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昭和史研究、半藤一利さん死去、90歳 なぜ「私の一生はフィクション」と語ったのか?
https://www.j-cast.com/2021/01/13402777.html?p=all
2021年01月13日10時47分

『日本のいちばん長い日』など昭和史関連の多数の著作で知られる作家で歴史研究家の半藤一利さんが亡くなった。90歳だった。

日経新聞が関係者の話として伝えたところでは、2021年1月12日に東京・世田谷の自宅で倒れているのが見つかり、死亡が確認されたという。

「週刊文春」「文藝春秋」の編集長を歴任

半藤さんは1930年生まれ。東京大学文学部国文科卒業。文芸春秋新社(当時)に入社し、編集者時代から取材や社内の勉強会で太平洋戦争史戦史や昭和史の研究に関わった。のち「週刊文春」「文藝春秋」の編集長などを歴任した。妻の末利子さんは夏目漱石の孫ということもあり、漱石関連の著書も多い。1993年、『漱石先生ぞな、もし』で新田次郎文学賞を受賞。95年に文藝春秋を退社後、本格的にノンフィクションの著作を発表するようになり、98年、『ノモンハンの夏』で山本七平賞、2006年、『昭和史』で毎日出版文化賞特別賞、さらに15年には、第63回菊池寛賞を受賞している。

『日本のいちばん長い日』は、1945年8月14日の正午から15日正午までの24時間を描いたノンフィクション。玉音放送の取り扱いを軸に、戦争終結に至るまでの日本上層部の攻防を多数の関係者の取材から詳細に再現している。65年にいったん、大宅壮一の編著として発表されたが、のちに自著として決定版を刊行している。初出本を刊行してから半世紀以上になるが、21年1月13日現在、アマゾンの「日中・太平洋戦争」で2位、「日本史一般」でも5位をキープするロングセラーとなっている。

「歴史探偵」を自称

半藤さんは長年、編集者だったこともあり、わかりやすい語り口と巧みな構成で、複雑な歴史の真実を伝えることに秀でていた。自身を「歴史探偵」と名付け、テレビなどにも積極的に出演、一般読者や視聴者の素朴な疑問に答えるスタンスを貫いた。晩年は主として新書本で長年の成果を開陳した。

『なぜ必敗の戦争を始めたのか』(文春新書)は、「陸軍エリート将校」たちが戦後に行った「反省会議録」をもとに日本が戦争に突き進んだ経緯を解き明かし、南進に踏み切った理由について、陸海軍とも、最終目標は東南アジア諸国が産出する石油や鉄鉱石の資源獲得だった、と解説している。

過去の膨大な著作から、エッセンスを抜きだし、年代記風にまとめ直した『歴史と戦争』 (幻冬舎新書)の「あとがき」では、以下のように語っている。

「私を含めて戦時下に生を受けた日本人はだれもが一生をフィクションの中で生きてきたといえるのではなかろうか。万世一系の天皇は神であり、日本民族は世界一優秀であり…日本軍は無敵であり…そんな日本をもう一度つくってはいけない」

東京大空襲で九死に一生の経験

歴史探訪家の竹内正浩さんの著書『天皇の旅と寄り道』(ベスト新書)によれば、昭和天皇は1967年12月29日、映画化された「日本のいちばん長い日」をご覧になっている。

保阪正康さんの『天皇陛下「生前退位」への想い』(新潮文庫)によると、保阪さんは半藤一利さんといっしょに平成の両陛下とお会いしたことがある。いわば「私的な形の懇談」だ。保阪さんは「日時や回数にはふれない」と書いているが、2020年10月10日の日経新聞社会面「上皇ご夫妻 長引く外出自粛」という記事によると、「歴史談議が好きなご夫妻は、在位中は歴史家の半藤一利、保阪正康、加藤陽子の3氏を頻繁に御所に招かれていた」とあった。加藤・東大教授は『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(新潮社)の大ベストセラーで知られる。先の「学術会議」問題で、政府に任命されなかった6人のうちの一人だ。

この記事を書いた井上亮・編集委員は、21年1月13日朝刊の半藤さんの「評伝」記事の中で、半藤さんは東京大空襲で九死に一生の経験をしたが、そのことを長く公言しなかったこと、それは「自分より悲惨な目に遭った人はたくさんいる」から、との思いによるものだったことを明かしている。

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