どの口が言うのか。
- 報道特集小西ひろゆき「名誉毀損を意図的に行う、放っておくと民主主義がおかしくなる」
- 「安倍総理の存在そのものが国難」という小西議員の質問主意書と答弁
- 日本国憲法上の「個人の尊厳」の尊重の包括規定は13条なのだろうか?
- 集団的自衛権の政府解釈の変遷と昭和47年政府見解:憲法13条は「保有」の根拠
報道特集小西ひろゆき「名誉毀損を意図的に行う、放っておくと民主主義がおかしくなる」
10月16日のTBS報道特集において小西ひろゆき議員が”Dappi”に関して「名誉毀損を意図的に行う、放っておくと民主主義がおかしくなる」と発言しました。
小西議員に対するDappiのとあるツイートに関してはその通りなんだろうと思います。
が…過去にはこういった発言(ツイートも)。
安倍総理国連演説 「わが子の成長に目を細める母のうち一体誰が、その同じ子が成長したのち、恐怖の使徒となるのを望むでしょう」
安倍総理の安保法制により、自衛隊の集団的自衛権行使を受ける国の子供達は自衛隊員を「恐怖の使徒」と思うだろう。違憲立法から自衛隊員を救わなければならない。— 小西ひろゆき (参議院議員) (@konishihiroyuki) 2015年10月1日
削除前は以下のような文言でした。
自衛隊は外国の日本侵略を阻止する場合にしか戦うことは許されなかった。しかし安保法制により日本に敵意すらない国への武力行使が可能になった。
その過程で、必ず何の罪もない子供も含めた市民を殺傷することになる。これは、安倍総理が国連演説 で述べたところの「「恐怖の使徒」そのものです。— 小西ひろゆき (参議院議員) (@konishihiroyuki) 2015年10月1日
https://archive.is/glUjj https://archive.is/FtiXJ
「安倍総理の存在そのものが国難」という小西議員の質問主意書と答弁
安倍総理の存在そのものが国難であることに関する質問主意書平成二十九年九月二十八日 小西 洋之
一 安倍総理は平成二十五年三月二十九日の参議院予算委員会において、私小西洋之による「日本国憲法において個人の尊厳の尊重を包括的に定めた条文は何条ですか」等との事前の十分な通告に基づく質疑に対し、「それをいきなり聞かれても、今お答えできません」などと答弁し、日本国憲法の目的である個人の尊厳の尊重を定める条文であるとともに、歴代政府解釈により憲法第九条において限定された個別的自衛権の行使を合憲とし同時にあらゆる集団的自衛権の行使を違憲とする唯一の根拠条文である憲法第十三条の存在もその趣旨も何ら知らず、かつ、勉強すらもしていないことを満天下に知らしめた。
このように、日本国憲法の目的の根拠条文である第十三条の趣旨等を全く知りもしない、日本国憲法の基本原理である平和主義が具体化した規定である第九条の歴代政府解釈を理解すらしていない内閣総理大臣が存在することとなったこと自体が、日本国民にとってこの上ない国難であると考えるが、安倍内閣の見解を示されたい。
二~四は「~状況こそ、日本国民にとって究極の国難」「加計学園・森友学園の問題に関する疑惑がもたれていることは国難」『「国難突破解散」が白昼堂々行われる議会制民主主義及び法の支配の破壊の事態は国難』という意味で言っているので、安倍晋三議員本人に対するものではないためここでは捨象する。
「内閣総理大臣が存在することとなったこと自体」と書いてはいるが、実の所は安倍晋三議員という一人の人間の能力に関する問題として扱っています。それは当該国会質疑のやりとりから明らかです。
参議院議員小西洋之君提出安倍総理の存在そのものが国難であることに関する質問に対する答弁書
一から四までについて
御指摘の「国難突破解散」にいう「国難」については、安倍内閣総理大臣が平成二十九年九月二十五日の記者会見において「この解散は、国難突破解散であります。急速に進む少子高齢化を克服し、我が国の未来を開く。北朝鮮の脅威に対して、国民の命と平和な暮らしを守り抜く。この国難とも呼ぶべき問題を、私は全身全霊を傾け、国民の皆様と共に突破していく決意であります。」と述べているとおりである。他方、お尋ねの「国難」に係る「日本国憲法の目的の根拠条文である第十三条の趣旨等を全く知りもしない、日本国憲法の基本原理である平和主義が具体化した規定である第九条の歴代政府解釈を理解すらしていない」、「昭和四十七年政府見解の中の「外国の武力攻撃」の文言の意味を恣意的に読み替え、当該見解の中に限定的な集団的自衛権行使を許容する憲法第九条解釈の「基本的な論理」なるものをねつ造するという不正行為による絶対の違憲である解釈変更に基づく限定的な集団的自衛権の行使によって日本国民が戦死を強いられるとともに、当該解釈変更等によって憲法が立脚する立憲主義及び法の支配そのものが破壊されてしまっている」等の御指摘は当たらない。
小西議員の言う「日本国憲法の目的である個人の尊厳の尊重を定める根拠条文である第十三条」というのは、いったいなんなんだろうか?
日本国憲法上の「個人の尊厳」の尊重の包括規定は13条なのだろうか?
日本国憲法
第十一条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。第二十四条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
② 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
「個人の尊厳」という用語が使われているのは【憲法24条】であり、13条ではない。
13条は「人権」の包括規定=包括的基本権に関する条文と呼ばれたりする場合もありますが、「尊厳」とどういう関係にあるのかは定かではない。
小西議員の質問が回答困難なものであるというのは明らかです。
したがって、政府答弁書にある「第十三条の趣旨等を全く知りもしない…等の御指摘は当たらない」という回答は正しい。
「都合のいい虚偽のものを作り出して…」とは、いったい誰のことだろうか?
小西議員と安倍総理(当時)のやりとりは「第183回国会参議院予算委員会平成25年3月29日」で発生しましたが、この際の議事録を見れば明らかなように、小西議員はクイズとして国会質疑としては意味不明であり非生産的な質問を繰り返していました。
当初は「包括的な人権保障を定めた条文」について問うており、安倍総理が何度も「大学の講義でやってくれ」「非生産的」と何度も回答した後に、小西議員が「じゃ、今総理は人権の包括規定を知らないということをこの国権の最高機関の委員会の議事録に付させていただきました。では、聞きます。総理、個人の尊厳の尊重、個人の尊厳の尊重を包括的かつ総合的に定めた条文は何条ですか、憲法、日本国憲法何条ですか」と再質問しています。
安倍総理はそれに対して「それをいきなり聞かれても、今お答えできません。」としています。
つまり、質問の内容が変わっているのです(小西議員としてはいずれも13条が答えと想定していたようだが…)。「人権の包括規定」とだけ言ってれば良いのに「尊厳」とか付け足したため、「回答困難」になりました。
国会議員には憲法51条の免責特権がありますから小西議員本人がこの発言で名誉毀損の責任をとることにはなりませんが、「国会議員が、その職務とはかかわりなく違法又は不当な目的をもって事実を摘示し、あるいは、虚偽であることを知りながらあえてその事実を摘示するなど、国会議員がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認め得るような特別の事情」がある場合には国家賠償法一条一項の規定にいう違法な行為があったものとして国の損害賠償責任が生ずるという判例があります。
小西議員の「発言」は判例の規範に照らせば名誉毀損の可能性があるということは言えるでしょう。
なお、「あらゆる集団的自衛権の行使を違憲とする唯一の根拠条文である憲法第十三条」というのは、変更前の政府見解でした。今でも当時でも信じられないような答弁がなされていたことを記録的に以下紹介します。
集団的自衛権の政府解釈の変遷と昭和47年政府見解:憲法13条は「保有」の根拠
変更された、「集団的自衛権の保有はしているが行使は許されない」とする政府見解は【昭和47年政府見解】がベースになっています。
集団的自衛権の行使容認をめぐる国会論議― 憲法解釈の変更と事態対処法制の改正 ―外交防衛委員会調査室 沓脱 和人
国会答弁でそれが表れたのが例えば以下のもの
第69回国会 参議院 決算委員会 閉会後第5号 昭和47年9月14日
○説明員(高島益郎君) ただいま先生が御指摘のとおり、集団的自衛権というのは、国連憲章で初めて各主権国に認められた権利というふうになっておりますが、この点につきまして、先ほど先生御指摘のとおり、平和条約第五条C項に、日本が初めて独立を認められたときに、主権国としてこのような権利を持つということを確認をされております。安保条約も、したがいまして、日本が主権国として、当然そのような権利を持つということを前提にしまして結ばれたということでございます。
ただ、一つだけ指摘しておきたいと思いまするのは、日本には集団的自衛権はもちろん主権国としてございまするけれども、これは憲法第九条の解釈からいたしまして、そのような権利を行使することはできない、これははっきりいたしております。
「憲法13条」との関係については以下など。
○説明員(吉國一郎君) 先ほど憲法第十三条と申し上げましたが、その前に、前文の中に一つ、その前文の第二文と申しますか、第二段目でございますが、「日本国民は、恒久の平和を念願し、」云々ということがございます。それからその第一段に、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、」ということで、この憲法を制定いたしまして、さらに憲法第九条の規定を設けたわけでございます。その平和主義の精神というものが憲法の第一原理だということは、これはもうあらゆる学者のみんな一致して主張することでございます。そして「日本国民は、恒久の平和を念願し、」のあとのほうに、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」ということで、平和主義をうたっておりますけれども、平和主義をうたいまして、武力による侵略のおそれのないような平和社会、平和的な国際社会ということを念願しておりますけれども、現実の姿においては、残念ながら全くの平和が実現しているということは言えないわけでございます。で、その場合に、外国による侵略に対して、日本は全く国を守る権利を憲法が放棄したものであるかどうかということが問題になると思います。そこで国を守る権利と申しますか、自衛権は、砂川事件に関する最高裁判決でも、自衛権のあることについては承認をされた。さらに進んで憲法は——十三条を引用いたしましたのは、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」ということで、個人の生命、自由及び幸福追求の権利を非常に重大な価値のあるものとして、第十三条は保障しようとしているわけでございます。そういうことから申しますと、外国の侵略に対して平和的手段、と申せば外交の手段によると思いますが、外交の手段で外国の侵略を防ぐということについて万全の努力をいたすべきことは当然でございます。しかし、それによっても外国の侵略が防げないこともあるかもしれない。これは現実の国際社会の姿ではないかということになるかと思いますが、その防げなかった侵略が現実に起こった場合に、これは平和的手段では防げない、その場合に「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」が根底からくつがえされるおそれがある。その場合に、自衛のため必要な措置をとることを憲法が禁じているものではない、というのが憲法第九条に対する私どものいままでの解釈の論理の根底でございます。その論理から申しまして、集団的自衛の権利ということばを用いるまでもなく、他国が——日本とは別なほかの国が侵略されているということは、まだわが国民が、わが国民のその幸福追求の権利なり生命なり自由なりが侵されている状態ではないということで、まだ日本が自衛の措置をとる段階ではない。日本が侵略をされて、侵略行為が発生して、そこで初めてその自衛の措置が発動するのだ、という説明からそうなったわけでございます。
こんな解釈がずっと変更されずにいたというのが異常でした。
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