芝居、秘境への探検など何にでも全力で向き合う藤岡弘、さんは、自ら集めたコレクションにも並々ならぬ愛情を注ぐ。ということで、藤岡さんの事務所にある古民家にお邪魔して国内外問わず集めた珍品を紹介するこの連載。
第1回のテーマは「ランプ」。昨今のキャンプブームで、ランタンといった照明器具が注目を集めているが、藤岡さんの趣向は一般的な感覚とは少し違う。そもそも、藤岡流の“審美眼”とは? さっそく本人に聞いてみよう。
(構成・撮影:丸山剛史/執筆:ピエーロ竹)
モノ集めのテーマは「実をもって虚と成す」
――どういったモノに心が引かれるのですか?
藤岡 僕はちょっと変わってるかもしれないですが、俳優生活やモノ集めのテーマにしているのが「実をもって虚と成す」という言葉。実、つまり本物を知らないと虚を表現することはできない。役作りだけでなく、モノ集めに関してもそこは共通しています。僕のコレクションの中には鎧や刀もあって、レプリカと本物。真剣や本物の鎧で稽古することによって当時の人たちに心を馳せさせて思いを近づけられる。モノ集めもその気持ちが大事だと思っています。兜や鎧、真剣は弟子たちに着せるために特注で作ったものだから、これで稽古をする場合もありますね。
――そのような本物のアイテムをどこで見つけますか?
藤岡 海外ロケに行けばみなさんブランド品を買いに行かれる方もいらっしゃいますが、僕が知りたいのはその国の歴史なので、現地の博物館や市場などに行きます。そのひとつとして、現地の骨董品店にも足を運ぶ。自宅にあるコレクションはそういったところで手に入れることが多いです。日本の骨董品店にも行くことがありますが、それらのモノはその土地土地の歴史を感じる逸品で、ロマンを感じられる。これまで100か国近くの国を旅して様々なモノに出会いましたが、素敵な物語を秘めているアイテムは、自然と僕の元に集まってくるような気がしますね。僕の家にあるのはすべて思い出の品。火縄銃など国宝級の価値があってお見せできないものもあるんです。そんな歴史とロマンがあるものが集まってくるんです。
――モノも人と一緒で、出会いがある。
藤岡 そうですね。出会いを僕は大事にします。縁を結ぶのが大好きなんでね。国境や民族を越えて、どの国に行っても世界中に友がいる。100か国近く旅をしてるので、そういった人たちと今でも連絡を取り合って、世界情勢で知りたいことがあれば、それに関係した友人にアクセスして、真実の新鮮な生の情報が手に入れられるんですよ。世界には表と裏、そして底と闇の情報があると思うんですが、僕は底と闇の情報こそ最も重要な信ぴょう性があると思っています。
それで、僕が100か国近く旅をしてきたなかで、自分がその国で体験したことを忘れることのないように、その場所場所で思い出の品に出会えるんですね。例えば、僕の家にあるタンスは今から500~600年前にイギリスの有力な貴族が所有していたものだったりする。それを見つけた時に「日本に持って帰りたい」と言ったら向こうも「お目が高い」と言いつつ考えこんじゃって、でも仲良くなって結局、譲ってもらうことになった。そういったモノを見ると、あの時、あの人と出会ってこういう話をして…と思い出すことができるんですよ。それが人間の機微となって、俳優という表現の助けになったりもするんです。
――それぞれ藤岡さんにとってストーリーがある。
藤岡 僕は歴史が好きなんで、日本でも地方にロケに行ったら、その土地の歴史を尋ねることが好きなんですよ。神社仏閣や郷土の民俗館に行ったり、地元の長老のような方にお会いして、郷土史を学ぶ。それがワクワクして非常に楽しい。それを僕の子どもも知っているから、今度地方のどこそこへ行くと話をすれば、「パパ、神社はここ、お寺はここ、民俗館はここにあるよ。行ってきてよ」なんて教えてくれる。帰ってきたらそこで知ったことを語ってあげると喜ぶんです。だから、子どもたちもとても歴史への興味と関心が強いですよ。
――藤岡さんは価値基準が普通の人とは違うんですね。
藤岡 骨董品店の隅に誰からも関心を示されず、汚れて打ち捨てられているようなモノが私に語り掛けてきて何かを感じ、ハッと心を奪われてしまう瞬間がある。店主の方からは「そんなモノでいいんですか」と言われたりもしますが、それを拭いてキレイにすると魂が宿り、精気が戻り、光り輝いて思いがけないことが起こる。運気が上がるというか、そういったモノはつい譲ってもらう。骨董品店は商売が云々じゃなくて、価値がわかってくれる人に譲りたいという気持ちが強いんでしょうね。そのものの歴史や物語を聞くことができる。そこに楽しいロマンがある。そのようなお店は海外にはたくさんある。だから海外の人のほうが、自分の先祖がたどってきた歴史を誇り高くみんなに伝えたいという気持ち、歴史ある品々を大事にする気持ちは日本人より強いと感じますね。
骨董品でモノを探すというのは、品物とも出会いがある、人とも出会いがある。そういった出会いで人生は豊かになるし、そして歴史を想像して興奮できる。それが僕にとっては楽しみのひとつ。今回、紹介するこのふたつのランプもそんな気持ちにさせてくれるモノですね。
――ともに非常に歴史的な雰囲気を感じます。
藤岡 何年か前にボランティアで、確かコソボに行った帰りに立ち寄ったベルギーの骨董品店で見つけたのですが、これは古船に乗っていたモノ。何世紀も前に航海していた船で、運よく沈没することもなく何十年にも及ぶ旅を終えた。そして、辿り着いた最後の港で解体されて、そこで売りに出された備品のひとつがこのランプなんです。観光客が寄り付かない、現地の人しか知らないようなお店だったのですが、日本人の僕が行ったものだから不思議がって。でも、日本からわざわざ来たということで、店主さんも喜んでくれて、安くしてもらいました。値段は詳しくは覚えてないですが、確か200~300ユーロだったかな。
他にも船室のドアや碇など細かいものまですべてもありますよ。乗っていた船の名前も書いてあったんですが、それがどこかにいってしまって詳細はわからなくなってしまいました。骨董品店にあるモノは、これがどういうモノかということが解説されていたりする。船のランプだったら、何十年にわたって戦をして生き残ったのがこれです、といった説明ですね。
購入の基準は「直感」。形とか値段とではなく「味」
――具体的に購入する基準はありますか?
藤岡 完全に直感です。僕の場合は売ったらいくらになるとか、そういったことに興味がありません。値段は関係ない。自分が心引かれるモノです。そのモノとの相性というか出会いの直観、あくまでもそこにある品に歴史的なロマンを感じられるかどうか、その一点のみ。それも出会いなんです。いっぱい品物がある中で、そういった商品に出会うと足が止まって釘付けになる。解説としてこれはどのように使われていたのか、など記載を読めば歴史を想像させる助けになります。ランプが歴史を僕に語りかけてくれて、「これは何百年前のランプなのか、そんな歴史を歩んできたのか。すごいな…」と考えていると、そこで1、2時間、時が経つのを忘れて見入ってしまうんですよ。
――ふたつとも似たような形ですが、このフォルムがお気に入りなんですか?
藤岡 形とか値段とかじゃなくて味なんです。歴史を持ってきた品物というのは不思議な味がある。だから飽きない。僕は感性と視点が他の人とは違うところがあるようで、みなさんが興味持つモノと僕が興味を持つモノでは全然違うんでしょうね。まぁ、それも個性で、どれが良いということではないと思いますが。でも僕の自宅に来たお客さんは「このランプいいね。これどうしたの? どこで手に入れたの? どこの国?」とみんな聞いてきます。みなさん惹かれるところがあるのでしょう。でも、僕はあんまり自慢げに「これどうだ!」って紹介はしたくないんですよ。自分の心の中にあるロマンを楽しんでいるのだから。
――これらのランプはどのような歴史があるのですか?
藤岡 僕は学者ではないのでそこまで細かいところまでは覚えていないんです。だから自分の思い出の中でね、夢やロマンを感じる。明かりをつけると、この船がどういった大航海をしてきたか、灯によって想像力がフワーっと広がるんです。いろいろと明かりを変えるんですが、その明かりを夜ジーっと見ているとランプの見てきた歴史、どれほどの嵐やいろいろな出来事を乗り越えてきたのかということが目に浮かんでくる。これを一日中見ていたって飽きないですよ。
そんな風に、歴史に囲まれているほうが、心に潤いが生まれる感覚があります。ブランド品に囲まれているよりもそっちのほうが僕には何倍も楽しい。このランプは絶対に手放さないですね。思い出が凝縮されているので。
――何百年も前のモノでも今もしっかりと使えるんですか?
藤岡 売っていた当時はもっと汚れていて、貝や煤、潮のような付着物がたくさんありましたが、何時間もかけてブラシで磨いて丁寧に拭いて、水につけて、ベランダに置いて太陽の下で一週間くらい干すんです。そうすると変わるんですよ。僕の自宅にある仏像や竜の置き物などの調度品は、そういったモノがとても多い。カビが生えたりボロボロの状態で骨董品店の隅に置かれていて、それを細かく拭いてキレイにして光り輝くようによみがえらせるのが好きなんです。そのままでも味はあるんですが。
さらに、このランプは現役時代は原油か何かで火を灯してたと思うのですが、売りに出されていた時は灯火部分がなかったので、ひとりで秋葉原で電球とコードを買い出ししてきて、自分でアレンジして自宅で使えるようにしました。明かりを入れることによって見事に光り、当時の輝きがよみがえる。さすがに毎日ろうそくを立てるわけにはいかないので、改造したんです。うちにあるもんはみんな何かしらのアレンジを加えてますよ。
――藤岡さんがひとりで秋葉原で買物をしている姿はなかなかシュールです(笑)。
藤岡 (笑)。でもこうやって使えるようにすると、モノが喜んで魂が再び宿してくれたことがわかる。一度は死んだ命をよみがえらせることに僕はワクワクしてしまう。明かりをつけると、このランプが現役で活躍していたころの情景が目に浮かんでくるんです。どういう大航海をしてきたのか。嵐を越えて、何百万回も波に揺られながら乗組員たちの心の灯になっていた……。そんなことを想像できるのがランプの魅力だと思いますよ。他にも同じような経緯で入手してアレンジしたランプが家にあと何個か持っています。
その中でもこのふたつは醸し出す雰囲気と歴史が見事です。これだけのモノを作るというのは、よほどすごい職人さんが手掛けたんじゃないかな。明かりをつけたら変わりますよ。ちょっとつけてみましょうか。ほら、どうですか?
――おお、確かにすごい雰囲気が出ますね!
藤岡 明かりによって趣が一変して素敵でしょう。置くタイプのランプもありますが、これは吊るすタイプで僕はこちらのほうが好みですね。これで船室にぶら下がっていて、大航海をしてきたと想像するとどうですか?
――ランプについては詳しくないのですが、不思議とこみ上げるものがあります。
藤岡 風や波、嵐に耐えて、揺れ動いて、あらゆる苦難や激動を乗り越え歴史を見てきた。それでも割れもせず。そんなに丈夫なモノじゃないんですよ。ちょっと衝撃を与えたら簡単に壊れてしまう。それが僕のところにたどり着いて安息を得た。喜んでるか、悲しんでるかはわかりませんけどね(笑)。でも僕は大事に大事に扱っています。抱きかかえて運ぶくらいに。
ランプはロマンを呼び起こしてくれる唯一の存在だから、ランプは本当に大好き。骨董品店にはヒビが入っているモノもあって、それはそれでいいんですけどね。いろんな国の歴史に沿ったランプがあるのも魅力です。僕の持っているキャンピングカーにもランプを置いていますが、あれも普通のランプではないと思いますよ。
リビングには暖炉があって、その近くにふたつを置いています。それで明かりを全部消して、暖炉の火とランプの明かりだけでおいしいお酒を飲みながらゆっくりとロマンを感じる。自分の歴史などに思いを馳せる。それが僕の楽しみ方なんです。それと、これでお客さんをもてなしたり、子どもたちと団欒をする。こんな贅沢な時間はそうありません。まさに語り合いたくなる明かりでしょう。これを肴に僕の100か国近く巡ってきた旅の話をする。話をしながら薪でくべた炎で肉や魚やサザエを焼いて語り合うと。
――素敵すぎます!
藤岡 そんなシチュエーションだと、子どもたちも普段よりもより前のめりで僕の話を聞いてくれる気がします。ランプが家族の絆をより深めてくれているのかな。忙しければ忙しいほど、ランプが心にゆとりと安らぎをもたらせてくれる。モノが発する波動がそうさせてくれるんでしょう。
それに明かりの色で趣、表情がだいぶ変わるので、季節や気分によってランプの色を変えます。夏はブルーにしたり、逆にレッドにしたり。ブルーもすごくいいですよ。これはちょっと色がついていますが、真っ白の電球もまた良いんですね。
家の入口にも赤いランプがあって、ああいったモノがうちにはゴロゴロありますよ。そういう人生の楽しみ方ってあると思うんです。だから僕はランプが大好き。子どもたちもランプが大好きです。何時間だって眺めてられる。それを子どもたちも知っているので、この間もランプをプレゼントしてくれました。普通のものを含めたら、家中ランプだらけです(笑)。明かりというものに僕は引かれてしまう。提灯なんかも持っていますよ。
――確かに、明かりには人間をロマンチックにさせる不思議な力があります。では最後に、藤岡さんにとってモノを集めるとはどういった行為なんでしょうか?
藤岡 モノも人と同じで出会いであり、縁があると思ってます。たまたまその時、その場所にいたから手に入れられたのだけど、そのモノは自分にとってかけがえのない思い出がある。また、親しくなった国内外の友人からゆずってもらうモノには博物館に置かれるような珍しいモノもあったりもしますが、モノのブランド価値を愛でるというよりも、僕にとってモノはそれを介してその人との思い出を辿れるきっかけになってくれるもの。みなさんにとってはガラクタに見えるかもしれないけど、そういった人やモノとの出会いを強く感じる品々、夢と歴史が詰まった品々が僕の家には置いてあるんです。
――次回から紹介いただけるその他のコレクションも楽しみです。本日はありがとうございました!