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自宅でワインを楽しみたい、できれば産地や銘柄にもこだわりたい、ワインを開けて注ぎ、グラスを傾ける仕草もスマートにしたい……。そう思っても、基本はなかなか他人には聞きにくいもの。この連載では、そういったノウハウや、知っておくとグラスを交わす誰かと話が弾むかもしれない知識を、ソムリエを招いて教えていただきます。

 

「ワインの世界を旅する」と題し、世界各国の産地についてキーワード盛りだくさんで詳しく掘り下げていく当連載は、フランスをはじめとする古くから“ワイン大国”として名を馳せる国から、アメリカなどの“ワイン新興国”まで、さまざまな国と産地を取り上げてきました。今回は、希少でわたしたちにはちょっと馴染みの薄い「スイスワイン」。寄稿していただくのは引き続き、渋谷にワインレストランを構えるソムリエ、宮地英典さんです。

 

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スイスワインを旅する

人口850万人ほどの小国スイス。他のヨーロッパの国々と同様に、長いワイン生産の歴史がありますが、今でも国外ではほとんど知られていません。なぜなら、その生産量のうち輸出されるのはわずか2%ほど、国内でそのほとんどが消費されてしまうからです。そんな希少なスイスワインの主な輸出先はドイツ、アメリカ、そして日本。世界中のワインを輸入しているわが国は、スイスワインを楽しむことができる数少ない国のひとつなのです。

 

実際に親しんだことのある人はまだまだ少数派かと思いますが、フランス、イタリア、ドイツといったワイン大国に囲まれたスイスは、それぞれの地方ごとに隣接する国の言語、文化に影響を受けており、西側のフランス語圏ではどこかフランス的なスマートな装いのワイン、イタリア語圏のティチーノでは品種こそメルローが主流ですが、イタリアのひとつの州のような趣を感じさせ、東部のドイツ語圏では品種的にもドイツ、オーストリアとの共通点を多く見出すことができます。そうしたさまざまな側面を持った産地に加え、200種以上といわれるワイン用ブドウ品種が、他の国にはない多彩なワインを生み出すことに成功しているのです。

 

そして、スイス人は大のワイン好きでもあり、一人当たりの年間消費量は30リットル以上。これはフランスやイタリアに次ぐ消費量で日本人のおおよそ10倍に当たります。そして国内で生産されたワインだけでは足りず、全消費量の60%をボルドー、ブルゴーニュやバローロといった近隣の銘醸ワインを中心とする輸入ワインにも頼っているのです。ワイン好きのスイス人がなかなか国外に輸出しない希少なスイスワイン、せっかく日本には届いているのですから、楽しまない手はありませんよね。

1. ヴァレー州
2. ヴォー州
3. ジュネーブ州
4. ティチーノ
5. スイス東部

 

1. ヴァレー州 − スイス最大のワイン産地 −

ヴァレー州は、国内生産の1/3を占めるスイス最大のワイン産地であり、ブドウ栽培農家は2万軒を超えるといわれていますが、小規模生産者主流スイスの中では珍しく協同組合を含む大手生産者が多く、ワイナリーそのものは500軒ほどです。

 

ブドウ畑はローヌ河最上流のブリーク近郊から、西はレマン湖の東端に注ぎ込むまでの100km以上に渡って両岸に広がっています。元々は河の北岸、南向き斜面が日照のよい優良な畑だとみなされてきましたが、地球温暖化はこのヴァレー州も例外ではなく、南岸北側斜面も見直され始めています。ローヌ河といえば、フランスの銘醸地を南北に貫くワインとの関わりの深い河川ですが、その最上流ではスイス最大のワイン産地を東西に流れ、スイスのフランス語圏のワイン産地にとっても重要な役割を果たしています。

 

歴史ある品種の宝庫で、黒ブドウではコルナラン、ユマーヌ・ルージュ、白ブドウではプティ・アルヴァンやハイダなど、聞きなれない名前のブドウから洗練された魅力的なワインが造られ、スイスを代表するシャスラはこの地では「ファンダン」と呼ばれ、柔らかなものから凝縮感のある骨太なタイプまで生み出されています。そしてピノ・ノワールとガメイをブレンドする「ドール」と呼ばれる軽やかな赤ワインはヴァレーの名産品、ローヌ河をさかのぼってきたシラーは近年、この地域でも定着するなど、新興品種もその多彩さに拍車をかけています。

 

そして、ヴァレー州のみならずスイスワインの代表的な生産者として、写真のマリー・テレーズ・シャパを紹介しましょう。スイスにおけるビオディナミ生産者の先駆けといえるマリー・テレーズは、ブルゴーニュの著名生産者との親交も深く、もっとも尊敬を集める造り手です。グラン・ナチュールは酸化防止剤を使わず、ヴァレー州のドールという名産ワインをこれ以上なくみずみずしく仕上げた名作ワイン。普段、フランスワインに親しんでいる人に味わっていただきたい、スイスワインのひとつです。

 

Marie Therese Chappaz(マリー・テレーズ・シャパ)
「Grain Nature2018(グラン・ナチュール2018)」
7000円

2. ヴォー州 − 歴史あるスイスワインの中心地 −

ヴォー州は、古くからスイスワインの中心地であり続けてきました。規模と量の面ではヴァレー州には及びませんが、シトー派の修道士がブルゴーニュのブドウ栽培を持ち込んだ歴史は、現代まで残る石垣に囲まれたブドウ畑からも知ることができます。

 

ヴォー州のワイン産地は大きく4つの地域に分けられ、ローザンヌの西、モルジュとニヨンまでのレマン湖北岸のラ・コート地域、ローザンヌの東にはユネスコ世界遺産にも登録されたブドウ畑が広がるラヴォー地域、ローヌ河がレマン湖に注ぎ込むエリアの右岸シャブレー地域、そして州北部のヌーシャテル湖周辺地域が挙げられます。

 

スイスの代表的な白ブドウ「シャスラ」はなんともつかみどころのないブドウです。フランスでは食用とされるこのブドウは、これといった特徴を見出しにくく、安易に造られたワインは軽やかに過ぎて個性に乏しく、おとなしいキャラクターになってしまいがちです。けれども州都であるローザンヌ周辺、レマン湖の北岸に広がるラ・コート地域とラヴォー地域の美しい段々畑に植えられたシャスラは湖面に反射する太陽光を受けてゆっくりと成熟し、芯があり、心地よいテクスチャーとみずみずしく広がりのある芳香豊かなワインになるのです。スイスを代表するブドウ品種シャスラに興味があるなら、まずこのヴォー州産のワインをおすすめしたいと思います。

 

Domaine Henri Cruchon(ドメーヌ・アンリ・クルション)
「Mont de Vaux 2018(モン・ド・ヴォー2018)」
4000円

3. ジュネーブ州 − もっともフランスに近いスイス −

レマン湖の南西端に位置する国際都市ジュネーブは、人口19万人、スイスではチューリッヒに次ぐ第2の都市です。周辺はスイスのフランス語圏ワイン産地の一角としてヴァレー、ヴォーに次いでスイスワインを語るうえで重要な地域です。

 

ジュネーブのワイン産地は、スイスの他のどの産地よりも今、大きく変わろうとしています。元々ヴァレーやヴォーと同じようにシャスラがもっとも重要で多く栽培されるブドウ品種でしたが、ガメイが追い抜き、ピノ・ノワールやシャルドネ、ソーヴィニヨン・ブランといったフランス品種が主流となりつつあって、フランス語圏のワイン産地のなかでも、よりフランス的な色合いの濃い新たなスイスワインらしさを表現しようとしているのです。そういった流れはナポレオンの時代、短いながらもフランスに併合されていた時期もあり、フランスとスイスの文化の融合するジュネーブのワインとしては、自然なことのようにも思えます。

 

今回紹介するジュネーブのワインは、フランス国境沿いに接するダルダニー村のソーヴィニヨン・ブラン。1980年代にフランス、ロワールのサンセールから持ち込まれたブドウで造られたソーヴィニヨン・ブランは、優しい酸がエレガントで品のある果実感を支える、本家と比較するとより柔らかな白ワイン。スイス、ジュネーブの名物料理といえばチーズフォンデュ・ラクレットですが、シャスラ以上に好相性の上質なワインです。そういう意味では、“スイスの白ワイン”というのはチーズとの相性という点で、他のどの産地のワインよりイメージしやすいワインなのかもしれません。

 

Domaine les Hutins(ドメーヌ・レ・ユタン)
「Sauvignon Blanc 2019(ソーヴィニヨン・ブラン2019)」
4500円

4. ティチーノ − スイスのなかのイタリアはメルローが主流 

スイスワインの魅力は、なんといってもその多様性にあります。スイス南部、イタリア国境に接するティチーノ州は、中世にはミラノ公国によって支配されていたこともあり、地理的にも歴史的にもイタリアに近い文化圏の地域です。いうなれば、イタリアの“もうひとつの州”がスイスにあるようなもの。スイス国内では唯一イタリア語を公用語としている州でもあり、ピザやパスタ、ポレンタやオッソブーコなど、ミラノとよく似た料理が現地では親しまれています。

 

ワインは、というと周囲のロンバルディアやピエモンテと比較してもなんとも個性的な州で、栽培されるブドウ品種の80%以上がメルローというのは、ボルドー以外では世界中でこの地域くらいのものでしょう。

 

元々は土着品種(今でも赤ワイン用品種ボンドーラなどがわずかに残る)が栽培されていたということですが、フィロキセラ禍によってブドウ畑が壊滅的な打撃を受けたのちの1906年、ボルドーから持ち込まれたメルローが主流となり、秀逸な造り手の物はポムロールとも比べられるエレガントで奥行きのあるワインが造られています。そして珍しいのは、黒ブドウであるメルローから造られる白ワイン「メルロー・ビアンコ」。白ブドウ品種がほとんど栽培されていないことから、1980年代に造られるようになったこの黒ブドウの白ワインは、今ではティチーノのメルロー種の1/4が白ワインになるほどで、この地域独自の新しい個性として定着しました。

 

ティチーノの穏やかな地中海性気候に育まれるフランス原産、イタリア文化圏のメルロー種は柔らかな酸に黒ブドウらしい豊かな果実味を持った唯一無二のワイン。北イタリアの料理と合わせて楽しむ、なんていうのも、スイスワインの多様な魅力のひとつではないでしょうか?

 

Castello di Morcote(カステロ・ディ・モルコーテ)
「Bianco 2019(ビアンコ2019)」
6800円

5. スイス東部 − 世界でもっとも豊かな街で楽しまれるワイン 

チューリッヒは、「世界でもっとも暮らしやすい都市」として名前のあがる街、世界でもっとも富める国スイス最大の都市であり、経済の中心地でもあります。そんな街で楽しまれているのは、周辺のドイツ語文化圏アールガウやトゥルガウ、シャフハウゼンといった地元のワイン。日本人にとってスイスワインというと、西部フランス語圏のワインのイメージが強く、ドイツ、オーストリア寄りの産地で造られるワインはより目にする機会の少ないものなのかもしれません。

 

主なブドウ品種はシュペート・ブルグンダー=ピノ・ノワールをはじめピノ・グリやピノ・ブラン、シャルドネ、ミュラートゥルガウなど、ドイツやオーストリアでも広く栽培されている品種との共通性を多く見出すことができます。ちなみにドイツやアルトアディジェ、日本でも栽培されるミュラートゥルガウは19世紀にトゥルガウでリースリングとマドレーヌ・ロワイヤルの交配によって産まれました。

 

日照時間に恵まれた畑が多く、17世紀にフランスから伝えられたといわれるピノ・ノワールは、フランスやドイツに比べより完熟感に富んだワインになります。写真の「ニュメロ・トロワ(No3)」も、トゥルガウで造られるピノ・ノワールの赤ワインなのですが、スイスのフランス語圏とはまた違ったキャラクターで、日本に輸入されている数少ない銘柄のひとつ。幻のスイスワインのなかでも特に希少な東部のワイン、ピノ・ノワール好きな方は、ぜひ探してみてください。

 

Schlossgut Bachtobel(シュロスグット・バシュトベル)
「No3, 2016(ニュメロ・トロワ2016)」
7400円

 

【プロフィール】

ソムリエ / 宮地英典(みやじえいすけ)

カウンターイタリアンの名店shibuya-bedの立ち上げからシェフソムリエを務め、退職後にワイン専門の販売会社、ワインコミュニケイトを設立。2019年にイタリアンレストランenoteca miyajiを開店。
https://enoteca.wine-communicate.com/
https://www.facebook.com/enotecamiyaji/