こんにちは、書評家の卯月 鮎です。朝起きてボーッとした頭で鏡を見ると、「この不細工なのは誰だ?」とギョッとすることがよくありますが、まあ、大概自分なんですよね(笑)。
鏡に映っているものは何?
そんな話はともかく、鏡に映った姿を自分と認識できるのは、人間以外にはチンパンジーやゴリラ、イルカなどの一部の動物といわれているそうです。しかし、「実は魚も自己認識できるのではないか?」と疑問を持ったのが、今回紹介する新書『魚にも自分がわかる 動物認知研究の最先端』(幸田 正典・著/ちくま新書)の著者・幸田正典さん。魚も鏡があったら、寝起きの不細工さにショックを受けたりするのでしょうか……(笑)。
幸田さんは、大阪市立大学教授でアフリカのタンガニイカ湖やサンゴ礁に生息する魚などを中心に、魚類の認知能力を専門とする研究者。共著に『タンガニイカ湖の魚たち』(平凡社)、『魚類の繁殖行動』(東海大学出版会)があります。
本当はすごかった魚の脳
一般的な常識では、魚は原始的な生物で感情はなく、痛みすら感じないとされていました。しかし、第1章「魚の脳は原始的ではなかった」では意外な事実が明かされます。今世紀に入ってから動物の脳の研究が大きく転換し、魚類の段階で大脳・中脳・小脳・間脳……と脳は完成していて、哺乳類の特徴とされてきた大脳新皮質に当たる塊も魚類の大脳にあることがわかってきたのです。人間と魚の脳の構造は同じだった! というのは驚き。さすがに脳のサイズは小さいものの、魚にも高い知性が存在する可能性は十分にあると幸田さんは言います。
第4章以降は、幸田さんが行ってきた魚の鏡像認知実験の具体的な内容が紹介されていきます。本書の前半は、生物の脳や自己認識に関しての理系の入門書といった感覚ですが、この後半からは学会が認めようとしない新説を証明すべく奮闘する研究者のドキュメンタリーといった趣があり、一気に引き込まれます。
幸田さんが鏡の実験を行ったきっかけは“遊び半分”だったとか。アフリカの湖に生息する魚を飼っていた水槽に、試しに15cm四方ほどの鏡を入れてみると……。最初は激しく攻撃していた魚が、5日ほどすると鏡を意識しなくなりました。「もしかして鏡を認識しているのでは?」と考えた幸田さん。ここから本格的な実験が始まりました。
動物が鏡を認識しているかを調べるには、体にマークを付け、どのような行動を取るか観察します。寄生虫に敏感に反応する熱帯魚・ホンソメワケベラで実験を進めたところ、なんと体表面上に付けられた寄生虫を模したマークを鏡で見て砂底で擦り落とそうとし、しかもその後も鏡で確認したのです。
しかし、この研究結果に対して、世界の霊長類学者や動物心理学者から激しい批判がなされました。そのあたりの顛末は臨場感がありドラマチック。自説への信念を貫こうとする研究者の情熱と苦悩が伝わってきます。
私が文系だからか、自己意識とは何か、そんな哲学的な問いもふと浮かんでくる脳に刺激ある一冊。魚の認知研究はまだ始まったばかりだそうで、10年後、20年後には常識も大きく変わっているかもしれません。
【書籍紹介】
『魚にも自分がわかる 動物認知研究の最先端』
著者:幸田正典
発行:筑摩書房
魚が鏡を見て、体についた寄生虫をとろうとする!? 「魚の自己意識」に取り組む世界で唯一の研究室が、動物の賢さをめぐる常識をひっくり返す。
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【プロフィール】
卯月 鮎
書評家、ゲームコラムニスト。「S-Fマガジン」でファンタジー時評を連載中。文庫本の巻末解説なども手がける。ファンタジーを中心にSF、ミステリー、ノンフィクションなどジャンルを問わない本好き。