もっと詳しく

指折つて秋の七草もう一度 玉宗
 
例えば「鶏頭の十四五本もありぬべし」これを単なる散文の切れ端、断片にすぎないと見限る人もいるのだろう。俳句という呟き、それは偏らない写生の眼が捕えた今を限りのいのちの呟き、謂わば「俳句的呟き」である。それが単なる散文の断片に終らないのはなぜか。

ここには見…