「アウトソーシング」を口にする親
「いままで多くの親の相談に乗ってきたけれど、『アウトソーシング』をすぐ口にする親は一様にマズい傾向が見られるよね」
知り合いの同業者と話をしたときに、こんなことを言われた。
「アウトソーシング」とは、直訳すると「外部委託」「外注化」である。
ただ、そのことばを耳にしたときのわたしは正直ピンとこなかった。
わたしは中学受験専門塾を経営しているが、そもそも、塾というのは「ご家庭の手ですべて解決できない」からこそ、わが子の中学受験勉強をアウトソーシングする場ではないのか。そう感じたからだ。
けれども、彼の発言内容をじっくりと考えてみたところ、その真意が分かってきたのだ。
彼が口にした「アウトソーシング」とは、すなわち「丸投げ」を意味していたのである。
この点については、わたしも思い当たる節がある。一つ、エピソードを紹介しよう。
担当していた小学校6年生の子の母親と面談をしていて、受験校選定をどう考えているか尋ねた際、こんな発言があった。
「わたし、考えるのが面倒くさいから、先生が全部決めてくださいよ」
思わず、わが耳を疑った。その母親はこう続ける。
「先生はプロじゃないですか。ウチの子に合っている学校を教えてくれれば、それに従います」
わたしはこう返した。
「いやいや、中高6年間を通うのはあなたのお子さんなのですよ。そのお子さんと一番長く時を過ごしてきたのはお母さんじゃないですか。わが子が通う可能性のある学校であれば、親子で来訪してその目で確かめて納得することが大切ではないですか」
母親はうんともふんとも付かぬ返答……。
ヒートアップする親は「子に目が向いている」
ご存じの方も多いだろうが、近年は首都圏を中心に中学受験人口が増加の一途を辿っている。先日から中学受験を題材にしたテレビドラマが放映されているし、「中学受験ブーム」の勢いは加速する一方だ。
先日執筆した『令和の中学受験、「進学塾」と「家庭」の役割が入れ替わる?』も、『中学受験情報の「過剰摂取」に要注意』も、共通しているのは親がわが子の中学受験に「熱く」なり過ぎることのリスクについて言及している点だ。
ブームの渦中にいると、主役が子どもであるはずの中学受験であっても、親がついヒートアップしてしまうものだ。
では、このような親は問題であると断罪すべきなのだろうか。わたしはそうは思わない。なぜなら、わが子の中学受験に言い知れぬ不安や焦りを抱いてしまうということは、換言すれば、わが子に目が向いている証拠だからだ。自身の過熱ぶりに気づいたら、それを都度冷ましてやればよいだけである。そのために、わが子の中学受験を「アウトソーシング」している進学塾の講師に相談に乗ってもらうのは有効である。
問題はわが子を直視していない親、「アウトソーシング」が「丸投げ」と同義になってしまっている親ではないかとわたしは考えている。
「丸投げ」される子どもたち
ずいぶん前の話だが、ある男性の「子育て」相談に応じたことがある。わたしは「子育て」の専門家ではなく、中学受験塾の講師だと最初は遠慮したのだが、どうしても話を聞いてほしいという。その内容がなかなか衝撃的だった。
夫婦共働きの家庭で、何かと忙しいという事情があったため、わが子は幼いときから保育園に預けるだけでなく、それ以外の時間帯にも「習い事」を詰め込むことで、仕事に専心できる時間を捻出していたらしい。結果、わが子とあまり触れ合わぬまま時間が経ってしまい、小学生になる子とどう接すればよいのかが皆目分からないし、何より子どもの本心が理解できないらしい。
また、こんな話も耳にした。
ある小学校で学級崩壊の中心人物になる子の親ほど、学校に顔を見せない傾向にあると。しかし、そういう子たちは親の前では一転して「良い子」にふるまうらしい。
なぜか。
そんな子は小学校で「一生懸命」に教員の話を無視し、授業中は「全力で」隣席のクラスメイトと会話しているのである。その姿はまるで、家庭で子どもを無視し、他のことに気を取られている親を鏡写しにしたようだ。親ともっとたくさん話をしたい、親ともっと触れ合いたいという子どもたちの本心がそこに透けて見えるのである。
さらにもうひとつ話を付け足そう。
数年前に旧知の中高一貫校の教員と一献傾けていたときのこと。
その教員は酔いに任せてか、こんなことを呟いた。
「子どもを私立中学に入れたら、学校に任せっぱなしという親が増えているように思うんだよね。高い学費を払っているのだから、その分ちゃんと見てやってください……そんなふうに『ひとごと』として捉えているように思えてならない。まるで『託児所』に預けているみたいなんだよね。そんな子ほど学力的にも精神的にも不安定なところがある」
この3つの事例は、冒頭に紹介したわが子の志望校を塾講師に丸投げする母親と共通点が見出せるのではないか。
「ネオ・ネグレクト」とは何か?
「ネグレクト」ということばがある。「子供に対する適切な養育を親が放棄すること。例えば、食事を与えない、不潔なままにしておく、病気やけがの治療を受けさせない、乳児が泣いていても無視するなどの行為」(『デジタル大辞泉/小学館』より)とされている。
しかし、経済的に裕福な家庭であっても、子どもが毎日美味しい食事を口にしていても、清潔感のある身なりをしていても、親がわが子を直視することを忌避していたり、わが子に興味を抱けなかったりするのであれば、それだってネグレクトの一種ではないか。わたしはこのような状態を「ネオ・ネグレクト」と名付けている。
中学受験の世界に話を戻そう。
わたし自身の体験のみならず、周囲の同業者の話を聞く限り、わが子に関心のない中学受験生保護者がどうも増えているようだ。なぜ、このような「ネオ・ネグレクト」が散見されるようになったのだろうか。わたしは共働き世帯の増加だけが原因ではないように感じている。ブームに乗じてわが子を中学受験させようと決めたものの、「自分は何も分からないからプロの講師にすべてお任せしちゃおう」と簡単に考える人がいるのかもしれない。塾通いさせておけば、自分の時間が確保できるし、子どもが中高一貫校に進めば、あとはエスカレーター式に学校がわが子を学ばせてくれるし、親サイドがラクするのに好都合だという深層心理が働いているのかもしれない。また、あくまでも仮説だが、小学校低学年という早期から、長期間にわたってわが子の受験勉強に振り回されて、結果として中学受験について考える気力を失ってしまう、なんてこともあるのかもしれない。
中学受験の主役は子どもだけれど
中学受験の主役はあくまで子どもである。
中学受験勉強に打ち込むのも、合格した中高一貫校で学校生活を送るのも子どもである。
けれど、そこには主役を見守る伴走者の存在が不可欠である。その役割を担えるのは「アウトソーシング」している塾ではなく、親しかいないのだ。
わたしは27年間中学受験指導に従事しているが、中学入試本番までに子の勉強が順風満帆に進むなんてことはレアケースである。
塾のペースについていけず、勉強そのものを嫌がることもある。
宿題の取り組みに四苦八苦し、つい解答を取り出して、写してしまうこともある。
仲良しだった塾の友だちとクラス昇降のタイミングで離れ離れになって意気消沈することもある。
本当は塾講師に質問したいことがたくさんあるのだけれど、なかなかその勇気が出ず、理解が覚束ないまま帰宅することもある。
ある科目の特定単元への苦手意識が払拭できず、そこから逃げ腰になってしまうこともある。
あくまでもほんの一例だが、わが子がそんな状況に陥っていることを見つけて、背中を押してやれるのは親しかいない。
また、中学受験生といってもその学力の伸長度は千差万別であり、その成熟度によって、どのような声をかけてやるか、などのアプローチの仕方を都度調整できるのも親しかいない。
わたしたち中学受験塾の講師と子どもたちの付き合いは、中学入試本番で無事に進学先が決まるその瞬間までである。そこから先の中高生活以降、わが子を支えられるのは親しかいないのだ。
その親がわが子の中学受験に関心を一切抱けない、他者に「丸投げ」をするような「ネオ・ネグレクト」の状態であれば、中学受験で良い結果を得るのはなかなか難しいし、その先の子どもにとってどんな不幸な事態が待っているのだろうかと背筋が寒くなる。
と、ここまで執筆して思ったが、この記事を本当に読んでほしい親にはなかなか届かないのだろうなとも考える。
それでも、たったひとりでもよい。この記事で「気づき」がある人がいるなら本望である。