家電を含む生活用品全般を取り扱うメーカー、アイリスオーヤマは、2021年で株式会社化から50周年を迎えました。もともとはプラスチック製品の加工をメーカーから請け負っていた大山ブロー工業所(1958年創業)が前身ですが、後に「脱下請け」を志し、さまざまなオリジナル商品を開発・販売を開始しました。これがヒットし、50年前の1971年に大山ブロー工業株式会社として再出発をすると、1964年時点で500万円だった売り上げは、8年後には7億6000万円に。そして、1991年に大山ブロー工業株式会社から「アイリスオーヤマ株式会社」に社名を変更。これまでに開発してきた多くの商品は、消費者の絶大な支持を獲得しています。
今回は、そんなアイリスオーヤマの50年を前編・後編の2回にわたって振り返ります。前編となる本記事では、アイリスオーヤマの成長につながった「歴史的商品」を、同社広報室・羽鹿奈々さん(はしか なな)の解説の下、取り上げていきます。
「下請けで一生を終えるのはイヤ。メーカーになりたい」として最初に開発したものは養殖用ブイ!
--1958年の創業当初はプラスチック加工の下請け業者だった大山ブロー工業所ですが、創業者の大山森佑さん(おおやま もりすけ)が1964年に亡くなり、19歳という若さで現・会長の大山健太郎さんが代表に就任します。この太郎さんの代表就任が、アイリスオーヤマへと繋がっていったのですね?
羽鹿奈々さん(以下、羽鹿):おっしゃる通りです。当初はプラスチック加工をメーカーから請け負っていたのですが、現会長の大山健太郎は「町工場で終わりたくない」「メーカーになりたい」「メーカーとして、自社ブランドの商品を開発・製造したい」という強い思いを抱きました。そして、代表就任から2年にして発売したのが、プラスチック製の養殖用ブイです。
羽鹿:従来のブイはボール状のもので、ガラス製がほとんどでした。重くて割れやすく、特に輸送時には不向きだったそうです。そのブイの問題点を改善するためにプラスチック加工のノウハウを生かし、プラスチック製のブイをオリジナルで開発したところヒットしました。これをきっかけにプラスチック成型技術を活かした商品をどんどん生み出していくことになります。
――育苗箱やプランターも開発したそうですね。
羽鹿:はい。それまでの商品が木材だったり陶器だったりして不便だったところに、プラスチックで作ることで、多くの方に便利だと受け入れていただけたようです。特に1970年に発売した育苗箱は、木製で腐りやすかった素材をプラスチックにしたことで、耐久性が高まり、お手入れもしやすくなったことから大ヒット。これは、翌年の法人化への後押しをした商品にもなりました。
また、それから10年後に発売したプランターも、当時としては画期的だったんです。ガーデニングというと、それまで農家以外の一般家庭では手を出しにくかったそうですが、プラスチック製のプランターを弊社で開発したところ大ヒット。結果的に日本のガーデニングブームを牽引することになったと自負しています。
「セーターがない!」という夫婦喧嘩から着眼したクリア収納ケースが大ヒット
――犬舎も発売し、ヒットとなったそうですね。今では当たり前のプラスチック製の犬小屋も、当時は珍しかったのでしょうか?
羽鹿:そうなんです。かつての日本で犬を飼う場合、番犬として屋外で飼われることが多かったんです。外で飼うわけですから頑丈な犬舎が望ましいのですが、木製が主流だったので、雨風にさらされると劣化が早まったり、腐ってしまったりという問題がありました。
その点、プラスチックであればお手入れがしやすく軽くて頑丈。そんな背景から、プラスチック製の犬舎を開発・販売したところ爆発的なヒットとなりました。
――今では一般的になった商品としては、クリア収納ケースも挙げられますね。
羽鹿:そうですね。現会長の大山健太郎が釣りに出かけようと、セーターが入っている収納棚を探したそうですが、中が見えないため、どこにそのセーターがあるか分からなくなってしまったんです。
そのことで奥さんと軽く夫婦喧嘩になったそうで、「中が見えない不満をどうにかしたい」という着眼に至りました。「いっそ、中が見えるようにしちゃえばいいじゃないか?」ということで、透明の素材でクリア収納ケースを作ったんです。
当初は取引先の方から「こんな中が見えてしまうケースなんて売れるわけがない」と言われたそうですが、実際は大ヒット商品になり、今では世界中にも広まるようになりました。弊社にとっても、クリア収納ケースは大きなターニングポイントとなった商品でした。
2000年代以降、電気製品やマスクなどの開発も
――ここまでは、持ち前のプラスチック加工技術を活用した商品群ですが、特に2000年代以降は、電気製品やマスクといった分野の開発も行っていきますね。
羽鹿:はい。ガーデニング商品群の延長でイルミネーションライトを販売したのですが、この経緯から電気製品にも着目。特に「LEDはもっと身近に使えるようにすべき」として、アルミ部品の素材をプラスチックに変えることで、誰もが手に取りやすい価格にでき、LED電球の普及に貢献しました。
羽鹿:販売当初、大手電機メーカーが1万円近くで販売していたLED電球ですが、2009年夏時点で、市場相場の半値にあたる5000円のLED電球を販売。さらに8か月後には1980円という低価格を実現しました。このことで一般家庭にも手に取っていただきやすくなり、業界にも強いインパクトを与えることになりました。後に弊社が家電商品に取り組むことにも繋がった商品です。
――今では必需品となったマスクは、コロナ禍以前から熱心に取り組んでいましたよね。
羽鹿:マスクの生産を開始したのは2007年でした。2009年は新型インフルエンザが世界中に広がりパンデミックとなりましたが、ウイルスの活動を抑えるとされる銀イオンを配合した特殊不織布マスクを開発し好評を得ました。
「なるほど家電」第1号となったクッキングヒーター
――アイリスオーヤマでは、それまでになかった画期的な家電を「なるほど家電」と呼んで、販売していますが、その第1号となった商品は何ですか?
羽鹿:IHクッキングヒーターです。それまでは、電圧が200Vのモデルが多かったのですが、100Vにすることで電気工事も不要に。より生活者の方に寄り添った商品だったと自負しています。
――ふとん乾燥機、エアコン、極細軽量スティッククリーナー、サーキュレーター、テレビといった家電の開発にも本格的に乗り出します。
羽鹿:これらも「なるほど家電」として開発したものです。いずれもお客様が思わずなるほど、便利だと言ってしまう、痒い所に手が届くような商品です。例えば「使いやすい」「お掃除がしやすい」「お手頃価格」など。これらの取り組みや商品によってユーザーの方にとっての選択肢の1つとなればと思います。
アイリスオーヤマは、もはやスタジアムを作れる!?
――またちょっと変わったところでは、スポーツ施設用の椅子、サーマルカメラ、お米、飲料水なども開発・販売されているんですね。
羽鹿:弊社ではB-to-C(一般消費者向け)だけでなく、B-to-B(企業向け)の商品も多く扱っており、こういったスポーツ施設用の椅子や、非接触で温度を測定できるサーマルカメラなども開発しています。意外に思われるかもしれませんが、実は弊社の商品ラインナップでは、スタジアムの内装をトータルで提案できるようになっているんです。
――ということは、例えば人工芝なんかもあるのですか?
羽鹿:取り扱いがあります。これは結構意外に思われる方が多いようですね。
――食品や飲料はどのようにして開発・販売に至ったのでしょうか?
羽鹿:お米は東日本大震災がきっかけで、被災した東北の農家の方々のお力になれればという思いから取り組んだものです。通常、お米は5kg、10kgなどまとまった量で販売されていることが多いですが、一人暮らしの方だと、ちょっと多くて食べきるまでに傷んでしまうこともあります。そこで弊社では2合分の使い切りサイズのお米を用意しました。新鮮な状態で食べきることができる商品です。気になっていた銘柄を2合パックでお試ししていただくこともできます。
また、飲料水もやはり震災がきっかけで、ライフライン復旧までの備えの重要性を再認識し、いざというときに備えられるように始めたものです。弊社は仙台に本社があることもあり、まだ完全復興とは言えない東北地域の方々のお力になれるようなことも、社の方針の一つに掲げています。
ユーザーイン発想を最優先に、さらなる未来へ
――アイリスオーヤマの歴史的商品を見てきましたが、いずれも従来あった商品より「使う人」に寄り添ったものが多い印象を受けました。
羽鹿:弊社の開発の根底には「SRG(シンプル・リーズナブル・グッド)+ユーザーイン発想」があります。製品を使う方の視点を第一優先に開発をするという意味ですが、例えば「使用頻度が限られる機能をあえて廃して、本当に必要な機能だけを残す」「安すぎず高すぎない、手に取りやすい価格を実現しよう」といった考え方です。この発想の上で常に高品質を目指しています。
従来からの「ユーザーイン発想」はそのままに、これから先の未来はさらにハイクオリティの商品をお届けしていきたいと考えています。
アイリスオーヤマの歴史的商品は、市場に新発想を持ち込んだことがあらためてわかりました。【後編】では、現在手に入る、思わず膝を打ってしまうようなアイデア商品の数々を紹介します。