方までの打ち合わせ後、家に戻り、期日前投票に行ってから、今度は娘の塾の面談。落ちるところまで英語の成績の落ちた娘をついに塾に通わせようと思うのだ。
体験授業を受けている娘を待ちつつ、私よりも20歳くらいは若そうな塾の室長と、私よりも15歳くらい若そうなその上司(本部の人間)と話す。
「娘さんが特にやりたいことが現段階でなければ偏差値の高い学校に行っといたほうがいいですよ。そのほうが選択肢広がりますから」と綺麗ごとではない言葉を平然と言う様子に好感を持ったが、体験授業を終えた娘は「ここの塾は嫌だ」と言った。理由はその若者たちの話し方にカチンときたかららしい。なかなか親と意見は合わない。
その後、22時半発の深夜バスでロケハンに行くために21時過ぎに家を出る。
仕事や子どものことで激しく消耗した1日のラストが苦手な深夜バスなので、乗る前からもう車酔いのような状態で気分がすぐれない。バスの中ではイヤホンつけて落語を聞いていたが、あまり耳に入ってこなかった。
10月27日(水)
初老には骨身にこたえる車中泊をへて早朝5時過ぎに富山着。そのまま鈍行に乗って岐阜県に入る。
来春、飛騨市で映画を撮影するのでそのロケハンだ。朝の6時半に市役所の方が迎えに来てくれる。申し訳ないとしかいいようのない時間だ。
そのままロケハンに突入。探してもらった物件や風景を見ていると、早く撮りたくてウズウズしてくるし、気分も高揚してくる。一時、息子の状況のことを忘れるが、妻からLINE。「今朝は学校に行こうかどうか迷っていたが、結局動けなかった…鬱の人みたい。布団にくるまってご飯も食べない」とのこと。
3日連続丸休みは初めてだ。このまま行けなくなってしまうのだろうかと重い気持ちになってしまうが、世の中には家に不登校の子を残して外で働かざるを得ない人は多くいるだろう。すっきりしない気分のまま働くというのは非常に疲れるが、それでも頑張っている人も多くいる。私も逞しく生きねばとは思いつつ、49歳にしての「逞しデビュー」などできるのだろうか。自信は全くない。
夜、宿で横になっていると、妻から息子に関しての長い長いLINEがくる。そうするしかないと言葉では私も分かっている内容だ。妻だって、すぐにそうできるとは思っていないだろうが、自分自身に言い聞かせているところもあるのだろう。
結局、私は息子の立場に立てていないのだ。息子が不登校だと私は疲れる。だが、息子は私の何百倍も疲れているのだ。それを私は想像してやれない。思いやれない。もちろん想像し、思いやろうとはしているが、たいして思いやれていないのは自分が一番よく分かっている。息子すらも思いやれないのだから、他人を思いやることなど微塵もできないだろう。
世の中には、本気で他人を思いやることのできる人がいる。そういう人がいるから、地球は今のところなんとか滅亡せずにすんでいるのだろう。
眠れなくなり、スマホで落語を聞くが、頭にまったく入って来ない。気づくと「不登校 小学3年生」などというキーワードで検索している。最近はエゴサーチよりもこの検索のほうが多い。
検索にも疲れ果てるが、寝付けない。少しでも眠ろうと、これまでバカにしまくっていた心を癒すヒーリング音楽というものを聞いてみた。不妊治療時に見た私の弱々しい精子をさらに弱々しくしたようなものが動いている動画もついていて、いつしか眠りに落ちた。
10月28日(木)
ロケハン2日目。眠ったのは夜中の3時を過ぎていたが、ヒーリング音楽のおかげか心穏やかに6時過ぎに目が覚めた。
6時半くらいに散歩に出て、街を歩き回る。どこかいいロケ地はないかとひとりでウロウロするこういう時間が私は大好きだ。8時過ぎまでウロウロして良き場所をいくつか見つけた。
そして妻からLINEが入る。今朝は先生が迎えに来てくれたとのこと。息子に「先生が来る」と言ったら泣いて激しく抵抗したが、玄関前で先生に抱きしめられたら少し落ち着いて、結局肩を落として涙目で学校に行ったとのこと。そういうやり方が正解なのか不正解なのかは分からない。不登校で検索していると、休みたいだけ休ませてもいいとか、休みすぎると行けるタイミングを失ってしまうとか、様々な意見がある。それでも「行った」という事実に私はまた息子の状態を忘れ、自分だけが安心している。
14時近くまでいろんな場所を見て回り、15時過ぎの電車で帰京。帰りの新幹線内はほぼ気絶していた。
品川で妻のLINEに気づく。息子は4時間目で早退してきたとのこと。それでも「校長室入っちゃった! ソファに座らせてもらったんだぜ!」と大声でハイテンションだったらしい。少しだけ気が楽になる。
20時、家に着くと息子が「あ、僕の嫌いな人が帰ってきた」とうれしそうに言った。3分の2は本気、3分の1はうれしいのだろう。
前述のように、今日は先生が迎えにきてくれて学校には行けたのだが早退した。早退後のことを妻から詳しく聞くと、「校長室に入った!」とハイテンションで帰るなり、ゲームを持って家を出て、校門前にしゃがみこんでゲームをしながら学校が終わるのを待っていたらしい。そして下校してくる友達に「遊ぼうぜ」と声をかけたが、誰にも相手にされなかったらしい。
「なぜだと思う? 3日休んだあとに早退したくせに、すぐに校門で待っているのはおかしいよね? みんなは6時間授業頑張ってるんだから『ズルいな』と思っちゃうよね?」と話して聞かせるが、すぐに息子は両手で耳をふさぎ「どうせ僕がダメなんでしょ! 死ねばいいんでしょ!」が始まる。
息子が感じている辛さや苦労をうまく想像はできないが、もらえるものならもらってやりたい。
10月29日(金)
福岡インディペンデント映画祭に参加するために朝の5時45分に家を出た。私は飛行機が嫌いなので、極力国内の移動は新幹線でする。
昨日戻って来たばかりのロケハンの疲れはまったく抜けていないが、映画祭は楽しみだ。楽しみなのだが、息子のことがやっぱり気になる。
新幹線の中で仕事をしていると、妻からLINEが入る。今日も先生が迎えに来てくれて、とりあえず行くには行ったようだ。
昼過ぎに博多に着く。キャストの松木大輔君とスタッフの小山修平君と合流し、写真撮影が禁止のなんとかという名前のうどん屋で長蛇の列に並んでうどんを食べてから、映画祭の会場に向かう。
会場で映画祭実行委員の太田ちんと1年ぶりに再会。太田ちんは学生時代の同級生で、3年間ほど一緒に住んでいたことがある。彼が我々の『稽古場』という作品を映画祭に呼んでくれたのだ。
『稽古場』の上映は明日だが、今日は他の作品などを観たりして、夜はその作品の関係者たちと食事をした。こういう場は久しぶりだったので大変楽しかったが、ロケハンからの疲れもドッと出て、早い時間に撃沈してしまった。
10月30日(土)
午前中は宿で仕事。太田ちんの宿泊している民泊に一緒に泊めてもらっている。
仕事をしていると、妻から息子のことでLINEが入る。息子が朝から大癇癪(土曜も日曜も遊ぶ約束があるから、土曜の午前中に宿題終わらせちゃおう、と声をかけたら癇癪が出て、その息子の態度に娘が「うるさいよ、なまけもの!」とキレたら、息子が爆発した、とのこと。野球も部活も学校も頑張っている娘には息子が我がままにしか見えず娘も耐えられなかったのは察せられる)。
息子は「家族全員ぶっ殺してやる!」という暴言を吐いて、祖母から誕生日にもらった一万円札を握りしめて家を飛び出してしまったらしい。お金だけは取り返そうとしたら、キレまくって諦めたとのこと。あの妻が諦めるのだからこれはよほどの癇癪を見せたのだろうと想像すると、一気に憂鬱になり、とりあえず妻に電話。詳細を聞くがどうしようもできない。悪魔祓いをしたいくらいだと妻は嘆いていた。
話を聞いてへこんだ私は、完全に仕事をする気は失せたが、締め切りがあるので脳を空白にして書く。笑える状況や言葉を書いているときだけ、一瞬、息子の状況を忘れることができる。この一瞬を積み重ねていく日々が続くのかと思うと気が重い。
昼過ぎに『稽古場』のもうひとりの監督、窪田将治監督と合流(『稽古場』は窪田将治監督、中村義洋監督、私のオムニバス映画だ。12月4日より横浜シネマリンにて公開)。
キャストの松木大輔君も含めて3人でラーメンを食い、会場に向かう。
『稽古場』の上映まで他の作品を見ていると、妻から「娘の野球送迎を終えて色々探し回ったが夕方になっても息子が帰って来ない」というLINEが入り、心配でたまらない。
そして『稽古場』の上映10分前(18時過ぎ)に妻から息子が見つかったとLINE。この夏によく遊んだ保育園時代の友達の家に行っていたようだ。友達のお母さんから妻に送られてきた写真も添付されていて、公園のベンチで息子がカップラーメンとファンタを持って満面の笑み。ベンチの周囲には小銭と千円札が散乱しているとのこと。おそらく持ち出した1万円で買ったのだろう。頭が痛くなる。
続けて妻から「今、電話で話せるか?」とLINE。上映まで残り5分を切っていたが、私からかけた。妻の話によると「息子は絶対に家に帰りたくない」と友達のお母さんに言っているとのこと。頭痛が増す。ここ1週間の息子の壊れっぷりのスピードに追いつけない。だが私はロケハンやら映画祭やらで今週はほとんど家にいられていない。目の前でそんな息子と対峙している妻はもっと苦しいだろう。息子は結局友人宅に泊まらせてもらうことに。
しかし、これはれっきとした家出ではないか……。小学3年でこれでは先が思いやられる。これはもう明らかに二次障害が出はじめているのだろう。二次障害とは自分では一生懸命やっているつもりなのに、学校や職場などで叱責されたり注意されたりして自己嫌悪に陥ったり、大きなストレスを抱えたりすることだ。例として、不登校、非行、暴力・うつ・反抗挑戦障害、ひきこもり、強迫性障害、依存症、などが引き起こされる。
電話を切り、暗い気持ちになりながら『稽古場』を観た。関係者以外の目に触れるのは今日が初めてだ。こんな気持ちで観たくはなかったというのが正直なところだが、客席からは笑い声がよく聞こえていた。
上映が終わりトークになだれ込む。福岡に来られなかった中村義洋監督や他のキャストもオンラインでトークに参加。時間もたっぷりととっていただき大変ありがたかったが、私の頭の片隅には息子の影がチラついていた。
この夜は最近のストレスから少しばかり弾けてしまい、12時過ぎまで中洲の屋台で窪田監督らと飲み、下痢になり、中洲の街を青くなってトイレを探してさまよい、宿に戻って太田ちんと太田ちんの幼馴染で、これまた旧友でもある中川さんと3時過ぎまで飲んでしまった。
私は11月の後半まで、こうした地方映画祭やロケハン、ワークショップなどが重なり、かなり忙しい。こんなときに息子から目を離したくないという思いもあるし、妻にも娘にもかかる負担もかなり大きくなる。申し訳ないと思うし、目の前で息子の状況を見られないことのストレスというのもある(見ていても見ていなくてもストレスがかかるのだ)。
息子のことは大好きだし、愛しているし、とてつもなくかわいいと思っているが、正直かなり育てづらい。一昔前なら、私のような親は「子育てを失敗している」と言われることもあったと思うし、なんなら今でもそう言う人はいる。だが、私は失敗しているとは思わない。発達障害を持った子はどうしたって育てづらいし、支援もない。もちろんうまく育てられる有能な親もいるのだろうが、やれない親がほとんどだろう。
不幸なのは、それが虐待などにつながってしまうことだ。そして二次障害が引き起こる。私だって息子に何度も手をあげたことはあるが、それがまったく意味がないことに、1年ほど前に気づいた。ものすごい恨みとしてしか残っていないのだ。
戸塚ヨットスクールのように、度を越した暴力で治ったという報告やヨットスクールに感謝している言葉もあるのだから、詳しくは知らないが戸塚 宏校長の言うように、激しい暴力は脳幹に訴えて、それでどうたらこうたらで何らかの効果があるのかもしれない。しかし、人に対して度を越した暴力をふるえるというのも、私からすると、発達障害とはまた違ったものかもしれないが、なにか脳機能の構造に偏りを抱えている人なのではないかと思う。
いずれにせよ二次障害がひどくなっていくと、親も疲れ果てて、見放すこともある。見放された子はどんどん自己肯定力を喪失し、居場所を失っていく。
昨年公開された映画に長澤まさみ主演の『マザー』という作品があったが、自分の子どもを使って自分の親を殺すあの長澤まさみはまさに二次障害だろう。我が子にそんな可能性など感じたくもないが、脳裏をかすめないかと言えばウソになる。今、息子への接し方を間違えると、ガタガタガタと一気に崩れそうな気がしてならない。愛だけじゃどうしようもない。
とりあえず、ケツの痒みはクスリがきいておさまり、元通りのきれいなお尻に戻ったことが最近では一番うれしいことだ。
妻より
31日の日曜日、私の心配をよそに恐ろしいハイテンションで息子は帰宅しましたが、案の定1万円は落としてきました。泣き叫びの癇癪を起こしている時は本当にどうしてよいか頭を抱えて、怒りもわきますし、すさまじく落ち込んでしまいますが、息子がその後自己嫌悪になり、猫を抱きしめながら窓の外をずっと見て放心している姿を見ると、切なくて苦しくてどうしようもなくなります。
夜、戻ってきた父親に息子は「すげぇ嫌なことがあったから家出した! またあったらすぐに家出する! ホームレスになる!」と訴えていました。
とにかく頼れるところには頼りまくって、頭も下げまくって、息子が穏やかに生きていける場所を見つけてやりたいと思っています。
今回の日記もたくさん異議をとなえたい箇所はありましたが、多分めちゃくちゃ長文になるので控えました。
いつも読んでくださり、ありがとうございます!
【妻の1枚】
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【プロフィール】
足立 紳(あだち・しん)
1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作「百円の恋」が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品「佐知とマユ」(第4回「市川森一脚本賞」受賞)「嘘八百」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「こどもしょくどう」など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が公開中。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『それでも俺は、妻としたい』(新潮社・刊)。
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