人生で最も重要なイベントの一つである結婚。しかし、結婚には、幸せの象徴としての側面だけではなく、とてつもない苦労を乗り越えて達成される難行という側面があるのも事実だ。個人主義が浸透し、家族や親族のしがらみがない社会であれば、役所手続きを済ませるだけでスムーズに終えられる場合もあるが、親類や地域コミュニティーとの付き合いが深い社会であればあるほど、配慮しなければならないことが山積みだ。ケニアの場合、結婚を考える男性は必ずと言っていいほど持参金をどう工面するかという問題に頭を悩ませる。
現金や不動産、家畜の場合も
結婚持参金という制度は古代ギリシア時代より存在しているが、嫁側が払うか、婿側が払うかは、それぞれの社会のルールによって異なる。アフリカ諸国の場合、女性が重要な労働力とみられることから、持参金は婿側が支払うと定められているコミュニティーが多い。ケニアを語る際、日本人の女子大生が旅先で出会ったケニア人(多くの場合マサイ人)から「牛を何頭贈るから結婚してほしい」という言葉で求婚されたというエピソードを聞いたことがある読者も多いだろう。実際、ケニアでは、結婚持参金は現金か、たまに土地などの不動産で支払われることが多い。
牧畜民族の場合は、家畜が唯一無二の婚資と位置付けられている。彼らにとって、家畜は重要な資産であると同時に、お金に換えられない名誉や誇りといった意味がある。たとえば、トゥルカナ人をはじめ、一部の民族では、一千頭を超える牛を個別識別することができたり、牛に詩を贈る習慣があったりするなど、彼らの人生のライフイベントには常に牛が寄り添う。そのため、心を込めて育てた牛を相手に贈るということは、大げさに言えば、自らの魂を相手に捧げることに近い意味合いを持っているのだ。
しかし、この持参金を決める交渉は、必ずと言っていいほど難航する。金額の相場は一応あるものの、結局は話し合いの中で両家が合意にいたるかどうかという可変的なものであるためだ。花嫁の家族から要求された額に不満を抱き、いつになれば結婚を許してもらえるのかと悩むケニア人男性は数えきれない。もちろん彼らも大切な花嫁のために十分な金額を用意したいのはやまやまだが、財布の中身は心許ない。近年、都市部を中心に、ケニアでも裁判所の手続きだけで結婚を済ませる若者層が現れつつあるものの、持参金の重要性は、今も変わらず多くの民族社会で残っている。
結婚がドラマチックで幸せな理想ではなく、現実にある儀式の一つに過ぎないと考えるなら、持参金について腹を割って本音で語り合いつつ、どこかで両者が合意できる着地点を見出さなければならない。そんな時に登場するのが、持参金を調整するための交渉人たちである。
名うてのベテランはかく語りき
結婚持参金の交渉人は、その名の通り、持参金を値下げするために雇われる人を指す。交渉人たちは、手練手管を駆使し、両家を納得させつつ持参金を値切る。ウィリアム・カボゴロは名うての交渉人として長年活躍をしており、今ではケニア西部にあるブンゴマ県で知らぬものはいないほどだという。
「人徳があり、人々から尊敬されている年配の人間にとって、持参金の交渉を任されることは名誉であり、期待以上の成果を出すべきだと考えています。もしも貴方が一人で持参金の話し合いに行き、新婦側のおじさんという人の口車に乗ってお金を巻き上げられたり、未来の妻を失うことになったりしては、たまったものではないでしょう。だからこそ、私たちのような交渉人がいるのです」
ウィリアム氏によれば、持参金の交渉では、30万ケニアシリング(約30万円)相当の現金を求められることもあれば、1頭2万5000ケニアシリング(250ドル)の牛を15頭要求されることもあるという。首都のナイロビでも月給2万シリングの定職に就ければ「御の字」だという状況からすれば、持参金のハードルは高い。ウィリアム氏は持参金の交渉は、金額だけの問題ではなく、カップルが今後、共に家庭を築いていきたいと願っていることを思い出させる機会だと表現する。
「時には、新郎側と新婦側の意見が大きく食い違っている場合もあります。そんな時は、状況が悪化する前に事態を収拾することが大切です。その見返りとして、新郎の家族のためになんとか減額してもらった金額の10%をいただいています。その方が、交渉のモチベーションになるからです」
「例えば、花嫁の“値段”として、最初、20万シリング(約20万円)の持参金を要求された時、私が10万シリングまで交渉すれば、10万シリングの値引きを実現したことになります。その場合、私は報酬として総額の10%に相当する1万シリングを受け取ります」
新婦側の親族を擁護する役割も
デイビッド・オスウェゴ氏も持参金の交渉人として、10年以上のキャリアがある。彼は、ケニア西部のホマベイ郡では特に名が知られた存在で、この地域の若者は、皆、自分の叔父よりもデイビッド氏にそばにいてもらいたいと願うという。ただし、彼は「腕が良すぎるのも考えものだ」と言い、こう続ける。
「俺は、常にいい仕事をしてきたよ。今まで、仕事ぶりに文句をつけられることはなかったさ」
「特に、隣村や遠くの村の人間と結婚するケースの交渉を引き受けるようにしているよ。というのも、地元じゃ名前が知られすぎて、交渉の場に入らせてもらえなくなったんだ。いつも5000シリング(約5000円)、あるいは依頼主が払える分で仕事を受ける。持参金なんて、相場があってないようなものだからね」
彼らのようなプロを相手に、花嫁側の親族も自分たちが妥当だと考える金額に近づけようと、あの手この手で交渉に臨む。
デイビッド氏によれば、花嫁の父親の中には「娘を育てるためにかかった教育費を負担してほしい」と言う者も多いという。確かに、 「これまで汗水働いてお金をかけたおかげでこんなに素敵なお嫁さんに育ったのだから、新郎側にもこれまでの苦労を分かち合ってほしい」という理屈は、それなりに説得力があるように思われる。そんな時、デイビッド氏は花嫁側の親族たちの主張を受け入れ、新郎側にいくばくかのお金を出すよう提案することにしている。そうすることで、結果的に結婚時のわだかまりをなくし、交渉も早く終わるという。お金を渡すべきところではためらうことなくそうするのも、円滑な交渉術の一つだ。
持参金の習慣がある地域で交渉人をしていると聞けば、ほとんどの場合、新郎側に協力して持参金を減らそうとする男性の交渉人を思い浮かべるだろう。しかし、花嫁側に協力して持参金を上げるために奮闘する女性の交渉人も、少数ながら存在する。ウィニー・ニャボケ氏は、そんな一人だ。
「私は、女性の価値はもっと高く、持参金も適切な価格が支払われるべきだと信じています。多くの人々の目に私は敵のように映るかもしれませんが、全く気にならないし、それでいいと思っています。手ごろな値段で交渉しますよ」
ケニアの田舎のように持参金の風習が一般的な民族社会では、交渉人をはじめ、仲介や仲裁役、あるいは村長などの役割を担うのは、多くの場合、年配の男性だ。これは、コミュニティーの中で権力や信頼が集まりやすいのが年配の男性であるためだが、持参金の交渉人が男性しかいないと、女性の立場に立って花嫁の親族を擁護する者がいなくなるからこそ、ウィニー氏のような存在は希少で重要だ。
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