「どこから来たんだ!」
1月15日朝8時半過ぎ、東京・文京区の酒屋「高崎屋」店主の渡辺泰男さん(82)は、店の前で異様な光景を目にした。現場は農学部が入る東京大学・弥生キャンパス「農正門」前の路上。門の近くにうずくまっていた学生服のような黒い服を着た若い男が、警察官4〜5人に激しく問い詰められていたのだ。
渡辺さんが振り返る。
「消防車や救急車のサイレンがけたたましく聞こえたので、『何事だろう』と思って外に出たんです。当日は受験(大学入学共通テスト)の初日でしたが、妙に騒々しいなと感じて……すると門の奥に1人、手前に1人倒れ、警察官が声をかけていました」
最高学府・東大前の路上で、前代未聞の刺傷事件が起きた。愛知県内の名門校に通う高校2年の男子生徒(17)が、刃渡り約12cmの包丁で通行人3人を背中から次々に切りつけ「来年、東大を受ける!」と絶叫。切られたのは72歳の男性(東京都豊島区)、受験生の17歳の女子生徒(千葉県市川市)と18歳の男子生徒(同浦安氏)だった。
「加害者の少年が通っているのは、名古屋市内でも有数の私立の進学校です。毎年、東大と京大に多くの合格者を出し、医学部に進学する学生も多い。少年は犯行動機について、こう語っています。『医者になるために東大を目指し勉強していたが、1年前から成績が振るわなくなり自信をなくした。医者になれないなら、人を殺して罪悪感を背負って切腹しようと考えた』と。
少年は前日14日から行方がわからなくなっていて、父親が愛知県警に不明届を提出していたそうです。親に無断で外出した少年は、『名古屋から15日朝6時に東京へ着く高速バスに乗った』と話しています」(全国紙社会部記者)
少年は包丁の他に、折りたたみ式のノコギリやナイフを所持していた。
「持っていたバッグからは、可燃性の液体の入ったペットボトルが複数見つかっています。『事件前、東大近くの駅で火を放った』とも供述。証言通り地下鉄南北線『東大前』駅構内で木片が燃え、改札口付近で着火剤のような液体がまかれていた。少年の犯行と考えられています。警視庁は無差別殺人を計画したとして、少年を現行犯逮捕しました」(同前)
何を聞かれても無表情
異様なのは、犯行直後の少年の行動だ。近くにいた警備員が「落ち着いて、落ち着いて」と諭すと、包丁を地面に投げ捨てヘタリこむ。持っていたバッグなども、そばに置いた。大通りを隔て一部始終を目撃していた、前出の「高崎屋」店主・渡辺さんが語る。
「少年はメガネをかけ、無表情でした。駆けつけた警察官の問いにも、放心したように一切答えない。5分から10分ぐらい、そんな状態が続いたでしょうか。痺れを切らした警察官の、『どこから来たんだ!』というムキになったような声が聞こえました。それでも少年は返答しない。仕方なく警官たちは少年の両脇を抱え、近くの交番へ引きずるように連れて行きました」
事件の背景には、何があったのだろうか。大学ジャーナリストの石渡嶺司氏が語る。
「成績が振るわず絶望し、名門高校の生徒が事件を起こす例は過去にもありました。ただ、多くは矛先が自分自身や家族に向かう。無差別で見知らぬ人々を殺害しようとしたというのは、聞いたことがありません。
今回の事件には、ネット社会と新型コロナウイルスが影響していると思います。厳しい受験競争にさらされる名門校の生徒がネット上で目にするのは、極端な学歴論です。人生で成功するには、東大、しかも医学部に入って医者になるしかないという考えに侵されている。『東大がすべてじゃない』『医者にならなくても幸せな生き方はある』という事実を、理解できないんです。
本来なら学校の先生や友人に悩みを打ち明け、こうした偏見を解消すべきでしょう。しかしコロナ禍でオンライン授業が多くなり、対面で相談する機会がなくなってしまった。加害少年は偏った考えを、自分の中で増幅させてしまったのだと思います。成績が下がっていても、まだ高校2年生なら、いくらでも挽回できたハズなのに……」
最近の社会現象も、少年に影響を与えたと石渡氏は考える。
「このところ電車内で乗客を切りつけたり、雑居ビル内でクリニックを放火する事件が相次いでいます。無差別の殺害事件です。少年も模倣し、『どうせ死ぬなら世の中を巻き込もう』という考えになったのかもしれません」
事件が与えたインパクトは大きい。受験生は不安な気持ちを抱えつつ、試験を受けることになる。