もっと詳しく

おもしろローカル線の旅75 〜〜道南いさりび鉄道(北海道)〜〜

 

前回は九州最南端の指宿枕崎線を紹介した。今回は北へ飛んで日本最北端の第三セクター経営の路線「道南いさりび鉄道」の旅をお届けしよう。

 

これまでたびたび特急列車で通り抜けた区間だったが、普通列車に乗車してみるとさまざまな新しい発見があった。ゆっくり乗ってこそ魅力が見えてきた道南の路線の旅を楽しんだ。

 

【道南発見の旅①】道南いさりび鉄道と名付けられた理由は?

道南いさりび鉄道が走るのは北海道の西南、渡島半島(おしまはんとう)だ。まずは路線の概要を見ておこう。

 

◆道南いさりび鉄道の概要

路線と距離 道南いさりび鉄道線/五稜郭駅(ごりょうかくえき)〜木古内駅(きこないえき)37.8km、全線単線非電化
開業 1913(大正2)年9月15日、日本国有鉄道上磯軽便線として五稜郭駅〜上磯駅間が開業、1930(昭和5)年10月25日に木古内駅まで延伸開業。江差駅まで延伸は1936(昭和11)年11月10日、路線名を江差線と変更。木古内駅〜江差駅間は2014(平成26)年5月12日に廃止。
駅数 12駅(起終点駅を含む)

 

↑JR江差線当時の函館駅行き普通列車。早朝はキハ40系気動車を3両連結で運用。写真は釜谷駅〜渡島当別駅間

 

路線自体の歴史は100年ほど前の1913(大正2)年に始まる。とはいえ、その時に開業したのは函館近郊の上磯駅までで、その先への路線延伸の工事は順調に進まなかった。1930(昭和5)年になって木古内駅、さらに1936(昭和11)年に日本海に面した江差駅まで延ばされている。

 

この江差線は2014(平成26)年に木古内駅から先の区間を廃止。2016(平成28)年3月26日、北海道新幹線の開業に合わせて五稜郭駅〜木古内駅間の路線が第三セクター経営の道南いさりび鉄道に移管された。移管され今年で5周年を迎えている。

↑道南いさりび鉄道(旧江差線)以外にも1949(昭和24)年の鉄道路線図(左上)を見ると福山線(後の松前線)があったことが分かる

 

なぜ、道南いさりび鉄道という名前が付けられたのだろう。道南いさりび鉄道という会社が設立されたのが2014(平成26)年の夏のこと。北海道のほか、函館市、北斗市、木古内町という沿線自治体2市1町が株主となっている。

 

会社名を公募したところ、21点の応募があったのが道南いさりび鉄道という名前だった。「いさりび」とは「漁火」のこと。津軽海峡で漁火と言えば、毎年夏以降、イカ釣り船が用いる集魚灯の光のことをさす。

 

暗闇の海上に浮かぶ集魚灯の光「いさりび」は、道南・渡島半島の風物詩であり、そうした漁火を横目に走る鉄道路線の名称に相応しいとして名付けられたのだった。

 

【道南発見の旅②】松前線とはどのような路線だったのだろう?

昭和初期に現在の道南いさりび鉄道線の元となった江差線が開業した。さらに木古内駅の先、江戸時代に北海道で唯一の藩だった松前藩の城下町、松前まで鉄道路線が伸びていた。松前線である。この松前線に関して簡単に触れておこう。

 

この路線の歴史的な経緯が興味深い。木古内駅から先はまず1937(昭和12)年10月12日に渡島知内駅までを開業、さらに翌年の10月21日には碁盤坂駅(後に千軒駅と改称)まで、1942(昭和17)年11月1日に渡島吉岡駅まで開業している。太平洋戦争のさなかに開業させた理由には、軍需物資であるマンガン鉱の鉱山が松前町内にあったためとされている。

↑松前へ走る国道228号沿いに残る松前線の橋脚跡。廃線跡はこのように各所で見られる。右下は松前の観光名所・松前城

 

しかし、松前までの延伸は戦争中にはかなわず、戦後しばらくたっての1953(昭和28)年11月8日のこととなる。開業はしたものの、35年間という短い期間しか列車は走らずに1988(昭和63)年2月1日に廃止されている。当時、江差線の木古内駅〜江差駅間よりも輸送密度が高く、地元から廃止反対の声が巻き起こったものの、国鉄からJRへ移行する慌ただしい時期に廃止された。青函トンネルと松前線を結ぶ案も検討されたが、青函トンネルは新幹線規格で造られたために、線路が結ばれることはなかった。

 

松前線の渡島吉岡駅には、青函トンネル建設時に建設基地が設けられていた。27年という長い年月をかけて1988(昭和63)年3月13日に青函トンネルは開業。ちょうど同じ年に松前線は廃線となった。今振り返って見るとトンネルの誕生にあわせ、用済みになったかのように松前線は廃止されたのだった。

 

現在、渡島吉岡駅があった吉岡(現・松前郡福島町字吉岡)の地下を、北海道新幹線や貨物列車が多く通り抜けている。2014(平成26)年3月15日までは吉岡海底駅という駅もあった。現在、その地点を地図で見ると「吉岡定点」となっているが、トンネルの上に住む人たちに恩恵はなく、廃線以外に松前線を活用する方法がなかったのかとも思う。

 

筆者は松前城を見たいがためこの路線に沿って旅をしたことがあった。その時には松前線の廃線跡らしき構造物が各所に残っていて興味深かった。とはいえ、松前線の歴史を振り返るとちょっと寂しさを感じる風景でもあった。

 

【道南発見の旅③】道南いさりび鉄道のキハ40系は何色ある?

少し寄り道してしまった。ここからは道南いさりび鉄道の旅に戻ろう。まずは車両に関して見ていきたい。

 

道南いさりび鉄道はJR北海道の路線の移管とともに車両も引き継いだ。車両は江差線を走っていた車両キハ40系で、計9両が同社に引き継がれた。当初はJR北海道の塗装のままで走っていたが、2019(令和元)年までに9両すべてが道南いさりび鉄道のオリジナルカラーと塗り替えられている。カラーは次の通りだ。さて色は何色あるのだろう。

①ネイビーブルー色 車両番号1793、1799

・「ながまれ号」として2両が在籍。「ながまれ」とは道南の方言で「ゆっくりして」「のんびりして」という意味。観光列車としても走る。

②山吹色 車両番号1812、1814

・濃い黄色ベースで2両が在籍。

③濃緑色 車両番号1810
④白色 車両番号1815
⑤濃赤色 車両番号1796

・濃赤色だが茶色に近い。

⑥国鉄首都圏色 車両番号1807

・国鉄時代の気動車、首都圏色と呼ばれるオレンジ色一色で塗られる。

⑦国鉄急行色 車両番号1798

・クリーム色と朱色の2色の塗り分け

↑カラフルで目立つ色が多い。写真は山吹色と首都圏色のオレンジ色の車両

 

道南いさりび鉄道には上記のように7種類のカラーで塗られたキハ40系が走る。まさに七色の車両が走りにぎやかだ。次の列車は何色かなという楽しみがある。何色の車両がどの列車に使われるかは、道南いさりび鉄道のホームページの「お知らせ」コーナーで公開されているので、訪れる時にぜひとも参考にしたい。

 

ちなみに筆者が訪れた日は国鉄急行色の車両のみ、出会うことができなかった。次回に訪れた時にはぜひ撮影しておきたい。

↑道南いさりび鉄道の4通りの車体カラー。この中でネイビーブルー色の「ながまれ号」のみ2車両が走る

 

【道南発見の旅④】木古内駅前の道の駅に立ち寄ると得する?

今回は北海道新幹線の木古内駅から道南いさりび鉄道線の旅を楽しむことにした。東京駅6時32分発の東北・北海道新幹線「はやぶさ1号」に乗車して約4時間、10時41分に木古内駅に到着した。北海道新幹線の木古内駅と、道南いさりび鉄道の木古内駅は東西を結ぶ自由通路で結ばれる。

 

木古内駅の発車が11時16分と新幹線の到着から30分以上の余裕がある。時間があったので、木古内駅の北口、南口を回って、道南いさりび鉄道の窓口へ。自動販売機で切符を買おうとしたら、横の貼り紙に目が引きつけられた。貼り紙には「いさりび1日きっぷ」(700円)とある。ちなみに木古内駅から五稜郭駅まで切符を購入すると980円になる。直通の切符だけでなく、途中下車をすれば、断然安くなるわけだ。これは使わなければ損である。

 

ところが、木古内駅の切符の自動販売機では売っていないことが分かった。東口の駅前ロータリーをはさんだ「道の駅みそぎの郷きこない」で販売していたのだ。発車時間が迫っていたものの、急いで道の駅へ向かう。

↑高架上にある北海道新幹線の木古内駅に平行して設けられた道南いさりび鉄道の木古内駅。ホームには濃赤色のキハ40系が停車中

 

この道の駅には道南いさりび鉄道の「いさりび1日きっぷ」と、同社のグッズの多くが販売されていた。さらにこの道の駅でも「鉄印」が販売されていたのである。全国の第三セクター鉄道の鉄印を集める鉄印帖は、鉄道ファンには必携のアイテム。その鉄印帖には、鉄印の販売が五稜郭駅とあったので、五稜郭駅へは絶対に立ち寄らなければ、と思っていたのだが。

 

このように道南いさりび鉄道の旅をするならば、ぜひ立ち寄っておきたい道の駅である。筆者の場合は、発車時間に急き立てられ、グッズをゆっくり見る余裕がなかったが、次に訪れた時にはじっくりグッズ選びをしたいと思うのだった。

 

また、帰りに立ち寄るのであれば、地元のお土産や、新鮮な海産物の購入がお勧め。函館市内で木古内の地場産品はあまり見かけないだけに、そうしたお土産選びも楽しそうだなと思った。木古内町が株主の一員という鉄道会社だけに、地元の道の駅ではこうした豊富なグッズ類や「いさりび1日きっぷ」などの販売が行われていたわけである。

↑木古内駅の南口ロータリー前にある「道の駅みそぎの郷きこない」。鉄道グッズや鉄印なども販売される

 

道の駅から木古内駅へ戻り、道南いさりび鉄道の列車が止まる4番ホームへ向かう。そこには濃赤色のキハ40系1796が停車していた。

 

【道南発見の旅⑤】函館湾が良く見え始めるのは何駅から?

発車時間が近づく。そんな時に車両が停まるホームのすぐ横に赤い電気機関車が牽く上り貨物列車が入ってきた。同線を走るEH800形式交流電気機関車である。同機関車は五稜郭駅〜青森信号場間の専用機で、新幹線と共用している青函トンネルを走ることができる唯一の電気機関車だ。道南いさりび鉄道はローカル線であるとともに、北海道と本州を結ぶ物流の大動脈であることが分かる。

 

キハ40系が進行方向左手に北海道新幹線の高架橋、右手に木古内の市街を見ながら静かに走り出した。平行して走る新幹線の高架橋が見えなくなり、間もなく最初の駅、札苅駅(さつかりえき)に到着する。同駅も貨物列車と行き違いが可能な線路が設けられる。

 

道南いさりび鉄道の駅には下り上り列車が行き違いできるように「列車交換施設」を持った駅が多い。今でこそ走るのは貨物列車と、道南いさりび鉄道の列車のみとなっているが、以前は「特急はつかり」、寝台列車の「特急北斗星」「特急カシオペア」「特急トワイライトエクスプレス」といった多くの列車が走っていた。全線単線とはいえ、こうした駅の「列車交換施設」が充実しているのには理由があったわけだ。

 

札苅駅を過ぎると国道228号が進行方向右手に、平行して走るようになる。次の泉沢駅まで、国道越しに津軽海峡が見え始める。さらにその先、釜谷駅(かまやえき)からはより津軽海峡が近くに見えるようになる。

 

途中、国道沿いに「咸臨丸(かんりんまる)終焉の地」が見える。咸臨丸は幕末にアメリカまで往復し、幕府軍の軍艦として働いた後に、新政府軍に引き渡された。1871(明治4)年9月19日、函館から小樽に開拓民を乗せて出航したものの泉沢の沖で暴風雨にあって沈没、多くの犠牲者を出したのだった。この史実を筆者は知らなかったが、津軽海峡で起きた悲劇がこの地に複数残っていることを改めて知った。

↑釜谷駅の駅舎は有蓋貨車を改造したもの。貨車ながらも窓があり出入り口もサッシ。冬の寒さもこれならば防げそうな造りだ

 

釜谷駅(かまやえき)から先、渡島当別駅までは江差線当時には撮影ポイントが数多くあり、寝台列車が走っていたころには多くの鉄道ファンが集まったところでもある。筆者もその中の1人だったが、釜谷駅は今も当時のまま、有蓋貨車のワムを利用した駅舎で無骨ながら親しみが持てる駅だった。

↑釜谷駅前を通過する「特急トワイライトエクスプレス」。初夏の早朝ともなると、釜谷駅は〝撮り鉄〟が多く集合した

 

さて釜谷駅から先、津軽海峡とともに、海峡の先に函館山が見え始めるようになる。どのあたりから見る景色が最も美しいのだろうか。道南いさりび鉄道の路線は、海岸線よりも高い位置を走る区間が多く、まるで展望台から見るような眺望が各所で楽しめる。

 

筆者は同路線を「特急はつかり」や、寝台列車に乗って通り過ぎたことがある。しかし、当時は〝駆け足〟で通り過ぎるのみで、美しい景色がどのあたりから見えるものなのか、またどの区間から最もきれいに見えるのか、良く分からず乗車していた。今回、普通列車に乗ることによってポイントが良く分かり、また堪能できた。

↑釜谷駅〜渡島当別駅間にある人気のポイントから見る「特急カシオペア」と津軽海峡。この付近から右奥に函館山が見えるようになる

 

釜谷駅〜渡島当別駅間では、海岸線に合わせて路線はきれいにカーブを描いて走る。寝台列車の撮影ではこうしたカーブと、津軽海峡を一緒に写し込むことができて絵になった。撮影のポイント選びでは、途中にある踏切が目印代わりとなっていた。同駅間ではそうした踏切が複数あるのだが、釜谷駅から3つめの「箱崎道路踏切」あたりから先で函館山が見えるようになる。今回はそうした思い出を振り返りつつ乗車する楽しみもあった。

↑釜谷駅〜渡島当別駅間から函館山が見え始める。写真は箱崎道路踏切付近。車両の窓枠にも函館山が良く見えることを伝える表示が

 

【道南発見の旅⑥】渡島当別駅が洋風駅舎というその理由は?

釜谷駅から約6分、海景色を楽しみつつ列車は渡島当別駅に到着する。同駅は列車からも見えるように、洋風のおしゃれな駅舎が目立つ。洋風というよりも、修道院を模した建物といったほうが良いだろうか。なぜ修道院風なのだろう。

 

実はこの駅から約2kmの距離にトラピスト修道院がある。その最寄り駅ということでこの駅舎になったのだ。トラピスト修道院は1896(明治29)年に開院した日本初の男子修道院で、売店では修道院内で作られた乳製品、ジャムなどが販売されている。中でもトラピストクッキーは函館名物としてもおなじみだ。

 

というわけで修道院風の建物なのであるが同路線では異色の駅となっている。

↑修道院風のおしゃれな駅舎が特長の渡島当別駅。郵便局が併設された駅舎となっている。トラピスト修道院へは徒歩で約20分強

 

渡島当別駅はトラピスト修道院の最寄り駅ということもあり、観光客の乗り降りもちらほら見られた。とはいえ同列車は、観光客や〝乗り鉄〟の乗車はそれほど多くなく地元の人たちの利用が目立つ。地域密着型の路線なのであろう。

 

さて、次の茂辺地駅(もへじえき)までも海の景色が素晴らしい。

 

【道南発見の旅⑦】函館山と函館湾の景色が最も美しい箇所は?

渡島当別駅から先は、函館湾沿いに列車が走るようになる。函館山が車窓のほぼ中央に見えるようになる区間でもある。天気に恵まれれば、進行方向の右側に函館湾の海岸と連なる函館の市街が手に取るように見え始めるのがこの区間だ。

↑渡島当別駅を過ぎ茂辺地駅まで、函館山が正面に見えるようになり、また函館市街も見えるようになってくる

 

さらに茂辺地駅の先となると、函館湾の海岸線が函館市街まで丸く弧を描くように延びている様子が見えて美しい。このように釜谷駅から上磯駅までの4駅の区間は、それぞれの海景色が異なり、どこがベストであるかは、甲乙つけがたいように感じた。

↑茂辺地駅付近を走るJR東日本の「TRAIN SUITE四季島」。2022年設定の3泊4日コースでは道内、室蘭本線の白老駅まで走る予定だ

 

【道南発見の旅⑧】上磯駅から列車が急増する理由は?

茂辺地駅〜上磯駅間まで右手に函館山と函館湾が楽しめたが、同区間でこの海景色の楽しみは終了となる。道南いさりび鉄道の列車は上磯駅が近づくに連れて、左右に民家が連なるようになる。太平洋セメントの上磯工場の周りをぐるりと回るように走れば、間もなく上磯駅へ到着する。

 

上磯駅からの列車本数は多くなる。木古内駅〜上磯駅間の列車がほぼ2時間おきなのに対して、上磯駅〜五稜郭駅間は1時間に1本、朝夕は30分おきに列車が走る。この列車本数はJR北海道の時代からほぼ変わりない。

 

上磯駅〜五稜郭駅間の列車が多いのは、函館市の通勤・通学圏内だからだ。道南いさりび鉄道の列車は五稜郭駅の一駅先の函館駅まで全列車が乗り入れている。上磯駅から函館駅間は22分〜30分と近い。そうしたこともあり乗降客も増える。

↑久根別駅(左上)近くを通る貨物列車。上磯駅〜五稜郭駅間の普通列車と同じように貨物列車の通過本数も多い

 

〝撮り鉄〟の立場だと上磯駅〜五稜郭駅間は街中ということもあり、なかなか場所選びがしにくい区間である。やはり津軽海峡が良く見える釜谷駅〜渡島当別駅間が良いのだが、こちらは列車本数が少なく、列車を使う場合には立ち寄りにくいのが現状である。筆者は景色の良い区間で降りるのを諦めて、列車本数が多く移動しやすい久根別駅で降りた。数本の列車を撮影したが、景色が良いところで撮影したいという思いは適わなかった。

 

【道南発見の旅⑨】津軽海峡の区間は今、何線と呼ばれる?

道南いさりび鉄道は普通列車とともに貨物列車も多く走る。本州から北海道へ向かう下り貨物定期列車が1日に19本、臨時列車まで含めると26本ほど走る。上り貨物列車も下りとほぼ同じ列車本数だ。中には札幌貨物ターミナル駅〜福岡貨物ターミナル駅間と日本一長い距離を走る列車も含まれる。旅客列車のように、行先等が書かれていないのがちょっと残念ではあるが。

 

さて、貨物列車が走る路線とルートを確認しておきたい。普通列車とは逆に五稜郭駅側から見てみよう。貨物時刻表には「函館貨物」と「木古内」という2つの駅が道南いさりび鉄道の区間にある。函館貨物は五稜郭駅構内にあたる。実は函館貨物駅という貨物駅は別にあるのだが、これは後述したい。札幌方面から走ってきた貨物列車は五稜郭駅で折り返す。ここまで牽引してきた機関車はDF200形式ディーゼル機関車だ。この構内で機関車は切り離し、逆側に青函トンネル用のEH800形式電気機関車が連結される。

 

貨物時刻表には路線名は「道南いさりび鉄道」と書かれている。貨物時刻表には木古内とあるが、こちらは運転停車で、荷物の積み下ろしや貨車の連結作業は行われない。そして道南いさりび鉄道の木古内駅を過ぎ、北海道新幹線と合流する連絡線を上って行く。この区間および、青函トンネルの間は今、何線にあたるのだろうか。以前は「津軽海峡線」と通称ではあるものの呼ばれていたのだが。

↑木古内駅から北海道新幹線の路線への連絡線を上る貨物列車。写真は北海道新幹線の開業前でEH500形式電気機関車の姿が見える

 

現在、木古内駅の先、北海道新幹線への連絡線、そして青函トンネル区間、さらに青森県側の津軽線へ合流する新中小国信号場、そして中小国駅までの87.8kmの区間は「海峡線」と呼ばれている。

 

旅客列車がこの区間を走っていたころは、「津軽海峡線」の名が「時刻表」誌にうたわれ一般化していた。実はこの当時から正式な路線名は「海峡線」だったのだが、当時は一般には浸透していなかった。在来線だった津軽海峡線を通る列車は一部の団体列車(「カシオペア」「四季島」など)を除きなくなったことから、すでに「時刻表」誌では「津軽海峡線」「海峡線」という路線名の紹介ページはない。貨物列車の時刻を記した「貨物時刻表」のみ「海峡線」と書かれている。このあたりの変化もなかなか興味深い。

 

【道南発見の旅⑩】五稜郭駅手前で合流する線路はどこから?

上磯駅からは列車本数が増えるとともに、市街地を走る路線となり、風景もごく一般的な都市路線となる。そんな道南いさりび鉄道の旅の終点となった側の駅、五稜郭駅近くで進行方向右手から近づいてくる線路がある。道南いさりび鉄道の線路に、進行方向左手から近づいてくる路線は、函館本線であることは分かるのだが、さて右から合流するのは何線なのだろうか。

↑函館貨物駅と五稜郭駅を結ぶ埠頭通路線を走る貨物列車。函館貨物駅の本体(左上)は函館港のすぐそばにある

 

貨物時刻表ではJR北海道の五稜郭駅のことを函館貨物駅と呼んでいるが、先の道南いさりび鉄道の路線に合流する線路をたどると、それとは別の函館貨物駅という貨物コンテナを積み下ろす貨物駅へつながっている。連絡する路線は貨物時刻表では「埠頭通路線」としていて距離は2.1kmほどある。函館貨物駅は別名、有川操車場、五稜郭貨物駅という別名があり、この貨物線は「有川線」「五稜郭貨物線」とも呼ばれることがある。

 

あくまで函館貨物駅の構内線という扱いのため貨物時刻表には、その運行ダイヤが掲載されていない。列車を牽引する機関車も前照灯とともに赤ランプをつけて、構内での入れ替えと同じ扱いの列車として運行されている。

↑五稜郭駅の側線に上り列車が到着したところ。同側線で次は電気機関車が反対側に連結される。左上は五稜郭駅

 

さて、五稜郭駅が道南いさりび鉄道の路線の起点となっている。しかし、同駅始発、同駅終点の道南いさりび鉄道の列車はない。全列車が一駅先の函館駅まで函館本線を通って走っている。前述した「いさりび1日きっぷ」は同駅でも販売、また鉄印も販売されている。ちなみに五稜郭駅〜函館駅の運賃は通常250円だが、道南いさりび鉄道からそのまま乗車した時の同区間の運賃は乗り継ぎ割引される(七重浜駅〜上磯駅からは120円、茂辺地駅〜木古内駅からは190円となる)。ただし「いさりび1日きっぷ」利用の場合には、250円が加算される。

 

函館駅では1・2番線が上磯・木古内方面と表示されている。道南いさりび鉄道の路線となったものの、駅構内には道南いさりび鉄道の切符の販売機も置かれ、第三セクター鉄道の路線とは思えないような扱いだ。さらに道南いさりび鉄道の車両の基地は、函館駅に隣接した函館運輸所にある。函館駅に到着する前に、この運輸所に停まる道南いさりび鉄道の車両が見える。車両の色は七色でにぎやかに、また運賃が割高になったものの、函館駅での対応の様子を見るとJR北海道時代とあまり変わらずで、変わらない良さ、利用のしやすさも感じた道南いさりび鉄道の旅だった。

↑道南いさりび鉄道の全列車が函館駅まで乗り入れている。列車の発車は改札口にも近い1・2番線ホームからが多い(右下)