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朝日新聞の国際電話室からプリンストンにかける開高氏(1963年当時)。当時、新聞社の国際電話でのやりとりはこの部屋からかけていた=朝日新聞
通話開始から20分ほどで、突如、サイゴンの女性交換手が英語で割って入り、「もう長く通話している。そろそろ切ります」という。編集長は「コンティニュー、コンティニュー!」の一点張りで応戦。すると東京の国際電電の交換手が「いま録音しているから、切ってはダメ」と援護射撃に入ってくれた。受話器の向こうにいたのは、開高健さん。今から55年前、私は、ジャングルでの激しい銃撃戦から生還した彼の肉声を、編集長の脇で必死に聞き取り続けていた。(元週刊朝日編集長、公益財団 全文
withnews 12月24日 07時00分