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 インターネットの父であり内閣官房参与としてデジタル庁にも関与する村井純さん、そして「日本という方法」を提唱する日本研究の第一人者であり、超書評データベース「千夜千冊」を発信し続ける知の巨人、松岡正剛さん。私が知る限り、日本一デジタルに詳しい人と日本一日本に詳しい人である。

 新型コロナのパンデミックがデジタル後進国など日本の本質的課題を炙り出している今、いちばん話を聞いておきたいお二人だと思い、超多忙な中、2021年4月から10月まで計4回、9時間におよぶ対談をお願いした。

 この話を材に、若い人も年配者も、在郷の人も都市の人も、保守派も革新派も、右脳派も左脳派も、さあ目を開いて次の日本を話し合おう。(全3話)

(聞き手・合いの手・編集:井芹 昌信)

日本とデジタル――新型コロナパンデミック、デジタル庁始動に寄せて

松岡 正剛
編集工学者。1971年、工作舎を設立、オブジェマガジン「遊」を創刊。1987年、編集工学研究所を設立。情報文化と情報技術をつなぐ方法論を体系化し「編集工学」を確立、企画・編集・クリエイティブに応用する。日本文化研究の第一人者として「日本という方法」を提唱、文化創発の場として私塾やサロンを主催してきた。膨大な書物と交際し、読書の可能性を追究した経験を軸に、書店や図書館を編集するプロジェクトを手がける。現在、編集工学研究所所長、イシス編集学校校長、角川武蔵野ミュージアム館長。

村井 純
慶應義塾大学教授。工学博士。1984年、日本初のネットワーク間接続「JUNET」設立。1988年、WIDEプロジェクト発足。インターネット網の整備、普及に尽力。初期インターネットを、日本語をはじめとする多言語対応へと導く。内閣官房参与、デジタル庁顧問、各省庁委員会主査等多数務め、国際学会でも活動。2013年、ISOCの選ぶ「インターネットの殿堂」入りを果たす。「日本のインターネットの父」として知られる。

井芹 昌信
インプレスホールディングス主幹、インプレスR&D取締役会長、編集工学研究所取締役。1958年、熊本県生まれ。1981年、アスキー出版入社、第一書籍編集長としてパソコン書の企画・編集を務める。1992年、インプレスの設立に取締役として参画。できるシリーズ、インターネットマガジン、Impress Watchなど創刊。現在、出版のDXとしてNextPublishingを推進中。
村井さんとのご縁はアスキー時代に初著の編集者を務めたことから。松岡さんとは編集工学研究所の役員もさることながら、編集の大先輩として長年のお付き合いをいただいている。

新型コロナとは何なのか?

井芹:まず、新型コロナのことから話を始めたいと思います。新型コロナのパンデミックによって、デジタル後進国ぶりなど、日本が内包してきた課題が露呈していると思います。新型コロナウイルスとは何なのか、我々に何を暗示していると思われますか?

村井:我々人間の社会はいつも経験知をもとに動いてきていると思いますが、ウイルスはインパクトを与えながらどんどん変化していくので、日本の社会がその変化の速度に対応できていないことを感じましたね。

 人類が経験してないことに対面したときに、個人は、政府は、社会はどうやって動くのかという課題。人ごとに違うし、自治体や国も方針がそれぞれ違っている。その違いが炙り出されたことも大きな経験でした。

 このような経験の中、グローバルパンデミックの観点で、インターネットが何に貢献できるのかを考えてきました。1つは速度、そして時間軸の多様性。インターネットでは光の速度で信号を伝搬できます。これを生かしてグローバルパンデミックへの対応をダイナミックに行うこと。それができていなかったことの悔しさもあるけど、今回のパンデミックを機に、それができるんじゃないかという見通しもできてきました。

村井純さん

松岡:コンピュータウイルスと違って、SARSやMERSやコロナ等のウイルスには遺伝情報があって、それが細胞ごとに変化しています。ウイルスはその変化する特性を使って宿主に寄生する、ハッキングするというスタイルをとっています。

 ウイルスにはDNA由来とRNA由来がありますが、新型コロナウイルスはRNAウイルスですね。生命という巨大なシステムを作った最も古い材料がこのRNAです。RNAは細胞を持っていないので、最初から環境に応じて変化したり動いたりする特性がありました。そのため、生命系の細胞にRNAウイルスが入りやすく、細胞の中で進化もしていきます。それが今デルタ株などと言っている変異のことです。

 またコロナウイルスは、人間と動物の間で相互に感染する「ズーノーシス(人獣共通感染症)」でもあります。

 人間と動物の両方にうつる以上、人流の規制だけでは防ぎようがない。でも現状の感染対策は、国単位や都道府県単位でのルールづくりなど、既存のシステムや規制の上に組み立てられている。たとえばインドでロックダウンをしてもインド株ができてしまい、できたら動物も感染源として世界に流通してしまう。このことに全面的に向き合わない限り、5年、10年ずっと続くと思います。

松岡正剛さん

井芹:感染者増減の原因として人流とか飲食だと言われてきたのが、最近、それより季節変動などもっと大きなものの影響があるという見解が出てますね。たしかに、インフルエンザは冬になると流行ります。こうした感染症と共生していくとなると、社会のあり方も当然ながら変わっていきますよね。

松岡:今回のコロナパンデミックで、仕事や組織のあり方から職能性まで組み立てが変わり、リモートになっていくことで、オフィスという今までの資本主義が支えてきたスペースの解体と変容が起こってくることも大きいでしょう。

 インターネットの速度と時間軸の多様性という村井さんの話は、これからの技術者や資本家をはじめ、コロナ後の世の中の仕組みが新たになることを促しているような気がします。

失われた30年をどう解釈するか?

井芹:これからの世の中を考える上で、過去に起きたことの理解は重要だと思います。

 今や「失われた30年」とも言われていますが、先進国の中でGDPの伸び率が最低だとか、給与が上がらないとか、企業のベスト10の顔ぶれが30年前とほとんど変わらないとか、少なくとも産業経済面ではほかの国に比べひどい体たらくです。この失われた30年の原因は何だったと思われてますか?

――成功体験が強すぎた

村井:一言で言うと、成功体験が強すぎたんだと思います。

 たとえば私の手がけてきたインターネット分野の話だけど、当時、日立、富士通、NEC、ヤマハなどがルーター(ネットワーク間の接続装置)を作っていて、とてもいい性能のものができました。でも、世界ではぜんぜん売れなかった。なぜかと言うと、現地にいた営業マンは過去の製品の販売をやっているだけで成功していたので、ネットワーク機器という新しい商品を売るモティベーションがなかったように思います。

 通信関係はそれが特に顕著で、メーカーはNTTしか見ていなかったのかもしれない。そしてそのNTTはまだ電話を見ている。そんな状況で、新しいもので海外で商売する必然性がなかったと思います。

――情報文化についてねぐった

松岡:別の観点から見ると、それにはやむをえなかった問題と、やれるのにやらなかった、言ってみれば「ねぐった問題」があると思います。

 やむをえなかったのは東京裁判と日米安保と日米構造協議。とくに憲法の問題や基地などの防衛の問題については、うれしくはないけどやむをえなかった。仮にサンフランシスコ条約以降、現在の日米安保の形にはならなかったとしても、今の世界情勢を見ればこれに近い状態には複合的になっていたでしょう。

 ねぐった問題は、情報文化、表現、メディア、人とのつながりのような文化的な問題ですが、これらは敗戦からの成長と復興の中でもっと考えておくべきことだったと思います。

 たとえば近年、VR(仮想現実)やAR(拡張現実)が出てきていますが、こうしたテクノロジーの表現がマンガやアニメと関係ないかと言えばおおいにある。もっと言えば、浮世絵や歌舞伎などからずっと続いていて、今の『鬼滅の刃』に至るまで目に見えてつながっているものがあります。

 日本がもともと持っている文化の力を換骨奪胎して、現在の表現に向けてしっかりと捉え直すという意識が足りていない。国が主導する「クールジャパン」に見られるような「かわいい」というだけの観点で、秋葉原的なサブカルチャーや二次元少女を面白がる「萌え」程度にとどまってしまった。日本が社会や文化の中に秘めてきた制作力や表現力といったものと、今の文化に表象されているものは根っこでつながっているんだ、という意識を持てていないことが、現在の日本の文化力をそいでしまったんだと思います。

井芹:たとえばケータイの絵文字って日本の発明だと思いますが、これも関係がありますよね?

松岡:ありますね。日本語は表音文字ではなく表意文字で作られた文化である点が大きい。

 欧米のアルファベットももちろん文字の形にはこだわりがあるけど、あくまで彼らの美意識としてのタイプフェイスの美しさにこだわるものです。日本は、相撲の番付を書くときの相撲文字や歌舞伎の看板に使われる勘亭流の文字など、場面に応じて文字の様式を変えていたり、また「家紋」として家ごとに紋章を持っていたりと、場やコミュニティが絵文字化して表象される文化を持っていました。そのグループ的なアイデンティティがメールの絵文字やLINEのスタンプのような形で表れていると言えるでしょう。

井芹:絵文字のようなものがもっと社会的にあってよかったということですね。

 一方で、VHS・ベータ戦争やウォークマンなど、近年の体たらくの前(バブル崩壊前)にはソニーや松下などのエレクトロニクス産業が一世を風靡した時代があったし、いろんな工夫もできていたのではないでしょうか?

――うまくいってた日本型経営を過小評価した

松岡:ホンダのカブやラッタッタなんかもありましたね。当時、エズラ・ボーゲルが「Japan as No.1」と言いましたが、うまくいっていた日本的経営だったにもかかわらず、それを自ら過小評価してしまいました。ホンダやトヨタの工場が持っていた力や看板方式などの独自の仕組みを、その後の日本の方法として発展できなかったし、ソニーなども抱えきれなくなったのではないでしょうか。

井芹:過小評価という言葉には私も合点がいきます。

 たとえば、のちに「アウトソーシング」という言葉が米国から来て、日本はもっとアウトソーシングすべきだと吹聴する人たちが出てきます。でも、日本くらいアウトソーシングが進んでいた国はなかったように思うんです。広告宣伝は広告代理店に、コンピュータシステム化はSier(エスアイヤー:システム開発を請け負う会社)に……というように専門家に請け負ってもらっていました(これらは現在では課題になるのですが)。分散化も、現場がすごく能動的で、現場のほうに情報があり、そこから経営に情報が上がっていく仕組みとか、日本のほうがうまくできていたことも多かったように思います。

松岡:その時期に、多くの大企業がコンサル屋さんを雇って企業体質を変えてしまいましたね。日本の社会が独自の「カンパニー」をどう作ったらいいのか分からなくなったんだと思います。

 小泉・竹中の「小さな政府」の方針が、通産省主導、親方日の丸でやってきたものからまったく違う方向に向かわせました。企業がその言いなりになり、コンプライアンスや国際会計基準などが導入され、すべてが可視化され透明になって、あれこれ外から口を出せるようになっていった。秘密があったほうがいいとは思わないけど、日本なりの「苗代」とか「奥座敷」とか「躙り口」のようなものが作れてなくて、すべてがオープンでフラットなものになってしまった。

 政治だけの問題でなくて産業、企業でも、もう少し考えておかなければならなかったのではないでしょうか。このことも失われた30年に影響を与えたんだと思います。

――美しいもの、かっこいいものに対しての過小評価もあった

村井:僕もそう思います。過小評価はプライオリティ(優先順位)からきているような気がする。僕が見てきたテクノロジーメーカーのもったいない点は、プロダクトの評価より、終身雇用とか、業界や国内での従属性とかのほうが優先されて競争力をなくしてしまったこと。その裏側に、プロダクトの新しいものとか、美しいものとか、かっこいいものに対しての過小評価があったんだと思います。

 具体例をインターネット的視点で見ると、たとえばソニーは良いプロダクトをいろいろ持っていました。ウォークマンに合わせて踊るローリー、アイボやスマイルシャッターなど、アップルも作れなかったユニークな製品だったと思いますが、ビジネスとして成熟する前に解散してしまいました。これは経営のポリシーの部分の責任に思えました。

松岡:ほんとにそうね。もったいない。損益決算のタームが短かすぎるんです。

井芹:実は、私はオーディオのスピーカー自作が趣味なんです。スピーカーユニットは1940年くらいから1970年あたりが性能がいいんですが、当時の評論家や雑誌はアルテックやJBLなど完全な舶来至上主義で、日本製はどれも一流品とは評価されてませんでした。今でもそうですが。実際に聴き比べてみると、何と日本製はまったく負けていない、それどころか上をいっているものもありました。これは、オークションで世界中のスピーカーを100台くらい調達し、10年近く取り組んでの結果なので自信があります。つまりオーディオ業界でも、日本は自分たちの製品を過小評価してきたということです。もっと自信を持ってよかったのに。

既存の産業経済界はネットビジネスを快く受け入れてこなかった

井芹:日本は村井さんたちの頑張りもあって、インターネットインフラはうまく成長できたと思いますが、その上でのネットビジネスでは既存の経済界がインターネットに適応できなかったように思います。なぜでしょうか?

――日本はただ乗りを許さない

村井:「Over the top」という言葉があります。インターネットインフラの上に乗ってコンテンツ配信などを行うサービス業者のことだけど、僕はこれを「ただ乗り」と訳してます。

 インターネット初期のころ、電話会社は電話回線に乗って商売をしているインターネットプロバイダー(回線接続サービス業者)がお金を払わないのはおかしいと思っていた。そしてインターネットが進んでくると、今度はプロバイダーが、その上でサービス系のビジネスをしているグーグルやネットフリックスがただ乗りしてぼろ儲けをするのはおかしいと思う。Over the topのthe topはどんどん上に上がっていくんです。

 インターネットは、ただ乗りをさせるために作ってるようなところがあるから、ただ乗り組が創造的にイノベーションを生み出す。ビデオ配信でも暗号でも、誰でも使えるように標準化してソフトウェアに組み込んである。それらを使い、今度は暗号ではECが生まれ、ビデオ配信ではネットフリックスが生まれました。これらは全部ただ乗り。つまり、この仕組みによって新産業が生まれているんです。

 ところが、日本はこのただ乗りを許さないところがある。日本の既存の業界はこのことをよしとせず、受益者負担原則とか、公平性とか、ただ乗り発展浮力を抑制したと思う。何か新しいことでぼろ儲けしてやろうという輩は叩かれる。

井芹:ホリエモンはライブドアのとき叩かれましたね。ソフトバンクの孫さんも大きくなるまではマスコミや経済界の評価は高くなかったし、楽天の三木谷さんは経団連を辞めて新経連を立ち上げています。それとビジネスではないですが、世界的にもユニークなファイル共有ソフトのWinnyを作られた故・金子勇さんは一時、罪を着せられひどい目に会われました。

村井:そもそも日本では、ぼろ儲けがすごく嫌われる。マーケットでも評価されないし、投資もしてくれない。

 ベンチャーの代わりに、新領域を取りに行くのは日本ではだいたい大きな企業の役割だ。大企業はおいしそうな新領域は全部自分で取りに行き、結果としてベンチャー的なアプローチを邪魔する。映像の配信などに関しても、日本では巨大な放送事業者グループと巨大なネットワーク事業者の連携で進めるようになるのが普通だ。これでは、新産業としてのチャレンジができっこない。

 僕は学者だからかもしれないけど、人間が好きなことができるようになったら、アイデアから生まれることが新しい力になると思う。だから、政策的にも、いろいろな部分でデジタル環境のただ乗りを許すようにできれば、いろいろな人、セグメントが好きなことができるから、もっといい仕事をしてもっと発展するというのが、インターネット関連産業の成長の歴史だったんです。

 結局、今インフラに一番投資しているのは、グーグルとフェイスブックとマイクロソフトなんですよ。大丈夫、大丈夫、結局はインフラにも戻ってくるから。

松岡:うまい手を使ったよね。

井芹:ただ乗りを許さないという日本文化は、歴史的に昔からあったのでしょうか。ほかの業界・業種も含めて、松岡さんから見てどう見えますか。

松岡:江戸時代や公家社会にただ乗りのようなものがあったかというと、ないですね。

 ただ、遊郭のような特区はありました。遊女は一般には営業が認められず許可性でしたが、吉原や島原などの場所を特殊に認めて、そこで自由なことをさせておく。その管理をトップや警察が直接取り仕切るのではなく、たとえば「浅草弾左衛門」というまったく新しい役職を作って任せていた。

 いい悪いは別として、そのためにやくざなものが出現して国や自治体とは関係ないような取り締まりと、場合によってはただ乗りを認めているわけです。こういうことはないわけじゃないけど、今や使えない方法ですね。

 欧米社会にはチップ文化があるでしょ。サービスや職能に対して払うチップは、所得としても認められている。これとただ乗りは裏腹かもしれませんね。日本社会にも「寸志」というチップのようなものがあったけど、やがて贈答・贈与文化規制にひっかかって、虚礼廃止の流れの中で消えつつあります。こうした心付けの文化を認めなくなったことで、持ちつ持たれつの関係が成り立ちにくくなった。これが日本のただ乗り問題を難しくしたのかもしれません。

――頑張らなくていいと思っている輩が生き延びすぎ

井芹:ただ乗りを許さないのは日本だけですか?

村井:先進国では日本だけでしょうね。おいしいところをただ乗りさせない。既存の利権者が自分で食べに行く。新規参入者が上で稼ごうと思うと、インフラにも投資しながら両方やらなければならなくなるので、競争力が出なくなる。

松岡:規制し合うことが社会力と思いすぎてるんですよ。

井芹:政治・行政的にもそうですか?

村井:税制の問題もあるでしょう。ただ乗りで儲かるスタートアップ企業を応援させるようにできていないと思う。

井芹:それも成功体験から来るのでしょうか?

村井:成功体験で温くなって、頑張らなくていいと思っているCEOが生き延びすぎではないでしょうか。ガツガツしたやつが出てきたら、めんどうくさいからひねり潰しておこうと。残念ながら、頑張らない国になったと思います。新しいことをやらないで、今までのマーケットを温存しようとしすぎていますね。

――日本は楽観的に人に任せるのは苦手

松岡:村井さんに教えてほしいんだけど、日本はアカマイ(インターネット上のコンテンツデリバリー・ネットワーク事業の先駆者)のような、奥にあるものを担っていこうという戦略やドメインを持つことができなかったのはなぜでしょうか。

 そもそもICTには、ディープラーニング技術のような「奥」を担う役割があったはずで、アメリカやイスラエルやきっと中国も、アプリやサービスを開発しながら片方では奥の技術開発もやってきたと思うんです。それがアカマイのようなものを作り出したように思う。そういうものが日本に未だにないのはどうしてなのか?

村井:「アカマイのようなもの」とはどういう意味か解釈が難しいけど、アカマイのシステム的な発生源のことを言うと、ケーブルテレビなんです。

 ケーブルテレビ網にインターネットで動画の配信をするとき、インターネットはツリー構造のケーブルテレビ網に比べて遅いから、できるだけ速くしたい。そのときに分散的に中継機構を配置していくのがアカマイ式のCDN(コンテンツデリバリー・ネットワーク:コンテンツ配信網)の誕生だと思います。この発想はかなり大胆で、どんでもないなと思ったのは動画のストレージをどこでもいいから預けて、人任せでやっていくという仕組みなんです。

 それが日本でなぜできなかったかと言えば、この自律分散システムは置いてるところを信じていかなければいけない。中には性能の悪いところもある。そうしたことをインフラのオペレーションとしてやるのは、日本は苦手なんだと思うんです。

 少なくとも、NTTや放送局を見ているとそう思う。いい意味で、人に任せてきっとうまくいくだろうという考えは苦手で、もっと精度や完璧を要求します。たとえばエラーレートで見ると、NTTはとても厳しい。

松岡:なるほど、そういうことですね。明治の官僚システムのせいなのか、鎖国をしたときのなごりなのか。

 僕は村田製作所のPRのお手伝いを10年間やってました。村田さんと話しながら分かったのは、「部品とは完璧に仕上げなきゃいけないものだ」ということ。そして、「部品同士の新たな組み合わせでイノベーションを作り出すことはしない」ということ。これはけっこう衝撃的でした。

井芹:それは、村田製作所が自らはしない、という意味ですね。

松岡:そう。デンソーとも話したことがありますが、デンソーが持っている技術を、自動車以外のことにも転用できると思うし、もしかしたら裏でやっているかもしれないけど、それは表には出さない。そんな不思議なところがあります。

日本が先行するインターネットの災害利用

――災害時の情報提供にインターネットが役に立った

村井:日本とインターネットを語るとき、重要なことの1つは災害対応です。阪神・淡路大震災のときすでにインターネットはあったわけで、この大災害時に大きく貢献しました。

井芹:確かにそうでした。私は当時、創刊したての「インターネットマガジン」という雑誌の編集長をしていましたが、阪神・淡路大震災とインターネットの緊急取材をしたのを覚えています。

村井:地震後、寄付を募ったり、安否確認したりに使われました。テレビは死者のレポートはするけど、生きてるという情報は流せない。でも、インターネットなら、「僕は大丈夫だ」とか「I am alive」とかを流すことができます。この経験で、こういう災害時の情報提供にインターネットがとても役立つということに、日本が世界に先駆けて気づくことになりました。

――自動車の通行データで橋が落ちているところが分かった

村井:それから16年後の2011年に東日本大震災が起こる。実は、1995年から「インターネット自動車」というプロジェクトで、自動車にGPSやセンサーを付ける実験を始めてた。当時、1個35万円のGPSを1500台に付けて、ワイパーが動いていれば雨が降っている、ライトがついてれば夜、のろのろ走っていれば渋滞とか、面白いデータがいろいろ自動車から取れた。

 東日本大震災のとき、ホンダの人が我慢できなくなってホンダ車の通行データをグーグルマップに出しちゃったんです。それで、車が通れたところが分かり、たとえば橋が落ちてるところが分かったんですよ。

井芹:私は震災後すぐに、パソコンを寄付しに陸前高田に車で行ったんですが、そのマップを見て迂回路を探してどうにかたどり着くことができました。

村井:ほら、それが人の命を助けたんですよ。標準化は10年前にできてたんで、ホンダだけじゃなくてトヨタもみんな出してきて、そのデータを重ねると正確度がずっと上がりました。

 その作業に24時間くらいかかったんだけど、ただひょっとしてこれ個人情報保護法に触れるかな?と心配になってきました。あとで、吊るし上げられたら困るなーと。でも個人情報保護法をよく読んだら、ただし「人の命を救う場合は例外とする」と書いてあった。おー、これで行こうとなった。人の命を救ったもんね。熊本の地震のときは、20時間以上かかっていたマップが何と3時間で使えるようになりました。

井芹:私はどうも地震と縁があるようで、熊本地震はそこにいて震度7を体験し、被災者になりました。そのとき、マップへの反映がびっくりするくらい早かったのを覚えてます。姉が車で応援に来てくれたときに、それで道の指示ができ渋滞にかからず来れて助かりました。

村井:今は法律を少し修正して、使いやすくなっています。新型コロナでNHKのニュースなんか見ると、「歌舞伎町に人が出てます」とかいう場合は、画面の下に「ケータイ電話のデータを個人情報が特定できないようにして使っています」と毎回書いてくれてました。そのおかげでみんなの気持ちとしては、「私のケータイ情報は個人情報のことはあるけど、いいことに協力しているんだな」と思ってくれてるんじゃないかと思います。

 このようなインターネットが人の命を救うなんていう話を実際にやっているのは、日本だけなんですよ。

――災害知覚に寄与できる可能性を感じる

松岡:災害は情報化してつめていくと、予兆とか予知と関係してきますよね。ネットが果たす役割には高速性や正確性やたくさんの事例の統計を瞬時に見せることもありますが、今や環境破壊や自然災害などの災害知覚に寄与できる可能性を大いに感じます。警報のレベルやアラームの役割も、もっと細分化できるはずです。

「第2話 デジタルで一変する世界の景色」(10月26日掲載予定)に続く

日本とデジタル――新型コロナパンデミック、デジタル庁始動に寄せて