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毎日Twitterで読んだ本の短評をあげ続け、読書量は年間1000冊を超える、新進の歴史小説家・谷津矢車さん。今回のテーマは「お盆」。遠出が制限され、ステイホームを余儀なくされる今年、谷津さんの選ぶ5冊を参考にして、本来の「お盆」について、じっくり考えてみてはいかがでしょうか?

 

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お盆休みである。

 

作家にとっては締め切りに影響があるほかは、本を読んで原稿を書く、いつもの日々である。違いといえば、編集者からのメールやお電話がなく、割と落ち着いて仕事ができることくらいである。とはいえ、実家に帰省して仏壇に線香の一つも上げようか、というのが人情というものだが、どうやら今年は死者を偲ぶことすら難しい年になってしまったらしい。

 

今年、例のウイルス感染拡大防止の観点から、県をまたいだ移動をしないよう、全国知事会が異例の声明を発表している。これをお読みの皆様の中にも、お盆休み帰省を諦めた方もいらしたことだろう。

 

というわけで、今回の選書テーマは「お盆」である。しばしお付き合い願いたい。

 

ループし続ける「終わらない夏」

まずご紹介するのは漫画から。『盆の国』 (スケラッコ・著/リイド社・刊)である。お盆の時期になるとあの世から戻ってきた幽霊の姿が見える中学生少女の秋が、ずっと八月十五日を繰り返す時空に取り込まれ、そこから脱却するべく夏夫というミステリアスな青年と一緒に駆け回る……という筋のファンタジー作品である。

 

触りを書いただけでも本作の空気感はご理解いただけたと思う。お盆の時期特有のしめやかな雰囲気と生と死の交錯、夏と秋の同居する明るくももの哀しげなお盆の雰囲気を上記の設定が増幅し、わたしたちの眼前に立ち現れる。「ループし続ける」ことが肝となる本作は、逆説的に「変わりゆくもの」が強調される仕組みになっている。

 

何が変わっていくのか。そして、この物語がどこに向かっていくのか。是非、本作を手に取って確認していただきたい。漫画作品としては短編に分類できるだろう、全一冊の作品である。

 

名曲とのリンクも深まる自伝的小説

お盆といえば――。

 

音楽がお好きなら、グレープの「精霊流し」を思い浮かべる方もおられるだろう。わたしにとっては世代の音楽ではない(わたしの親が聴いていたはずである)が、八月のカレンダーを眺めると、あの哀感溢れるバイオリンと儚げなアルペジオの響くイントロが頭を掠める。

 

と、ここまで書いたらわたしが何を紹介したいのか、想像つく方もおられるだろう。

 

本曲の作詞作曲を務めたシンガーソングライターのさだまさしは、小説家としての顔を持っている。本日ご紹介したいのは、そのものずばり『精霊流し』(さだまさし・著/幻冬舎・刊)である。

 

本書はさだの自伝的小説と位置づけ出来る一冊である。長崎に生まれたミュージシャンの雅彦が、様々な挫折や失敗を重ねながら、ポピュラーミュージックの世界で成功を収めてゆくのと同時に、様々な知り合いや仲間たちとの別れを織り込んだ甘くも苦い青春物語である。そんな中、タイトルにもなっている精霊流しの光景が特段の存在感を放っている。

 

曲のイメージが先行しているせいで、しめやかなお祭りと誤解されがちな精霊流しの実際の様子もうかがうことができると同時に、さだが精霊流しに仮託した感情の在処にも迫ることが出来る一冊でもあり、本書を読むと、名曲の世界観理解を深める助けになることだろう。

 

甲子園がなかった君たちへ

お盆といえば甲子園、という方もいらっしゃることだろう。

 

だが、件のウイルスは甲子園にも暗い影を落とした。2020年、甲子園大会は中止となり、多くの球児が戦わずして涙を呑むことになった。

 

そんなイレギュラーな夏だからこそ世に出た一冊をご紹介しよう。『監督からのラストレター 甲子園を奪われた君たちへ』(タイムリー編集部・編/インプレス・刊)である。

 

本書は名前の通り、甲子園に出場するはずだった高校の監督が、不本意な形で夏を終えた球児に向け書いた手紙をまとめた書籍である。

 

わたしは野球オンチである。守備のポジションを数え上げると、どうしても八人までしか思い出すことができず、ああ、ショートがあったわ、と二時間後くらいに気付くくらいには野球に疎い(ショートを守っている全世界の皆様、本当にすみません)。そんなわたしが読んでも、本書には心を捉える何かがある。それは、長い間、一つの目的に向かい一緒に戦った師と弟子の紐帯を文章の端々に感じることが出来るからだろう。

 

無論、本書は指導者側から生徒に向けた一方的な書簡集であるからして、本書に横溢する〝美しさ〟を鵜呑みにするわけにはいかないのだが、一方で無視することも難しい。

 

ある種の留保はお勧めしながらも、本書の一文字一文字に籠もった力強さは唯一無二である。

 

アイスランドと日本を「お盆」でつなぐ

次は奇書といってもいい本かもしれない。

 

お盆本 – obonbon –』(お盆研究会・著/to know・発行)である。有志メンバーにより結成されたお盆研究会によるお盆調査報告書――と書くと、「なんだ、珍しくもなんともないじゃないか」とお思いの方もいるだろう。いやいや、様々な地域のお盆的な習慣を比較しているんです、とわたしが説明を重ねても、なおも「いや、よくあるコンセプトだろう」といぶかしむことだろう。

 

本書の凄さは、比較対象のぶっ飛びぶりである。岩手県遠野、岐阜県郡上。うん、ここまではわかる。だが、なんとこの二つと共に比較対象の俎上に載せられるのが、アイスランドのお盆的習慣なのである! 日本とアイスランド。ほとんど文化的交流はなく、互いが影響したはずはなかろう。だが、遠野、郡上、アイスランドのお盆的習慣を四つのキーワードから読み解いてみると、不思議な一致、というか、共通の心象風景が見えてくるような気がするから不思議だ。そして、見慣れないアイスランドの祭りを通じ、わたしたちの側であるお盆を相対視することにも繋がり、自分たちの側にあるはずの風景が別の色彩でもって立ち上がってくる。

 

そんな頭でっかちな所感は抜きにしても、本書は写真が多く、パラパラ眺めているだけでも幻想的な風景を楽しむことができる。見慣れないアイスランドの祭りはもちろんのこと、お盆というわたしたちが既知であるはずの風景をも、未知の側に寄せられてしまったかのような心地を残す本である。

 

沖縄・日本・アメリカ・お盆

最後は小説から。『宝島』(真藤順丈・著/講談社・刊)である。

 

山田風太郎賞、直木三十五賞、沖縄書店大賞を獲得した本作は、冷戦という時代の枠組みによって収奪されてきた現代の沖縄を舞台にした小説である。

 

アメリカと日本の狭間に揺れる沖縄を舞台にした本作は、時に大胆にエンターテインメントの文脈を用い、その下に生きる沖縄の精神性をあぶり出している。とともに、半ば無関心、無自覚に沖縄から収奪し続けている本土人のわたしたちにとっても、本作の問いはあまりに大きいと言わざるを得ない。実に堂々たる沖縄文学作品であると言えよう(そしてやや楽屋裏的な話ではあるが、本作のスタンスは実に歴史小説的であり、若手歴史小説家の間でもすごい歴史小説が出た、と戦慄が走った一作でもある。歴史小説ファンにもお勧めである)。

 

さて、沖縄を舞台にしている本作をなぜ「お盆」のテーマで紹介するのか――。きっと、本書をすべてお読みになった時、わたしの意図をご理解いただけるのではないかと思う。この選書を通じて手に取られた方は楽しみにしていてほしい。

 

 

季節感が失われた、と嘆く声は根強い。

特に今年はイレギュラーである。なおのこと、季節を感じづらいかもしれない。

だが、わたしたちは言葉を持っている。そして、言葉を通じて季節を感じることが出来る。

ステイホームの夏だからこそ、言葉で季節を感じようではないか。

 

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【プロフィール】

谷津矢車(やつ・やぐるま)

1986年東京都生まれ。2012年「蒲生の記」で歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝狩野永徳』でデビュー。2018年『おもちゃ絵芳藤』にて歴史時代作家クラブ賞作品賞受賞。最新刊は『雲州下屋敷の幽霊』(文藝春秋)