故李登輝総統と蔡英文総統に学ぶ。
- 杉田水脈の「台湾建国110年」が標的に
- 日本側から見た「台湾建国110年」
- 故李登輝総統が台湾人アイデンティティを明確に
- 李登輝「台湾の主張」に見る「台湾中華民国・新中原」
- 李登輝総統の「台湾経験」構想の視野の深さ
- 移民国家台湾と蒋介石政権の評価の歴史的視点
- 蒋介石・蔣経国なしに現在の台湾はあり得ないと言い切る李登輝
- 「独立」は必ずしも不要と明言する李登輝の「二国論」
- 民進党蔡英文2010年「台湾は中華民国」「中華民国は台湾」
- 蔡英文総統は2021年も「中華民國台灣」の発言
- まとめ:杉田水脈の「台湾建国110年」は台湾視点でも間違いではない
杉田水脈の「台湾建国110年」が標的に
先日、ホテルオオクラで行われた台湾双十國慶節祝賀式典に参列いたしました。
今年は台湾建国110年。
八田與一氏を始め、今から約100年前に台湾の礎を築く為に尽力された日本人の方々に感謝状が贈呈され、お孫さん達が受け取られました。
来年こそは日華懇のメンバーで現地でお祝いしたいと思います。 pic.twitter.com/c1DC1EaxXX— 杉田 水脈 (@miosugita) 2021年10月9日
杉田水脈議員が「台湾建国110年」と書いたら、凄まじい数の罵詈雑言が。
「台湾は国じゃない」「中華民国の間違い」「110年前の台湾は日本統治時代だろ」のような内容で、杉田議員に「勉強しろ」と上から目線を叩きつけるものです。
中には「外交問題になるw」などと信じられない荒唐無稽なものもありました。
私に言わせれば、そういう者こそが知的怠惰の極みであると言っておきます。
日本側から見た「台湾建国110年」
- 日本政府・外務省は「台湾」という名称を用いている
- 台湾は「民国暦」を用いており今年が110年
- 台湾という地域を言っているのではなく中華民国からの国体の連続性を言っている
- 「建国してから110年」ということと「その間、日本国として台湾の地が統治されていた時期があった」ことというのは矛盾しない
こうしたことを上掲記事でまとめ、以下で台湾側の視点でどう捉えると良いのかの一視点を提示しました。
私の先人、沢山台湾人の先人、大東亜戦争で日本の為に闘ったの!辛亥革命に参加してなかった。
あの革命の情報でさえ日本時代台湾の新聞紙から知っていたの。
残念ながら、いつか台湾自分本当の誕生日が来るのを願わなければなりません。 https://t.co/Qlp1VwkwWV
— ☆Chris*台湾人☆ (@bluesayuri) 2020年10月10日
- 台湾人の中には上掲ツイートのように中華民国との決別、大陸と切り離した台湾の歴史を始めたいという考え方も存在
- しかし、台湾にはオランダ統治時代などもあり、漢民族も日本統治時代の前後に移殖してきており、原住民らと含めてそれも「本省人」
- 「外省人」による迫害もあったが、同時に彼らと共に歩んできた歴史がある
「明確に切り分けられない背景」を有している事がそこに寛容や多様性が生まれ、国の強さになる、歴史の連続性の結果を受け入れることが人造国家との違いである、ということを書いてます。
で、私のこの見解は、2名の総統によって裏付けられると言ってよいと思っています。
故李登輝総統が台湾人アイデンティティを明確に
蒋介石の息子でもある国民党の蔣経国を副総統として補佐した故李登輝総統。
蔣経国が戒厳令を解除し、世襲しないことを決定したのちに直接民主制の選挙によって本省人出身者初の総統となった人物。
彼は元日本人であり、新渡戸稲造の「武士道」にも精通し解題書も書いているくらいです⇒李登輝総統と武士道、そして日本精神|Nathan(ねーさん)|note
その彼の発言から「台湾建国110年」が台湾人らにとってどのように受け止められるものになるのか、或いはどう受け止めるべきことになるのかが見えてきます。
李登輝「台湾の主張」に見る「台湾中華民国・新中原」
台湾の主張 /李登輝の49ページ以下を参照します。
それでは、いま現在の「台湾のアイデンティティ」とはなんなのか。すぐに「台湾独立」という声が聞こえてきそうだが、台湾の国際的な地位をはっきりさせる必要があることは確かでも、私は「独立」に拘泥する気はない。現在は「中華民国在台湾」あるいは「台湾の中華民国」を確実なものにすることである。
~省略~
まず、第一歩は台湾が国際的なアイデンティティと地位を獲得することであり、中国全体を考えることは、その後の話である。
~省略~
一九九六年の就任演説で私が「台湾」を強調してはじめて、台湾は真に国民が主権をもつ国家として自己主張が可能になった。
このとき私は、次のような意味の演説を行っている。
~省略~
そして私は、次のように付け加えるのを忘れなかった。
「台湾は、ご存じのように移民社会でもあります。早い時期からの先住民の同胞を除いては、大陸から来た人々が大部分です。台湾に前に来た人、あるいは後から来た人は、それぞれに異なっていますが、すべてがこの土地を自分の力で耕し、同じく汗と心血を注いで現在の台湾を作り上げていったのです。
誰が台湾人で、誰がそうでないか。いまさら時間的な差でそれを議論することは意味がなく、またその必要もないのです。台湾は我々のものであるという認識、そして台湾のために行う努力奮闘、これが台湾人の証です。
そして、このような新しい台湾人の観念とともに、引き継いできた中国文化を尊重することもわすれては ならないのです。」
ある政治学者は、こうした私の演説を分析して「台湾には二つのナショナリズムがある」と論じたことがあった。「大台湾」という、台湾と言う地域を基礎としたナショナリズムと、「中国文化」という、文化的なナショナリズムがあるというのである。
台湾に作る「新中原」
しかし、私たちにとって大切なのは、これらのナショナリズムのいずれかが正統かを問うことではなく、いかに確固とした「台湾のアイデンティティ」を確立するかということに他ならない。
私が一九九六年に強調したのは、「大台湾を経営し、新中原をうち立てる」ということだった。
就任演説の一部を念のために引用しておこう。
「長期にわたって多元的文化が影響しあう状況のもとにおいて、台湾は中国文化の総体的な発展の中で、最も先進的な新生の力となり、中国文化の『新中原』(新しい中心地)になろうとしているのです。
現在は、まさに私たちが歴史の非情(苦難)から一歩踏み出し、手に手をとり、心をあわせて各グループが完全に融合し、全国民が共同の意識に立って『大台湾を経営し、新中原をうち立てる』ための新機運を切り開く、またとない絶好のチャンスであります」
この「新中原」とは、文化の花咲くところに他ならない。政治にもっと引きつけていえば、民主主義文化ということができるだろう。この文化は台湾に住む人たちがすべて参加してはじめて成り立つものである。参加の中から生み出される、「われわれは台湾人だ」というアイデンティティを基盤にして育つものだ。
しかし、いまの台湾が本省人や外省人、あるいは先住民を区別していてはアイデンティティは確立できない。むしろ、大台湾はこうした来歴の違う人々があつまって、新しい来歴を、大陸とは異なるかたちで形成していくことが重要なのである。
李登輝総統は「民主主義文化」が台湾人のアイデンティティだと指摘。
この部分はのちの記述と合わせて理解する方がいいでしょう。
李登輝総統の「台湾経験」構想の視野の深さ
台湾の主張 /李登輝120ページ以降に見られる李登輝総統のスコープの広さ・深さ・多次元的視座は、大いに知られるべきです。
共産チャイナはこれを警戒するだろうということが容易に感ぜられる。
「台湾経験」の本当の意味
このように、私が台湾の成果を基礎として論じているのは、台湾が昔から自由民主主義の国だったからではない。そうではなくて、台湾が戦後のこの半世紀のあいだに、次第に現在ある政治・経済・社会を築き上げてきたからこそ、私たちの経験を述べようとするのである。
台湾に中華民国が移動してきたときには、台湾は豊でもなければ、平穏な地域でもなかった。もちろん、国民党が当初行った政治は強権的で独裁的といえるものだった。「白色テロ」が横行し、国民党とともに大陸から渡ってきた外省人による、当時台湾に居住していた本省人への弾圧があった。
しかし、その後、経済的な進展を実現し、社会的にも安定した状況を生み出し、そして政治的にも総統の直接選挙に象徴されるように、民主化を推進してきたのである。
現実的にみて、中華民国は台湾地区において経済、社会、政治の発展を実現し、その成果を蓄積してきたことは明らかであろう。同じ中国人が経験してきたこの過程は、大陸からみて、いかなる外国の経験よりも参考とする価値のあるものにほかならない。
すでに第一章でも触れたが、中国人の文化や社会制度が中国社会の進歩を遅らせた面はあるものの、それがすべてではない。それどころか、中国人は経済的繁栄を実現しながら、同時にしっかりした足取りで民主化への道を歩むことが可能なのである。台湾はその証明を見事にしてきたといえるのである。
そこで私が大陸に向かって言いたいのは、私たちのこうした経験は大陸同胞も思いあたることが多くないだろうかということなのである。そして、大陸が現在目指している方向に根本的で不快矛盾があるということも、台湾をよくみることによって気が付くはずなのである。「台湾経験」すなわち「台湾モデル」とは、単に台湾のためだけのものではない。中国人すべてのものであり、将来、統一された中国のモデルに他ならない。これが、本当の意味での「台湾経験」であり、私が強く主張したいことなのである。
したがって、私たちは大陸当局が強圧的に主張してきた「一つの中国」論にはまったく同意できないが、現在進行している部分的な社会の末端の民主化実験については、成功することを願ってやまない。
さらに大陸が政治改革を推進して、民主化の幅と深さを拡大し、大陸同胞がなお一層知恵と能力を発揮し、多元的な開放された近代社会に向かうことを強く希望しているのである。
「台湾経験」=「台湾モデル」とは、台湾が苦しみながら民主化の過程を経てきたという歴史的な経過そのものを指しているようです。
その事実それ自体が、貴重なものであるということ。
さらには、その姿を見せつけることで共産チャイナの民衆の意識に働きかけ、大陸での民主化に影響を与えようとする。
李登輝総統は、ここまでの視座に立っていたのかと戦慄を覚えました。
移民国家台湾と蒋介石政権の評価の歴史的視点
台湾の主張 /李登輝196ページ以下から抜粋。
歴史の中の台湾という存在
繰り返すが、もともと台湾に住んでいたのは先住民だけだった。その先住民も、文化的にはいくつにも分かれた少数民族の集まりだった。十七世紀ころになると、中国大陸の福建省や広東省あたりから漢民族の移住が始まり、一時的にはオランダが統治に意欲をみせ、さらには明の遺臣である鄭成功が政権を作ったこともあった。
漢民族が大勢住むようになったのは、中国が清の時代になってからである。それまではせいぜい十数万人でしかなかった漢民族人口は、この時代には二百数十万に増えたといわれている。
そして、一八九五年には日本統治時代を迎え、一九四九年には中国大陸から国民党がやってきてさらにさまざまな民族・文化を受容しながら、半世紀後に現在のような「新しい台湾人」の台湾が存在するようになったのである。
これからの台湾、二十一世紀の台湾を考える際にも、私はこうした歴史的経緯を重くみたい。多くの要素を取り入れ、多くの民族を受け入れながら、文明国として自らを位置づけ、そして未来を建設していくのが、まさに台湾の存在そのものなのである。
そのプロセスは、切り捨てや否定ではなくて「積み重ね」である。前の人々の尊い努力があったからこそ、現在の台湾が存在するのだ。「新しい台湾人」は突然生まれたのではなくて、歴史の「積み重ね」の結果として生まれつつある。
この半世紀あまりの政治においても同じことがいえる。確かに国民党が大陸よりやってきたときには、権威主義的な勢力であり、事実、かなり強権的な政治を行った。
しかし、その国民党は孫文の「三民主義」という種子を抱いており、その種子はいつかは芽を出し、花を咲かせ、実をつけるはずのものだった。蒋介石総統時代の台湾は、確かに権威主義的であったが、では、あの時点で自由と民主を全面的に展開できるかといえば、とても不可能だったろう。
大陸には圧倒的な勢力い思われる共産主義政権が存在し、いま考えれば単に破壊するだけのようなさまざまな社会変革運動を強行していた。チベットやその他の周辺諸国をみれば分かるように、強権的な政策が有無をいわさず適用されていた。
蒋介石時代とは、単に大陸からの逃避政権の時代としてではなく、当時の中国・アジア情勢の中でみなければならないだろう。
中華民国では「国父」と呼ばれる孫文(中国語圏では孫中山と呼ばれることが多い)はその思想によって辛亥革命を導いた中華民国の初代臨時大総統です。
孫文は日本に二度亡命して日本人の妻と愛人まで設けており、日本政府の要人とも親しく、日本と深い関係があります。
台湾・国民党と日本国が孫文を結節点として繋がっている点は重要でしょう。
軍政・訓政・憲政の革命三段階論を有していたことや三民主義についてはここでは捨象する。
蒋介石・蔣経国なしに現在の台湾はあり得ないと言い切る李登輝
李登輝氏は蒋介石・蔣経国についてはどう考えているのか?
彼のこれまで紹介してきた発言からは察しがつくでしょう。
台湾の主張 /李登輝202ページ以下から抜粋します。
蒋親子の功績を基礎に
こうして、台湾のこれまでを振り返ってみたのは、懐古に浸るためではない。そうではなくて、これまでの着実な達成の上に現在の私たちが存在し、そして現在の着実な試みの上に未来が描かれるという事を確認するためである。
~省略~
この半世紀をみれば、私は過去とは決別したような民主化を行ってきているようにみえるかもしれない。蒋介石や蔣経国の政治はオーソリタリアンということになるだろう。しかし、私はこの先人を公的に批判した事は一度もない。歴史的にみたとき、蒋介石・蔣経国を考えずに現在の台湾はありえないのである。
この数十年のあいだ、もし彼らのような強靭な性格の指導者でなければ、とっくに中国共産党に台湾は支配されていただろう。そして大陸同胞と同じようなつらく長い隘路を歩むはめになっていただろう。
歴史はさまざまな屈折と逆説に満ちているようにみえるが、それはおそらく必要だった過程なのである。大きな視点でみれば、歴史に逆行しているとされていたことも、私たちのいまをささえている。
これは李登輝氏が蔣経国に恩を感じているからとか、自分が属する国民党を否定できない、ということではないというのは、これまで場面を変え、何度も言葉を尽くして同様の内容を説明していることから明らかでしょう。
歴史の連続性を重視する彼の思考は、まぎれもなく「日本人」です。
「独立」は必ずしも不要と明言する李登輝の「二国論」
前掲書の内容だけでも「台湾独立」という言葉(その意味内容は不明瞭だが)に関して、李登輝氏ならばこう考えるだろう、というのは見えてくるでしょう。
もっと明確に論じているものがあったので紹介します。
李登輝学校の教え(小学館文庫) [ 小林 よしのり ]97頁から102ページの内容を抜粋。
李 しかし、もうすでに内戦を消滅させ、民主化して、憲法の内容も随分と変わりました。中華民国は従来のような内容の国ではないのです。今の中華民国は、内容の全部変わった「第二共和国(ニュー・リパブリック)」なのです。
そして九八年いっぱいで台湾省も廃止しました。
九九年にドイツの公共放送『ドイチェ・ウェレ』のインタビューで「台湾と中国は国と国、少なくとも特殊な国と国との関係」と答えた際にも、中共が台湾は反乱を起こした中国の一省だという言い方をしてきたので、我々はもうすでに憲法を修正したので台湾省はなくなったと言ったのです。
そして、中華民国憲法の第四条には領土に関する規定があるのですが、これは実に興味深い表現になっています。「中華民国の領土は、従来の領域を領土とする」となっている。言葉は曖昧ですが、何も修正する必要がなく、どんな状況に対してでも使えるようになっています。今、台湾が有効に統治している地域、台湾島、澎湖諸島、金門島、馬祖島などが領土なのだと説明がつく。
一九四九年に中華人民共和国が、その存在を宣言した時点で、中国はすでに分裂しているのです。
小林 なるほど。それが「二国論」というわけですね。
しかし台湾には「独立」を言う人たちがいます。これは中国はもとより、もとをただせば外来政権である中華民国からも独立して、純粋に台湾共和国になることを望んでいる人たちだと思うのですが。
李 確かにそういう考え方もあるでしょう。
しかし、私は台湾が「独立」を言う必要はないと思う。私自身、「独立」を口にしたことはありませんしね。
なぜなら中華民国は大陸での内戦に負けたかもしれないけど、台湾に残っている。そして中華民国は一九一二年の建国以来、主権を持つ国家です。だから中華民国の主権と地位を保全しつつ、憲法に従って内容を変えていって新共和国にすれば、何も台湾は独立を宣言する必要はない。中華民国を「台湾化」すればいいのです。つまり「本土化」ということです。
もちろん国民党政府は結局のところ外来政権です。この外来政権を、台湾ときちんと結びつかせるためには、内務的な政治形態を変えることです。そこで、先ほど申し上げましたように、九一年の憲法修正に基づいて内務的な組織形態を変えました。そして民主化が進んだ結果、今実際に私たちが持っているのは、十分に民意の反映された政府であり、民意によって選ばれた総統です。
事実として、中華民国は台湾に移ってきて、だんだん台湾化してきたという経緯があります。私はこれを「中華民国在台湾(中華民国は台湾にあり)と言ってきましたが、最近では「台湾中華民国」というところにまで意識が進んできた。
そして、台湾に主権があるかどうか、台湾が一つの国家として成立するかどうかというのは、国際法の問題でもあるのです。
我々はこの研究を進めていますが、今の状況が、そのまま肯定されていけば、何も台湾が独立を宣言して中共と戦争する必要はないでしょう。
ー省略ー
小林 しかも、台湾には外省人と本省人という「省籍問題」がありますよね。
李 そうなのです。この台湾アイデンティティの問題というのは、台湾の民主化にとって、非常に重大な問題なのです。
そもそも台湾は、その歴史において、ほとんどの時期が外来政権による統治だったという経緯があります。
他のさまざまな国において民主化を行う際にも、階級的な闘争など、いろんな要因が入ってくるわけですが、それが契機となって、一層、民主化が進むということがある。
台湾において民主化は、今までの外来政権の独裁政権から抜け出して、いかに台湾人自身が台湾を経営していくか、ということが問題になるわけです。
ではそのとき、民主化の主体である民のアイデンティティはいかなるものか、という際に、台湾では、中国人か台湾人かという民族的な問題や、省籍の問題を解決していかなければならいわけです。
だから、台湾のアイデンティティを求める際には、「台湾共和国」や「独立」を宣言したりということでは解決できない複雑な問題が横たわっているんです。
小林 なるほど。「台湾共和国」や「独立」では、現在台湾に籍を置く人たちの何割かは満足するけれど、何割かは弾かれてしまうということですね。特に戦後、国民党として渡ってきた外省人たちははじき出されてしまう。
でも極端な話、あれだけ本省人を差別し弾圧してきたのだから、少しぐらい痛い目に遭ってもいいのかもしれんと、わしなんかは勝手に思ってしまうけど、やはりそれではいけないと。全員を救い上げるようなものでなければならないということですね。
李 そうです。全員が、自分たちは台湾人なのだという共通認識のもと、手を携えてやって行くことが重要なのです。
私が「新台湾人」という言葉を連呼するのも、そのためです。
台湾は民主化したといっても、まだまだ完全ではない。昔の古い統治階級は残っているし、統治階級がマスコミや世論を操作したり、教育を操作したりと、ほんとうの意味での民主化を妨げているという現状がある。
しかし、そういった弊害が改善されて、人民の間に共通のアイデンティティが深まれば深まるほど、台湾における民主化は、より強固なものになっていく。
つまり台湾における民主化は、台湾アイデンティティの追求とは切り離せない関係にあるのです。
いわゆる台湾独立派の言うところの「独立」とは何を指すのか分からないが、悪い部分を切り捨てるという意味であるとするなら、それは小林よしのり氏が危惧するように、分断を生み出す考え方であり、李登輝氏の思想からはあり得ないだろう。
国連に国家として承認してもらうというだけの意味であれば、台湾人のアイデンティティの淵源や建国からの年数とはほとんど関係ない話です。
民進党蔡英文2010年「台湾は中華民国」「中華民国は台湾」
現総統である民主進歩党の蔡英文氏が野党だった頃の2010年に「台湾は中華民国」「中華民国は台湾」と演説しているのが見つかります。
日本語では上掲資料があったのでリンクと画像を貼るが、原文は以下。
2011-10-08 蔡英文:台灣人可以包容、原諒,唯一堅持的是2300萬人的主權
過去60年來,中華民國失去了它原來建立的國土,在過去的62年,它只存在在台灣,台灣這塊土地與人民是融合在一起的,今天絕大多數的台灣人民都能認同一件事:「台灣就是中華民國」、「中華民國就是台灣」,這是中華民國的新生
翌日の記者会見でも進歩民主党は中華民国を「亡命政府」であるという見解であったが、それについては直接民主制の過程で中華民国政府は台湾の土地と人々と統合されたため「中華民国政府は台湾政府である」と発言しています。
2011-10-09 蔡英文:包容的態度讓台灣更和諧 和諧是團結國家的基礎
另針對媒體提問,過去民進黨內主張中華民國是流亡政府,對於這樣的立場是否有所改變,蔡英文表示,過去許多人對於中華民國政府有很多不同的觀感,尤其是1949年中華民國政府來台時,這種威權的統治,甚至於二二八事件,導致人民對於政府的觀感發生了分歧的狀況。
蔡英文說,但仍要給台灣民主的發展一些肯定,在過去的六十年,台灣的進程中,尤其是近二十年來台灣的發展,從開放黨禁到總統直選,在一次又一次總統直選的過程裡,其實中華民國政府已經和台灣的這塊土地和人民結合在一起了,所以今天的中華民國政府就是台灣的政府。
蔡英文総統は2021年も「中華民國台灣」の発言
共識化分歧 團結守台灣 總統發表國慶演說 總統出席「中華民國中樞暨各界慶祝110年國慶大會」 中華民國110年10月10日
蔡英文総統の2021年の中華民国110年記念式典でも”今天中華民國台灣”=今日の中華民国である台湾という表現や「中華民國台灣」という表現が2回出てきます。
「中華民国建国110年」「台湾建国110年」かは、オフィシャルな呼称かそうでないかという些末な違いしかそこには存在しないと認識しているように見えます。
蔡英文総統が故李登輝総統の思想をどれだけ知っており、どれだけ受け入れて、発言に反映させているのかは分かりませんが、これらの発言からは、両者の認識にはまったく齟齬は無いでしょう。
台湾、110歳になりました🎂
— Taiwan in Japan 台北駐日経済文化代表処 (@Taiwan_in_Japan) 2021年10月10日
Twitterでも「臺灣 110」と検索すれば肯定的な反応が多く見つかります。
まとめ:杉田水脈の「台湾建国110年」は台湾視点でも間違いではない
- 故李登輝総統は蒋介石時代も含めた台湾の民主化の過程こそが台湾人のアイデンティティの淵源だと主張
- 故李登輝総統は「台湾中華民国」とも発言していた
- 故李登輝総統は「独立」は不要とも指摘
- 蔡英文総統も「台湾は中華民国であり、中華民国は台湾である」という見解
- 蔡英文総統も中華民国時代を切り捨てる見解では無く、それを含めて台湾であるとしている
こうした要人らの主張からすれば、杉田水脈議員の「台湾建国110年」は、台湾視点でも決して「不勉強な・無知な間違い」ではないと言えるでしょう。
もちろん、台湾の建国の時期は辛亥革命ではないとする人も居るようで、これは当の台湾人たちが決める事でしょう。
ただ、「台湾建国110年」と言っている人を軽々に馬鹿にし、下に見て罵倒語を投げかけることは決して正当化されないし、底知れぬ不見識がそこにはあるのだということが本稿で明らかになったと言えるでしょう。
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