リールに帰ってきたら寮のインターネットが通じなくなっていて、しばらく悶々としていたのでインターネットが使える学校まで来て記事を書いている。
パリで1日過ごすのは最後となった土曜日。フランスでは14 juilletといって国民の祝日だった。
日本語ではよく「パリ祭」と呼ばれたりするけどもちろんパリだけのお祭りではない。
1789年、パリ市民がバスティーユの牢獄をこの日に襲撃して起こったフランス革命、その1年後に行われた建国記念日を記念して行われるお祭りだ。
午前中には軍事パレードがあったらしいのだけど、まさかそんな早い時間からそんな事が行われてるなんて思わなかったのですっかり見逃してしまったw
というか、シャンゼリゼ通りは若干遠いし、行ってもどうせ人の群れなんだろうなーとか想像したらそれだけでゲンナリしてしまって、軍事パレードを見に行くのは早々に諦めた。
人混み嫌いと出不精がこんな所でも発揮された形だw
それと、日本人である僕が何もフランス革命の記念日を祝う謂れもないんじゃないかとか、なんだか急に、変な具合に醒めてしまったのも否定できない(笑)
夜の花火は友人と見に行く事になっていたので、今日はもう最後の1日だし、思いきって普通に休日を楽しむ事にした。
セーヌ川が近いのでとりあえず河畔に出てみると、今日も沢山の古本屋が並んでいた。セーヌ河畔のこうした古本屋(実際には本だけでなくお土産や様々な絵や古い地図や写真なども売っている)はブキニストbouquinisteと呼ばれるのだと知ったのは最近の事だ。
ここで見つけた中で一番感動したのは、羊皮紙に印刷された古い楽譜だ。(註:ここ、本来は撮影禁止です(^_^;))
おそらく昔の聖歌隊が実際に使っていたものなのだと思うけど、とても大きな羊皮紙に赤と黒の二色刷りで、現在のおたまじゃくしの五線譜ではなく「ネウマ」と呼ばれる四角と線で書かれている。もちろん歌詞付き。
昔は今ほど印刷技術が発達していなかったので、聖歌隊全員に小さな譜面を配るのではなく、1枚の巨大な楽譜をみんなが見て歌っていたのだ。こちらの教会によく置いてある巨大な書見台はこのためにあるのだろうと突然合点がいった。(違うかもしれないけど)
羊皮紙に印刷された巨大ネウマ譜は1枚130ユーロ。部屋に飾るにはちょっとかっこいいけどさすがに高いのでそれは諦めて、隣にあったそれよりやや小振りの紙に印刷されたネウマ譜を買ってみた。
すぐそばの店には、前の記事で書いたヴェサリウスの人体解剖図が売られていて、代興奮だったけど持ち合わせがもうなくて買えなかった。翌日帰る前にもあったら必ず買おうと思ってたけど、朝出るのが早すぎたのか店自体がまだやっていなかった。こういうのって縁なんだねえ。
プラプラと歩きながら、そうだリュクサンブール公園に行こう!と思い立ち、買ったネウマ譜を家に置いてリュクサンブール公園(通称『Luco リュコ』と言うらしい)へ向かった。
公園へ行くにはうちからだとパンテオンの前を通るのが早かった。この日はパンテオンも祝日モードで、いくつもの三色旗が飾ってあった。そしてその前にはいくつもの戦車やジープ。どうやらフランス陸軍が、この日のために市民に向けてデモンストレーションをしているようだった。僕も試しに戦車に乗ってみた!!多分こんな事は一生ないんだろうなww
そうこうしているうちに、音楽隊が現れてパンテオンの前で野外演奏会が始まった。自衛隊の音楽隊しかり、軍隊系の音楽隊というのは概して非常にレベルが高い。自分もトロンボーンを吹くのでよく分かるけど、だいたい外で演奏するというのは本当に大変な事なのだ。反響がないからものすごく息を入れて吹かないと聞こえないし、でもそうするとすぐに疲れるし。楽器の扱いだって、この日は涼しかったから良かったけど日本の夏みたいに暑いとチューニングもすぐに狂う。
後ろに回って、最後列で吹いているトロンボーン隊の様子を観察したり、ひとしきり楽しんでからその場を後にした。お腹が空いていたので途中のカフェレストランで遅めの昼ご飯を食べてから、ようやくリュクサンブール公園に到着した。
ここを初めて訪れたのは、まだ寒い1月の終わり頃だった。その頃は人もぐんと少なくて、まばらに歩く人達も分厚いコートを着ていた。
今はさすがの観光シーズン。ここにもたくさんの観光客が来ていた。もちろん、フランス人もたくさんいた。郷に入ってはで、フランス人たちに混じって僕もその辺の手ごろな椅子を選んで腰掛け、周りの人々を観察したり自分の日記を書いたりtwitterをしたりして過ごした。
暫くすると、モンパルナスタワーの方から黒い雲がやって来るのが見えた。僕は近くの東屋に移動し、ある者は帰り、ある者は雨が降ってきてもベンチの上で2人ひとつの傘の下でくっついてた(←ここらへんがフランスらしい 笑)パリの人は、こうした突然の雨はすぐに止む事をよく知っている。なんなら雷と強風を伴う激しい雨でも、5分くらい待てばすぐに上がって太陽が出てくるので、みんなで狭い東屋に入って雨が上がるのを待った。
こんな時、ちょっと距離が近くなった時に隣にいる人とふと目が合って、『困ったねえ』って感じでお互いニッコリする、みたいな目での会話が、フランス人とは頻繁に起こる気がする。こういうの、僕はとても好きだ。前には考えられなかった事だけど。
雨が止んだ所で一度家に帰り、日が暮れかかってから友人とシャン・ド・マルス公園で落ち合った。
公園はものすごい人!!
観光客しかいないのだと思ってたら(失礼w)フランス人もかなりいるようだった。僕のすぐそばに立っていたフランス人の大学生からは「ええ、フランス語を話す日本人!?」と驚かれ、それから少し喋った。「日本にはこういうお祭りはあるの?」と聞かれた時には少し困った。建国記念日はある。憲法記念日もある。でもこんな風に花火を上げたり、国を挙げてお祝いする事なんてない。とりあえず、「日本では革命は一度も起こってないから」と言ってみたら少しけげんな顔をされてしまったw「2672年前に伝説上の日本の初代天皇が即位したと言われている日を祝日にしている」とか言えばよかったのかな。まあ、皇紀なんて知らなかったしどうにもならない。
あちこちにスピーカーを置いて、重低音がズンズン響くクラブ風の音楽、ミラーボール、クルクル回るスポットライト…。先日のfête de la musiqueの時にも思ったけど、フランス人がこういうクラブみたいな雰囲気が大好きなのは一体何なんだろう(ΦωΦ;)周りの楽しげにしてるフランス人を眺めてるのは面白いけど(失礼w)自分は踊ったりできないから残念すぎる。フランスに来て何回”je ne sais pas danser”と言っただろう。
花火がおわり、エッフェル塔と友人たちにさよならを言って帰宅。パリでの最後の夜は終わった。
フランス語で「さようなら」は “Au revoir”というけど、これは「再会を期す」という意味だ。いつになるかは分からないけど、また会おうね、パリ!!!あびあやんと!!!
翌日は朝10時過ぎに壊れかけのスーツケースを引きずって家を出て、駅でぶらぶらしてからTGVでリールに帰ってきた。
リールで過ごすのもあと1週間。荷物を出したり、友人に挨拶したり、もろもろ後処理をしてからシャルル・ド・ゴール空港まで直接行って飛行機に乗るという計画。
割と適当に立てた帰国計画だったけど、一番ゆったりしていてよかったかも。
さて、今週は忙しくなりそう!