さあさあ、アドラー心理学について再び考えてみよう
あくまでも我輩自身の解釈なので参考までにね
我輩はアドラー心理学って「仏教そっくりだな」と感じてる。
真似した訳じゃないだろうけど、スゴく似てるんだよね。
アドラーは、何でも「自己責任」として捉え
「自己変革」すべきだといっていて、
これは悟りを目指す修行と同じじゃないか
まず自ら自立して、
他人を自立へと導くためにサポートするという主旨は、
完全に仏教の小乗(修行)と大乗(救済)と同じだ。
般若心経だって、アドラーがいってるのと殆ど同じ。
「自分の性格も生き方も全て自分次第でどうにでもなる」
…というアドラーの主張は、
既に仏教が解き明かしていた人類の黄金律なのだ
アドラー心理学は、これをより解りやすく、
より実践的に追究した悟りの哲学といえるのかも知れない。
さて、アドラーがいった、
人間を不幸にする最大要因「劣等感」について考えてみよう。
アドラーは、自分と他人を比べる意識の持ち方と
上下の人間関係が劣等感に大きく関わってるといった。
人間が幸せになるには「全ての人間は平等で対等」
…という大前提を知るのが先決だといい、
これは釈迦が言った「天上天下唯我独尊」
…つまり、人間には上も下もなく、
全てが尊い唯一人の存在っていうのと同じだね。
人間を不幸にする「劣等感」ってヤツは、
完全なる思い込みで生まれる幻みたいなモノ。
上も下もないんだから、
自分が他人と比べて劣ってるなんて事は有り得ないんだ。
当たり前だけど、誰でも不可能な事や無理な事があり、
これは認めなきゃならない。
例えば、鳥みたいに空を飛びたいと願うのは馬鹿げてるよね?
何故なら自分は鳥じゃないんだから無理に決まってる。
よって鳥を羨ましがって劣等感を抱くのも完全に無意味だ。
同様に二枚目俳優になって映画で主演したくても、
自分がイケメンじゃなければ無理だし、
福山雅治を羨ましがっても仕方がない。
これは、逆に
イケメンがブサイクな個性派俳優に成りたがるのも同じだ。
人間が何か願望を持つならば、
先ず自分という人間のアリのままを認めて、
完全に無理な事は対象外に分類しなきゃならない。
当然、出来る人と自分を比べちゃダメで、
さっきいった通り「鳥と人間を比べる」のと同じように
全く馬鹿げた事だ。
まず、人間ってのは、
みんなが別々の違う存在だと知らなきゃならない。
そもそも違う存在なんだから、
比べる意味もなくて上も下もないんだ。
自然界では全ての生き物は対等だと思わないか?
ライオンとシマウマ、
どっちが上か下かなんて誰も決められない。
それぞれが自らの願望を持って、自分なりの課題を持って、
出来る範囲の努力をして健気に生きる「平等で対等」な存在だ。
まず、ここを知らなきゃならないね。
そして、自分に出来る事だけを確実にやればそれでいい。
「努力すれば出来る」モノとは、
自分が確実に出来る事であり、この世界に無限にある。
当然、人と自分を比べて優劣を付けちゃいけないのは大前提。
誰もが実力や能力に差はあるけど、
これは各々が歩んだ道が違う事と、
得た経験が違う事で付いた「個性の差」といっていいだろう。
とはいえ、人が誰かを見本にして
自分を成長させようというのは良い事だ。
頭の良い人には、
それなりに頭脳を鍛えて生きてきた経験があり、
自分もそう成りたいならば、同じように頭を遣いまくればいい。
努力をしないで
親や環境のせいにしてても何にもならないよね?
出来ない言い訳をせずに、まず行動しなきゃ。
それで上手くいかないとしても自分が劣ってる訳じゃなく、
まずは現時点での実力が足りてないだけ、
もしくは努力の方法が間違ってるだけだと考えるべきだ。
理想の自分に成りたいなら、
何かに挑戦して思わしい結果を出したいならば、
まずは願望のまま素直に行動すべきと思う。
もし無理だと感じたり、努力がキツイならばやめればいい
それで自分の価値が変わる事は絶対にないんだから。
頑張っても出来ないなら、誰かに手助けして貰らって構わない。
そして自分も誰かを助けてあげればいい。
だから個人が完全無欠になる必要はなく、
互いに助け合って全体がハッピーならば御の字なんだ。
それでも、個人が出来る事ってのは意外多くて、
やれば「あれ、出来るじゃん」という事が実にたくさんある。
みんな、自分のスゴさに気付いてないよ。
人間が持つ能力や順応性ってのはスゴくて、
まさに我々は無限の可能性を秘めている。
…そんな我々に唯一足りないのは、
一歩踏み出す「勇気」だけとアドラーはいう。
この無限の可能性と勇気の持つ力を理解する事が
自信を育む原動力にもなる。
無限の可能性といっても、
社会的な成功をいってる訳じゃないよ。
この世界には
無限といえる数多くの希望~ハッピネスがあって、
我々には無限の選択肢がある
当然、イチローや錦織圭みたいに
大活躍出来たらハッピーだろうけど、
普通に働いて家庭を持つというのも数ある可能性の1つで、
大きな価値があるよね
何も社会的な成功や経済的裕福を得る事に
願望を集中させなくていい。
この社会は、何でもいいから仕事にさえ就ければ、
生きていけるだけの収入は得られるし、
男女で力を合わせれば子供だって育てられる。
非正規とか正規とか、高収入とか低収入とか、
他人と比べて上下に分けてるようじゃダメだ。
遣える金が足りなければ頭を遣えばいい。
要らないモノを徹底的に除けば何とかなるじゃないか?
これが無理ならば、結婚は諦めて一人豊かに暮らせばいい。
それを負け組とかいって蔑む人は、
未だ人間として自立してない事を自覚すべきだ。
(自立してない=上下関係や競争に拘ってる)
どんな生き方でも、自分さえ満足していれば万事OK。
幸せかどうか決めるのは自分自身なのだから。
このように他人の意見や評価に依存せず、
何でも自分で決められるようになってこそ、
人は真の自由を掴める
…そして、その自由を侵害する権利は誰にもない。
そもそも、人間を自立から遠ざける依存心ってのは、
他人の自由を侵害しようとする事によって育まれてしまう。
他人が自分の望み通りにならない事で苦しむ人は、
まさに他人に依存した状態なんだ。
(詳しい説明は省く)
余り長過ぎると頭に入らないと思うので、
今回はこの辺でストップしよう。
次回は、人間にとって悩みの100%を占める
「対人関係」について、さらに深く切り込んでみたい