Aiamu Olive × 日本あみぐるみ協会 コラボ企画で
4月号よりスタートした 毎月あみぐるみコレクション
本誌掲載と連動したインタビューを12回連載でお送りいたします。
第8回 はまるみ先生です。
※まるみ先生のプロフィールは、アイアムオリーブ11月号に掲載しております。
日本あみぐるみ協会HP → amigurumi.jp
まるみ先生ブログ→ http://akinaijouhou.jugem.jp/
11月号にネギのあみぐるみが掲載されたまるみ先生。
いつも少しかわったあみぐるみを編まれているまるみ先生と
あみぐるみとの出会いはどのようなものだったのでしょうか?
ハマナカのたれぱんだのキットを編みました
AiamuOlive(以下、A):まるみ先生とあみぐるみとの出会いは?
まるみ(以下、ま):記憶が定かではないんですが、多分初めて編んだあみぐるみは、
ハマナカのたれぱんだのキットだったんですよ。
A:ありがとうございます。
ま:その当時たれぱんだが流行っていて、私もたれぱんだが好きだったので。
A:私も好きでしたね。
2000年くらいですかね、大流行したの。
ま:きちんとあみぐるみを編んだのはこの時が初めてだった記憶です。
たれぱんだ
編み図を活用しようと、色違いもたくさん編まれたそう。
A:それまで編み物経験は?
ま:編み物は普通にしていたというか…。
セーター編んだりしてましたね。
初めてセーターを完成させたのは中学2年の頃でしたかね。
中学の時分は家庭科部に入部していて、刺しゅうや編み物をしていました。
初めて編んだセーターは、今の「すてきにハンドメイド」の前の前の代のテキスト
「婦人百科」に載っていた、縄(編み)と かのこ模様のセーターでした。
テキストが初心者向けに細かく書いてあったので、その通りに編んで完成させた
んですけども、手がきつくて、すごくミッチリしたものになっちゃって。
重たくて結局着なかったんです。
A:それは残念。
当時の毛糸はまだ重たかったですもんね。
初めて編み物をしたのが何歳頃か、記憶はありますか?
ま:小学校入るか入らないかぐらいの頃に、くさり編みで遊んでいた記憶があります。
母が編み物をしているのを見ると、やっぱり真似したくなって、というのが最初ですね。
A:お母さまが編んでおられるのを真似て、くさり編みをはじめた?
ま:何ができ上がるってわけじゃなく、ひたすらくさり編み編んで、ひもを編んでるって
感じでしたね。
くさり編みしたものを輪にして、あやとりにしてたかな?
A:ということは、普通にひととおり編めていた状況でのあみぐるみとの出会いだった
わけですね?
ところで、初めて編んだセーターの写真は残ってないんですか?
ま:それがないんですよね。
高校2年のときに編んだカーディガンの写真は残っています。
A:きれいに編めてますね。
目が揃ってます。
ま:このアーガイルで初めて縦に渡す編み込みを経験しました。
当時のアイアムオリーブに載っていた作品です。
指定の糸を通販で買って編んだんですけども、袖ぐりの減らし目とか肩下がりとかが
面倒くさくて、それを無視してまっすぐ編んじゃったんです。
袖山もまっすぐ編んじゃったんで、かなり袖が長いものになってしまって(笑)
それでも袖口を折って、制服の上からダボッと着るにはいい具合だったんです。
だいぶ重宝しましたね。
A:なるほど。
普通に編み物少女ったらあれですけど、中学は家庭科部で…。
高校は何部でした?
ま:美術部でした。
A:むっちゃインドア派ですね。
ま:そうです、そうです(笑)
A:編み物経験はふんだんにある中で、たれぱんだがきっかけであみぐるみに出会ったという…。
あの謎の生命体の(笑)
その後、初めて編んだオリジナルのあみぐるみは?
ま:これなんですけど…。
A:えぇ
最初からこれぇ!?
これ何ですか?
目玉ですか?
ま:目玉です。
A:なにゆえ目玉をつくろうと思った?
ま:『HUNTER×HUNTER』(※1)にちょっとハマっていた時期があって、
緋の眼(ひのめ)(※2)をつくりたいと思って。
赤目の眼球を最初にふたつつくって、「あ、できるじゃん」と思って、
いろんな色で量産したんです。
だいたい元ネタ漫画なんですよ、私(笑)
※1 『HUNTER×HUNTER』は、富樫義博による日本の少年漫画作品。
週刊少年ジャンプ(集英社)1998年14号から連載開始。
※2 緋の眼は、作中で登場する「クルタ族」がもつ眼のこと。感情が高ぶると眼が緋色に変わる。
A:(笑)
気がつけば古株
A:まるみ先生はあみぐるみ協会では古株だと思うんですよね。
ま:気がつけば古株になってましたね。
A:あみコレ(※)2002年(4回目)から出展されてますね。
※ 毎年日本あみぐるみ協会主催で開催される作品展示イベント「あみぐるみコレクション」は、
略してあみコレと呼ばれて親しまれている。
ま:はい。
日本あみぐるみ協会が2002年の10月1日の設立で、
翌年の2003年に協会に加入しました。
A:あみぐるみ協会に入ったきっかけは何でしたか?
ま:その当時は個人のホームページが隆盛だった頃で、アミアミリングっていう
ウェブリング(※) でいちかわみゆきさんのホームページなんかも見ていて…。
※ インターネット上において、特定の定義をもったウェブサイトをつなぎ合わせたリンクのこと。
当時あみぐるみ作家のホームページをつないだリンクが存在していた。
(ウェブリング上の)どこ(のホームページ)でお知らせがあったのか、忘れて
しまったんですけど、“あみぐるみ協会を設立します” “会員を募集します”
みたいなお知らせがあって。
個人じゃなかなか活動できないじゃないですか?
私、長いものには巻かれろなタイプなんで(笑)。
よし、入る入る!って、お知らせを見てすぐに申し込みました。
A:あみぐるみ協会に入ってからの出来事で印象に残っていることは?
ま:2006年のベルメゾンのマンスリークラブ『大好き手づくり号』に、カメのあみぐるみで
応募して、採用されたことですね。
紙媒体に掲載されて、キットとして商品化されて。
初めてのことだったので嬉しかったですね。
A:初めての紙媒体で初キット化
それは印象深いですよね。
さて、まるみ先生といえば、あみだおれがTwitterでトレンド入りした際に、いち早くTogetter(※)でまとめてくださったことが印象に残っています。
※Twitterのツイートを集めて公開できるウェブサービス。
あみだおれについてまとめた記事はこちら→ https://togetter.com/li/1034094
ま:あみだおれは、「これ全部流れていってしまうのはもったいないな。記念にとって
おこう」と思ってまとめました。
私利私欲的な気持ちで…ロールペーパーカバー編もうぜ
A:それから、“ニットで二兎!2021”や
“【おかんアートとは】ロールペーパーカバー編もうぜ【言わせない】”とか、
あみぐるまーのみなさんを巻き込むおもしろい企画をされていますよね。
“ニットで二兎”は、いつ頃から始められたんですか?
ま:2015年ですね。
“ニットで二兎”でTogetterを使ったツイートのまとめ方が分かっていたので、2016年のあみだおれのときも同じようにまとめました。
A:ありがとうございます。
“ニットで二兎”や、“ロールペーパーカバー編もうぜ”のような企画の原動力って
なんなんでしょう?
ま:“ニットで二兎”は、あみぐるみ協会員のそれロンさんと
10月10日もニットの日だという話をしている中で、
彼が「じゃあうさぎを二羽編まないとね」という発言をして。
「あ!ニットで二兎か‼」
語呂がいいぞと。
じゃあペアでうさぎを編んでみたら楽しいんじゃないかと思って、それが始まりでした。
“ロールペーパーカバー編もうぜ”は、もう何がきっかけだったか忘れちゃったんですけど、ロールペーペーカバーにしても、円座にしてもおかんアート的な感じじゃないですか。
それをぐるまーさん(※)のセンスでつくってもらったら、おかんアートじゃなくて、もうちょっと可愛いかったり、スタイリッシュだったり、おしゃれな作品ができるんじゃないかなって。
個人的に私がそれを見たかっただけという私利私欲的な(笑)
※ あみぐるみを編む人。あみぐるまーともいう。
A:それはインドア派だからこそ、そういった衝動にかられてしまうのかもしれない
みたいな(笑)。
いながらできるおもしろいこと的な…。
最近でいうと、“ニッターズハイ杯”(※)にも参加されていますね。
これも語呂がいい感じで…。
※ 『ニッターズハイ!』は、猫田ゆかりによる日本の漫画作品。
『コンプティーク』(KADOKAWA)にて2021年4月号より連載中。
Twitter上で、#ニッターズハイ杯 というタグをつけて作品にちなんだものを制作する企画が進行している。
詳しくは #ニッターズハイ杯 ~始まり をご参照ください。
ま:これもあみぐるま―のみなさんとの話の流れでできた企画ですね。
発売日を目指して、ダルマ(の糸)でだるま(という猫のキャラクター)を編もうぜ
みたいな。
A:なるほど。
ぐるま―のみなさんとTwitterで盛り上がって自然と生まれた企画なんですね。
(以下、2/2に続く)
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