もっと詳しく

私はロボットや人造人間が登場する作品が大好きだ。子ども時代はテレビアニメの「鉄腕アトム」に夢中だったし、子育てしていたときは幼子に「ドラえもん」ばかりを観せていたので、大人になってもドラえもん好きの娘が出来上がってしまった。アメリカのテレビドラマ「新スタートレック」ではピカード艦長よりもアンドロイドのデータ少佐のファンだし、映画でもレプリカントと呼ばれる人造人間が登場する「ブレードランナー」はお気に入りで何度も何度も繰り返し観ているのだ。

 

さて、今日紹介する『クララとお日さま』(カズオ・イシグロ・著/早川書房・刊)は、カズオ・イシグロ氏のノーベル文学賞受賞後の第一作で、AIロボットが登場する近未来小説とあって、これは読まずにはいられないとさっそくページを開くこととなった。

クララは人工知能を搭載したロボット

本書の語り手となる”わたし”はクララという名のAIロボットだ。イシグロ氏の小説は本作に限らず背景や状況に対する詳しい説明が少なく、読者の想像に任せるのが特徴だ。この物語も場所は書かれていないが、おそらくアメリカのニューヨークあたりが舞台になっているように思う。話はアクセサリーや雑貨類を扱う店で幕を開ける。その店には”AF”という人工親友(人工知能搭載ロボット)が多く並んでいて、近未来の世界では裕福な家庭の子どもたちがこぞってAFを買っているようだ。AFたちは自分を選んでくれるお客が現れるのを店内でひたすら待っている。

 

ある日、クララがローザという名のAFと共に店頭のウィンドーに置かれているとき、ジョジーという少女が現れ、ずっと探していたAFはあなただとクララに告げる。

 

「あなたはフランス人? なんとなくフランスっぽいけど」わたしは笑顔で、首を横に振りました。「先日の交流会にフランスの子が二人来ていたのよ」とジョジーが言いました。「どっちも髪をそんなふうに、こざっぱりとショートにして、かわいかった」そのまま黙ってわたしを見ている様子に、また悲しみのサインを見たように思いましたが、お店での経験が浅いわたしにはたしかなことは言えません。

(『クララとお日さま』から引用)

 

その時代の子どもたちは学校に行っておらず、自宅でオブロン端末なるものを使って遠隔授業を受けているため孤独な生活を送っている。他の子どもとはごくたまに開かれる交流会で会うだけなので、普段の孤独を癒してくれるのがAFというわけだ。

 

実はクララは型落ちのロボット

必ず迎えに来るから、ジョジーはクララにそう言っていたが、その日は待てど暮らせど来ない。ジョジーは病弱だったためすぐに来ることが叶わなかったのだ。やがてB2型のクララたちは最新鋭のB3型のAFたちに表舞台であるウィンドーをゆずり、店の奥に並べられていた。

 

そうしてやっとジョジーが母親と来店し、フランス人みたいなAFがいたはずと言うと店長は「誰だがわかったかもしれませんよ」と言い、店の奥に案内した。しかし母親はB3型ではなく型落ちになったロボットの購入を躊躇する。

 

「ママ、わたしはクララがほしいの、ほかのじゃいや」

「ちょっと待って、ジョジー。人工親友って、どれも独自の個性をもっているのよね?」

「そのとおりです、奥様、とくに、このレベルになりますと(中略)クララには独自の美質が数多くありまして、朝中かけても全部は説明しきれません。ですが、特別な何か一つということになると、そうですね、観察と学習への意欲ということになるでしょうか。周囲に見えるものを吸収し、取り込んでいく能力は、飛び抜けています。結果として、当店のどのAFより、—これはB3型も含めてです—どのAFより精緻な理解力をもつまでになりました」

(『クララとお日さま』から引用)

 

こうしてクララはジョジーの親友となり、彼女の家で新たな生活をはじめることとなった。

 

人間の子どもに施される向上処置とは?

本書では、イシグロ氏の階級社会への批判も随所に盛り込まれている。近未来の世界では、裕福な家庭の子どもたちはある年齢になると、ゲノム編集技術によって知性の”向上処置”を受ける機会に恵まれている。しかし、そうでない子どもたちはどんなに頭がよくてもいい大学への進学が閉ざされている。ただ、向上処置には副作用があり、それが原因で病気になってしまうケースも。ジョジーがどんな病気でどうして病弱になったのかは書かれていないが、おそらくその処置が関係ありそうだと、私は読んでいて思った。

 

物語のもうひとりの重要人物として登場するのがジョジーの家のお隣さんで、幼なじみのリックだ。リックは頭がいい少年だが、向上処置を受けておらず、ジョジーの家で開かれた交流会では浮いた存在になってしまう。が、ジョジーとリックの絆は強く、AFのクララ以外で、ジョジーを思いやり、常に寄り添ってくれるのは彼だけだったのだ。

 

クララにとって太陽は神さま

太陽光を動力源にしているAIロボットのクララにとって、お日さまの存在は神に近い。ジョジーの病が重くなり、ベッドから起き上がることも出来なくなると、クララは一縷の望みをかけてお日さまとコンタクトを取ろうと行動する。そんなクララに手を貸すのが、やはりジョジーの回復を強く願うリックだ。クララはリックに背負ってもらい、草むらの先にある夕日が射すある納屋に向かい、そして祈る。

 

「(前略)わたしがいまここにこんなふうに来ているのは、お日さまがいかに親切な方であるかを忘れていないからです。お日さまはあの物乞いの人とその犬に親切にしてくださいました。あの大きな親切を、ぜひジョジーにもお願いします。ジョジーには、いまあの特別の栄養が必要です」

(『クララとお日さま』から引用)

 

クララはお店のウィンドーにいたとき、ビルの狭間で息絶えたように見えた物乞いと犬が太陽の光で蘇ったのを驚きをもって目撃していたのだ。

 

その後、ジョジーがどうなったのか、そしてクララはいつまでジョジーのそばにいられたのかはネタバレになってしまうので書けないが、とても美しく感動的な物語であることは間違いない。主人公の”わたし”がAIロボットなので、涙こそ流れてこないが、クララの優しさ、そして機械であるがゆえの悲しさに胸を打たれる。本書は繰り返し、何度でも読みたくなる小説だと思う。是非ご一読を。

 

 

【書籍紹介】

クララとお日さま

著者:カズオ・イシグロ
発行:早川書房

人工知能を搭載したロボットのクララは、病弱の少女ジョジーと出会い、やがて二人は友情を育んでゆく。生きることの意味を問う感動作。愛とは、知性とは、家族とは? ノーベル文学賞受賞第一作、カズオ・イシグロ最新長篇。

楽天koboで詳しく見る
楽天ブックスで詳しく見る
Amazonで詳しく見る