博報堂生活総合研究所(以下、生活総研)が提唱する、デジタル上のビッグデータをエスノグラフィ(行動観察)の視点で分析する手法「デジノグラフィ」。
生活総研では、これまでも数々のデータホルダーと共同研究を行ってきましたが、今回は楽天グループ株式会社とタッグを組んで「若者の“リアル”をEC購買データから分析する」というテーマに挑戦。分析をご担当いただいた同社マーケティングAI部の溝上弘起氏と石野まなみ氏をゲストに迎え、生活総研の酒井崇匡と佐藤るみこが、今回の分析結果を振り返ります。
※本文内の「購買データ」はユーザー個人を特定しないものに限られます。
若者の「定価志向」をデータで検証
佐藤:
まずは、今回の共同研究の“出発点”となったある時系列データから振り返っていきたいと思います。
マクロ環境をみるとこの30年のデフレ環境の中で消費者物価指数は殆ど上昇せずに推移してきました。
各年代で価格破壊とか、第3のビールとか、LCCといった言葉が生まれ、生活者の消費意識としても、ものを「安く」「リーズナブルに」買うことが当たり前になった30年ということもできるでしょう。
しかし、生活総研が隔年で実施している長期時系列の意識調査、「生活定点」では意外な結果が出ています。「消費について、あなたにあてはまるものを教えてください。」という質問に「ものを定価で買うのはばかげていると思う」と答えた人の割合は25.5%と、98年の34.5%から9ポイントも減少しています。
さらに、年代別の傾向をみたところ、特に20代で値が大きく減少しています。
つまり、若い年代ほど、「ものを定価で買うのはばかげている」とは思わない、裏を返せば、「ものを定価で買うことに抵抗がない」人が増加していることが、意識調査から見えてきたのです。
この調査結果を踏まえて、実際の若者の消費行動はどうなのかを、楽天のEC購買データで検証したいというのが、今回の研究の狙いです。
とはいえ「言うは易し」で、実際の分析にあたっては、楽天さんにさまざまなトライアンドエラーをしていただいたと思います。特に苦労された点などはありましたか?
溝上:
まず、「定価」の定義が難しいなと感じました。
ポイントが付くという楽天市場の特性上、何をもって「定価」のアイテムとするのかが、そもそも曖昧です。また、割引にしても「10円割引」と「50%割引」をきれいにフィルタリングするのは難しい。こうした問題を踏まえつつ、仮説が証明できるように、データの範囲をどのように取っていくかを決めるのが、大きな課題だったと思います。
その中で、石野がいろいろなアイデアを出しながら、データサイエンティストと連携して分析を進めてくれたという感じですね。
石野:
溝上の言うように、定義づけの部分は苦労したところです。御社とも相談させていただきながら、「各アイテム購買者の5%以上が支払った最高金額」、「ポイント付与率の増額は『割引』と判断する」とか、「定価購入回数が割引購入回数の1.5倍以上のユーザーを『定価購入が多いユーザー』とする」といった定義を採用し、分析を行っていきました。
もうひとつ難しかったのが、アウトプットをいかにわかりやすくするかということです。
最初は「定価で買われることが多いジャンル」をいろいろ出してみたりしたのですが、ジャンルごとに前提条件なども異なるため、「若者が“全体的に”定価志向になっている」ことを示すには、どうしても複数の注釈が必要になります。「定価志向」という傾向そのものは明確に現れているのですが、一般の人には伝わりづらいだろうなと感じました。
そこで、最終的には、「売れ筋アイテム1万点」の購入履歴をもとに、ECユーザーを「定価で購入することが多い人」と「割引で購入することが多い人」に分けて比較するという形を取りました。その結果、確かに「10~20代は、上の年代に比べて『定価購入が多い』ユーザー比率が高い」という、仮説を裏付ける結果を得ることができました。
浮かび上がった「若者の価値観」
佐藤:
色々なハードルを乗り越えて、仮説を裏付けるデータを抽出して頂きましたが、では若者は上の年代に比べて定価購入が多いのか。その背景も、マクロデータや意識調査に加え、実際の若者の購入履歴の深掘りを通じて探ることができました。
まずマクロな背景として考えられるのは、若者の懐事情が良くなったことです。こちらは大卒初任給の増加額推移をグラフにしたものです。2000年から15年かけて大卒初任給は約8,300円上昇しましたが、2015年以降はほぼ同じ額上昇するのに4年しかかかっていません。人手不足を背景として若者の給与の上昇が加速しており、コロナ禍を経ても上昇傾向は継続しています。
石野:
定価購入が多い属性が20代前半のユーザーの購買履歴を分析したところ、『金持ち父さん貧乏父さん』や『お金の大学』など、資産運用系のベストセラー本がよく購入されているという傾向が見えてきました。これは、特に男性に多く見られた傾向です。お金の節約ではなく運用に眼が向くところに「懐事情の良さ」が感じられます。
佐藤:
背景の2つ目は、若者は「SNSで人気のものは売り切れる前にすぐ買いたい」と考えているためです。
生活総研で実施した調査によると、「ものを買う時に、SNSで評価されているものはすぐ買ってしまう方だ」と答えた10代20代は45.6%と、上の年代よりも2倍以上多いことが明らかになりました。
SNSで話題になったアイテムは人気が集中するため、売り切れる前に定価で買ってしまおうと考える人が多いのです。
石野:
このお題については、まずは定価購入の多い20代前半の若者のあいだで売れているアイテムの上位300点と、ランダムにサンプリングしたユーザー約30人の購買行動を混合したデータから、特に目立つアイテムをピックアップしました。
女性の場合、化粧品や美容グッズが多いのですが、楽天市場にはレビュー機能があるので、これらの商品に対するレビューを参照したところ、やはり「SNSで話題になっていたので買いました」「○○(好きなYouTuberやインフルエンサー)が紹介していたので買いました」といったコメントがついていたり、商品ページ自体が「SNSで話題」などと謳っていたりと、SNSの影響は顕著に見られましたね。
佐藤:
背景3つ目は、若者は「いつか売る前提でものを買っている」ためです。
生活総研の調査で「いつか売る前提でものを買う」と答えた10代20代は25.1%と、上の年代に比べて10%以上高い結果となっています。フリマアプリなどの浸透で、若者は洋服や身の回りのものを購入する際にも、自分が着なくなったら、使わなくなったら、売ればいい、と考えている人が少なくないようです。
この点についてはいかがでしょう?
石野:
これも男性に多く見られた傾向なのですが、ブランド服や最新のガジェットを躊躇なく購入している様子がうかがえました。
男性の場合、女性のようにこまめにレビューを書いたりはしないので、コメントから見えてくる情報は少ないのですが、同じアイテムを大勢の人が買う傾向が強いため、それらが購買数や売れ筋アイテムの上位にしっかり反映されています。
ブランド品は二次流通市場でのニーズも高いので、「売ること前提で買う」という動機ともマッチするように思います。
若者が「消費に前向き」な理由
酒井:
以上のような購買行動から、定期購入が多い20代前半のユーザーについて、石野さんはどのようなプロファイリングをされましたか?
石野:
男性については、美意識が高く、身のまわりのものにお金をかけることに躊躇しない人。統計的に同じアイテムやブランドに人気が集中する傾向があり、「流行り物」や「ステータス」への関心が高いと感じました。
そのぶん、節約というより「もっと稼ぐ」ことに意識が向いているという印象です。投資に関する本のほか、自己啓発本を買っている方も多く、キャリアアップへの意識も高そうですね。
少し上の世代だと、いわゆる「意識高い系」の人たちというのは、平均的な人と比べて特別に感度の高い人を指す言葉だったのが、20代前半の男性にとっては、ごく普通のことになりつつあるのかなと思いました。
酒井:
それは面白い指摘ですね。女性のほうはどうでしょう?
石野:
女性のほうは、何にでもお金をかけるというより、好きなものにはお金をかけて、節約できるところは節約したいという印象を受けました。
アイドルグッズやK-POP系のアイテムなど、いわゆる「推し活」にはどんどんお金をかける。その代わり、服やコスメはノーブランドやプチプラを取り入れるケースが多いですね。もちろん、流行りのスタイルやカラーには敏感なのですが、モノ自体は安くてコスパのいいものを探すという感じなのかなと思います。
酒井:
「生活定点」の意識調査でもやはり、いまの若者はひとつ前の世代より消費に対して前向きだという傾向が出ています。お金を稼ぐということに対して積極的になってきたというのも同じ。はからずも結果が符合しているのが興味深いですね。
「マーケターの勘」の本質とは何か
酒井:
ビッグデータで購買分析をする場合、その時々でどんなプロモーションがあったとか、どういう出店状況だったかとか、変化要因もすごく多いですよね。関係の薄い要素をひとつずつ除外していくような“詰めの作業”が大変なのではないかと思うのですが、そのあたりの手間や難しさのハードルについては、どのようにお考えですか?
溝上:
大変だというのは、おっしゃるとおりですね。ビッグデータといっても、要はデータがデータベースに入っているだけ。ただ集計するだけで何かがわかるわけではありません。
なので、今回の分析でも、頼みの綱は石野のナレッジでした。石野が世の中をこういうふうに見ているという視点を、データで裏付けすることによって発見を得る。そういう「このへんを掘ればわかりそうだ」という取っ掛かりは、AIが見つけてくれるわけではないので、人間の感性が必要になってきます。
佐藤:
石野さんは、具体的にはどのようなワークプロセスを経て分析されたのですか?
石野:
設計図をつくるのはデータサイエンティストの仕事で、彼らが統計学などの観点からユーザーをクラスタリングし、特徴のありそうなものにダウンサイジングします。
そこから私に渡されて、私のほうで定性的な観点からユーザーの特徴を拾っていくのですが、ここでデータを見たときにあまり特色が出ていない場合は、いったんサイエンティストに戻して、もう少しこういう特色が出るようにしたいから、そのためにこんな観点を入れてみたらどうですか、といった感じで調整を行います。
この段階で、溝上が言うところの「私のナレッジ」を使ってはいるのですが、これは単なる勘というわけではなく、例えば10人のサンプルデータがあったときに10人中4人が同じモノを買っていたり、同じモノを買っている人たちが他にも似たようなモノを買っていたりといった、「根拠」をどう見つけるかということです。先ほど話に出た、レビューまで目を通して、購入されている商品の共通点を見つけていく、というのもそうですね。
酒井:
よく、統計と対をなす概念として、「マーケターの勘」みたいなことが語られがちですが、いまの石野さんのお話は、そこが統計的にも取れるように、データそのものが整備されているということですよね。圧倒的な量の購買データを持つ楽天市場というプラットフォームだからこそ、その「勘」が支えられているのかなと思いました。
石野:
そうですね。私がやっているのは、統計では取れない事実を人の目で拾うという作業ではあるのですが、なぜそれができるかというと、楽天の購買データが豊富にあるからだというのはそのとおりです。やはりデータが少ないと、統計では拾えない情報というのも出てきませんから。
酒井:
もしくは、仮にユーザー数がすごく多かったとしても、化粧品だけを買っているような人たちの購買データの場合、それほどペルソナの分析は広がらない気がするんです。多様なジャンルにわたり、しかも何回も購買してくれているユーザーのデータがあるからこそ、独自のペルソナが描けるという部分もあるのではないでしょうか?
石野:
おっしゃるとおり、化粧品のみの購買データからは、もちろん美容感度の高さなどはわかりますが、それ以外のライフスタイルはあまり見えてきません。同じ「化粧品好き」でも、丸の内のOLと地方の主婦では異なるペルソナになるでしょうし、その意味で全ジャンルのデータが見られるというのは、とても大きいと思います。
マーケティングにおけるAIの強み
酒井:
楽天さんでは、マーケティング分析に「Rakuten AIris」という独自のAIを活用されていますよね。これは、どのようなものなのですか?
溝上:
現状、AIrisでできるのは、ある属性の楽天IDを持っているユーザーの購買パターンを学習することです。例えば、あるブランドを買っている人と同じような購買パターンの人を見つけることで、そのブランドを「買いそうな人」がわかります。
これも実は、人間が習慣的にやっていることと同じです。好きな人にプレゼントを贈ろうと思ったら、その人がふだん身につけているものや、その人の家にあるものを思い浮かべて、「こういうアイテムなら喜んでもらえそうだな」と想像しますよね。
同じことを、1億人近くいる楽天市場のユーザーの購買パターンから推測できるのが、AIの強みだと思います。
佐藤:
今後、AIの機能がどんどん進化していくなかで、AIと人間のマーケターの棲み分けはどのようになっていくと考えられますか?
溝上:
僕が語るには壮大すぎるテーマですが、個人的にはAIとは単なる技術のひとつでしかないと思っています。
極端にいえばトンカチと同じ。何かにクギを打ちたいときに、手でやろうとすればとんでもなく時間がかかるけれど、トンカチを使えば2秒でできます。さらに、トンカチがたくさんあるほどクギもたくさん打てるようになる。つまり、人間がもともとできることでも、技術を使えば大きくスケールする。
とはいえ、人間ができないことをAIができるようになるわけではなく、基本的にはどんな仕事でも初めに考えるのは人間。マーケティングの実務でも、一人ひとりのマーケターがひとつでも多くモノを売ろうとか、ひとりでも多くの人に知ってもらおうと努力することは絶対に必要です。その努力をスケールさせてくれるところに、AIの意義があると考えています。
人とAIは「共存」できるか?
酒井:
人間のマーケターが必要ないほど精度の高いレコメンデーションをAIが行ってくれる……という未来も想像できてしまうのですが。
溝上:
そういうストーリーがあるのは、もちろん承知しています。ただ、AIがどれほどたくさんデータを持っていたとしても、果たして人の気持ちや人の好みの移り変わりまで正確に捉えることができるものでしょうか。
人の気持ちが動くときには、何かしらのサプライズが作用しているもの。このブランドはこういう雰囲気だと思っていたのに、新しいテレビCMを見たらいつもと違う女優さんが出ていたとか、ほんのちょっとした驚きで人の行動は変わったりします。AIにそこまで計算できるのか疑問ですし、そこは人間の感性が強みになるのではないでしょうか。というより、そういう世界のほうがきっと楽しいだろうなと思っています。
石野:
いまの溝上の話は、まさに私の業務の内容にもつながっていて、やはり感性みたいな部分をAI化するのは難しいのではないかと感じています。
私が楽天のデータを分析するときは、サンプルとして抽出した数人分の混合された購買データを、隅から隅まで見ます。購入したアイテムの種類だけでなく、買っている量やポイントバックまで見ていると、ひとつのアイテムを20個くらいまとめ買いしていたり、ポイント還元率が高そうなものばかり買っていたりといったキャラクターが浮かんできます。
そういう観点だけでも無数にあるのに、さらに溝上が言うような“感性によるサプライズ”を加えるのであればなおさら、AIでパターン化できる範囲には収まりきらないと思いますね。
酒井:
結局、AIが出してきたものを「答え」として受け取るのではなくて、それを「お題」として受け取ったときに、そこからもう一段アイデアジャンプできるかどうかが、いまのマーケターに求められていることですね。
溝上:
技術というものは、広まるほどにコモディティ化するもの。広告を最適化するAIができたとしても、みんながそれを使えば競争優位はなくなるので、結局はAI以外のところで差別化しないと勝てません。もちろん、部分的にAIに取って代わられる仕事はあるでしょうが、「人間にしかできない仕事」というのもなくなりはしないだろうと思っています。