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新型コロナウイルスで自宅勤務が増えたことで、ラジオの存在感が増大している。専用アプリ・radikoの浸透もこの流れに拍車をかけており、ラジオ離れが進んでいた若年層が戻ってくる現象も見られるようになってきた。そんな中、地方のラジオ局として新たな挑戦を続けているのが「LuckyFM 茨城放送(以下、Lucky FM)」だ。今年7月からは電波拡大に伴って、茨城だけでなく関東全域で聴くことが可能に。2020年より社長を務めている阿部重典が、同社の概要から説明してくれた。

(構成・撮影:丸山剛史/執筆:小野田衛)

 

阿部重典(あべ しげのり)茨城放送代表取締役社長。1963年生まれ、福島県出身。國學院大学経済学部卒業。86年に茨城放送入社。以来アナウンサーとしてワイド番組からスポーツ中継まで担当。2013年に総務局長、16年に取締役、17年取締役編成局長、20年6月から現職。

 

茨城県でたったひとつの民放放送局

「茨城放送の開局は1963年4月、今年で58年目を迎えます。茨城は全国で民放県域テレビ局が存在しない唯一の地域なので、LuckyFMは茨城県でたったひとつの民放放送局ということになりますね。会社の体制が大きく変わったのは2019年のこと。それまで弊社の筆頭株主だった朝日新聞社と系列の日刊スポーツ新聞社の全株式を現オーナーの堀 義人が取得することになったのです。そして今年の4月に名称・愛称を『i-fm IBS茨城放送』から『LuckyFM茨城放送』に変更。ラッキーというのは幸運という意味であると同時に、『いばらき』の『らき』をかけているんです」

 

阿部はもともと同局のアナウンサー。86年の入社後、現場で叩き上げてきた人間である。思えば日本経済に勢いがあった80年代から90年代にかけては、多くの広告出稿があった。地方のラジオ局においても、地元企業から「ぜひうちのCMも入れてください」といった声が絶えなかったという。しかしバブル崩壊によって、ラジオ業界は冬の時代に突入。朝日新聞社のバックアップがあったとはいえ、茨城放送も徐々に厳しさを増していった。

 

「わが社の売上ピークは95年。おそらくですが、地方・東京を問わず他のラジオ局さんも80年代よりも90年代に入ってからのほうが売上的には高くなったはずです。自分の肌感覚でいうと、潮目が一気に変わったのはWindows95の発売。あそこがターニングポイントだった気がするんですよ。インターネットが普及したことで、ラジオの存在感が薄れた部分はあるんじゃないかと。そして2000年代に入ると、いよいよ経営的にも苦しむようになりました。もちろん局としても右肩下がりの状況に対して指をくわえて見守っていたわけではないんです。だけど、具体的に何をやればいいのかわからなかった。営業は『頑張れ、頑張れ!』ってひたすら連呼し、現場は制作費を削ることに汲々とし……。もがいてはいましたが、今思うと抜本的な改善策ではなかったかもしれません」

 

11年には東日本大震災が起こったことで行政からの情報発信が急増。そのため、広告出稿額が大きくなったという。だが、しょせんはそれも一時的なことに過ぎず、12年からは「改善計画」という名の経営スリム化を余儀なくされていく。

 

阿部自身が同社の詳細な経営実態を把握したのは、編成局から総務局長へ異動となった13年のことだった。

 

「再建計画は順調に進みました。とにかく削れるところは削って、費用の抑制をしようというのが当時の考え方。でもこれが功を奏して、最終的には借入金もなくなったし、黒字にも転換できたんですよね。特に神風が吹いたわけでもなかったんですけど、社員の頑張りによって震災が起きた11年からは9年連続で黒字を計上しましたから。そんなタイミングで現れたのが堀でした。だから倒産寸前の企業を買い叩くような買収劇では決してなかったし、むしろリスクの少ない優良物件だったと思いますよ」

 

オーナーの堀 義人の「水戸人」としての覚悟

堀 義人はグロービス・キャピタル・パートナーズの代表パートナーを務め、経営教育を始めとして様々なジャンルで事業を経営する名うての事業家だ。グロービス経営大学院の学長も務めている。水戸の街で育ち、京都大学への進学を機に移住。その後も世界を股にかけて八面六臂の活躍を続けていたが、久しぶりに水戸に戻ってみるとその衰退ぶりに目を疑った。廃墟、シャッター商店街、空地……自分が知っている高校時代までの水戸とは隔世の感があったと随所でコメントしている。

 

自分が育った水戸の街を元気にしたい──。その一念から堀は「水戸ど真ん中再生プロジェクト」を立ち上げた。水戸の市街地を再び活性化させることで、地方創生のモデルを作ろうという計画である。ほかにも堀は水戸への投資を惜しまなかった。様々な事業の展開や箱物の建築。最初は「何者?」と怪訝な表情を浮かべていた地元の財界人も、その熱意にほだされるかたちで協力体制を惜しまなくなっていく。堀は茨城の救世主となりつつあった。

 

「2年近く間近で堀と仕事をしてきた中で痛感したのは、水戸に対する愛がベースにあるということなんですよ。単なる損得勘定で動いているとは到底思えないし、本人もそのような発言を繰り返している。もっと言ってしまえばメリット/デメリットやリスクといった要素を度外視して、この事業に取り組んでいるとしか思えないんです。確かに堀が言うとおりで、水戸の街は変わってしまった。私が最初にやってきた36年前は駅前も活気に満ちていたし、商店街やデパートに大勢の人たちが集まっていた。毎晩のように飲み歩く人がいた。地方都市によくある話ではありますが、哀しい気持ちにさせられますよね」

 

堀を突き動かしたのは、「ビジネスパーソン」としてよりも「水戸人」としての覚悟だったのかもしれない。では、具体的に何をどのように再興させればいいのか? まずは経営危機を迎えていたバスケットボールチーム・つくばロボッツ(現・茨城ロボッツ)の再建に乗り出した。結果的にこれは見事に成功し、わずか5年でチームはB2からB1への昇格を果たすことになる。一方で日本三名園のひとつである偕楽園に隣接した場所には「令和の好文亭」を謳った「ときわ邸 M-GARDEN」をオープンさせるなど、観光客の誘致にも余念がなかった。そうした地方活性化事業の一環として、堀は茨城放送という地元メディアに目をつけたのだ。

 

「黒船来航」で生まれ変わったLuckyFM

「一方で我々としても9期連続黒字にまで漕ぎつけたはいいけど、『じゃあ、これからどうするか?』という部分ではっきりとしたビジョンを誰も示せなかった。これは茨城放送だけでなく、地方のラジオ局はどこも抱えている問題だと思うんですけどね。要するに『これからの時代、ラジオはどうすればいいのか?』という命題に対して、既存メディアの放送マンからは新しい発想が生まれなかったんですよ。だから外部の人間のアイディアに頼るしかなかった」

 

堀のオーナー就任後、社内改革はスピーディーかつドラスティックに行われていく。ITなどの事業を手掛けてきた堀と、歴史のある茨城放送は企業文化がまるっきり異なっていた。まず手始めに社内のリノベーションに着手し、壁やパーテーションを取っ払って広いワンフロアのオフィスへと改修。それまでは自分のデスクに大量の書類を積み重ねていたが、今は朝、出社してから自分の作業スペースを決めるようになる。今どきのIT企業でよく見かけるスタイルである。

 

組織構造も「〇〇局〇〇部」といった従来のやり方を廃止し、役員からダイレクトに各事業部リーダーへ指示が伝達できるように変更した。そのほか、給料体系も月給制から年俸制に切り替えたし、契約社員の制度をなくして原則として正社員扱いにした。もうまるっきり別の企業に生まれ変わったと言っていい。

↑現在のオフィスの風景

 

「働き方が根本から変わりましたね。今だから言うと、最初に買収の話が具体化したときは期待半分・不安半分の複雑な感情があったのも事実です。『黒船がやってきたぞ』という感覚ですよ。徳川幕府がずっと続く中、なんとなく築き上げてきた既得権益が一気にブチ壊されるような恐怖感……そういった気持ちも少なからず持っていました。正直、社内にはアレルギー反応もありましたし。思えばホリエモン(堀江貴文)さんのフジテレビ買収騒動は15年以上前になりますか。あのときとは時代背景も違っていますし、なによりも買収の意図が根本から違う。茨城放送を買うということは、とりもなおさず地元を活性化させるということですから」

 

少子高齢化が叫ばれ、産業の一極集中が進む中、地方創生に取り組むというのは生半可なことではない。ましてや茨城県は魅力度ランキングで7年連続最下位という不名誉な記録を樹立。2020年度は42位に浮上するも、21年度は再び最下位に転落した。だが、これについては阿部も言いたいことがあるという。

 

「私からすると、魅力度ランキングは『知名度ランキング』あるいは『認識ランキング』と言い換えたほうがいい。京都や奈良のような文化的遺産があるところ、それから北海道や沖縄のようなメジャー観光地は話が別ですよ。だけどそうじゃない地域に関しては、接触率によって魅力度ランキングが変わってくるんです。なぜ茨城の魅力が最下位なのか? いくつか要因はあると思いますが、ひとつにはテレビ局がないからだと思います。

関東にいると、テレビから流れてくるのは9割以上が東京の情報ですよね。県域のテレビ局があれば、当然、そこでは県内の情報が流れてくるし、加えて東京のキー局になると『さて今日は仙台からの中継です。宮城の〇〇さ~ん!』みたいな感じで全国にネットワークで情報が流れる。この中継局というシステムは埼玉、千葉、神奈川にはないですし、栃木、茨城、群馬にもない。だから茨城は多くの人に知られないのだと思います。そう考えると、LuckyFMの果たすべき役割というのは果てしなく大きいと身が引き締まりますけどね」

 

ラジオ局という発想を捨てて、新しくメディアカンパニーへ

 

LuckyFMの収益内訳はCMや番組提供などの「放送収入」とイベント開催などの「放送外収入」があり、現在、その割合は約7:3。つまり本業が7割といったところである。広告収入が減少する中、3割の放送外収入を増やしていきたいというのが経営戦略の柱だという。

 

「イベントやコンサートは従来も手掛けていたんですけど、以前は請負を中心にやっていたんです。これを自分たちから主体的に動いて、顧客のデータベース化を整えることも含めてチケット管理システムも構築するというのが当面の目標。社内的な話をすると、前は営業局の中の一事業としてイベントを運営していたけど、今はイベント事業部というものを切り離して作りましたしね。

今年3月、水戸偕楽園でチームラボさんと組んで『チームラボ 偕楽園 光の祭』という催しを開催しまして、おかげさまでこれが12万人を呼べました。もっともコロナによって開催時期が当初の予定よりも短くなったという誤算もありましたけどね。今年からうちで主催することになっていたROCK IN JAPAN FESTIVALも、結局、コロナのせいで中止になってしまいましたし……。そう考えると、放送外収入は水物というか計算できない部分が非常に大きい。特にコロナ禍に入ってからはイベントが中止になることが多くて売上が見通せないんです」

 

そして収益拡大のために、もうひとつ外せないのがクロスメディア化だ。「今の時代、餅は餅屋だと開き直ることはもはやできない」と神妙に語る。

 

「ラジオというのは音声メディア。したがってラジオ局というのは音声に特化して情報を届けるのが従来の事業内容だったんです。だけどこれからはクロスメディアという観点から動画と連動させたり、テキスト化を計ったり、もっと立体的に発信する方法を模索しなくてはいけないと考えています。実際、今は1階にある配信スタジオからYouTube Liveを配信していますし、21時からの『ダイバーシティニュース』は東京のスタジオから動画配信もしています。もう従来のラジオ局という発想を捨てて、新しくメディアカンパニーへと生まれ変わらなくちゃいけない時期なんですよね」

 

現在、大きな曲がり角を迎えているのはLuckyFMのみならず、ラジオ業界全般にも言えることだ。AM放送をFMで受信可能になる「FM補完中継局」の整備が進んでいるからである。これによってAMラジオが聴きづらい地区もカバーできるようになり、災害対策としても機能すると見なされている。そしてAM局の多くは将来的にFMへの転換を計画していくと宣言。茨城放送も2015年からはFMで聴けるようなったため、LuckyFMを名乗るようになったというわけだ。

 

「それに加えて大きかったのは、今年7月からは茨城だけでなく関東全域で聴くことができるようなったことです。これまでもradikoの有料会員になれば聴くことはできたんですけど、やっぱり母数が違いますからね。7月以降、実数でリスナーは5~6倍増えました。茨城県の人口が285万人で、関東の人口は4300万人。全国の人口の3分の1は関東に集まっているんです。

当然、こうなると番組の内容も変わってきますよ。もっと独自色を出していかなくてはいけない。地方局が東京の局と一番違う点は何かというと、すべての番組を自前で作るのが難しいということなんです。大抵はキー局から番組をネットしたり、東京の制作会社に依頼したりする。今、LuckyFMではほとんどの番組を自前で制作しているんですけど、これは単純に費用もかかるし、うちくらいの規模のローカル局では珍しいことなんです。でも、そうしないと全国のラジオ局が聴取できるradiko時代においては『なんだよ、これ? 他局と同じじゃん』と言われる可能性が高いですから」

 

番組の内容については、昨年から今年にかけて大幅なリニューアルを断行した。中でも力点を置いているのは以下の点だという。

 

●ダイバーシティ

「多様性を打ち出した編成を心掛けています。FM局の中には『うちはハイセンスな音楽を中心に』といったかたちで特徴を打ち出すパターンが多いかもしれませんが、うちは地方局ということもあり、内容的に自然と多様な様相を呈してくる。それに一口に音楽と言っても、洋楽なのかJ-POPなのかで聴く人は変わってくるじゃないですか。たとえばLuckyFMでは全国的にも珍しい詩吟の専門番組『吟詠百選』を40年以上にわたって放送しています。それからラテン音楽の専門番組『ラテンフォルクローレをご一緒に』も半世紀近く続いている長寿番組です。ほかにも演歌の番組もあるし、ヒップホップだってあります」

 

●ローカルメジャー

「茨城出身だったり、茨城で活躍するタレントさんや芸人さんには積極的に登場してもらっています。東京の放送局のように有名なタレントさんを起用する潤沢な制作資金はないものの、独自のカラーは出していきたいので。月曜日のレギュラー・磯山さやかさんは、ダメ元でオファーしたら快く引き受けてくださり感激しました。彼女は鉾田第二高校の野球部でマネージャーをやっていた生粋の茨城県民ですからね。それから今や世界的な大スターとなった渡辺直美さんとピース・綾部祐二さん。2人に登場してもらうことは我々にとってハードルが高いことではあったんですけど、『これから茨城放送は変わっていくんだ!』というインパクトがほしかったのでエリア拡大記念特番への出演をお願いしました」

 

●ニッチトップ

「誰でも知っているものというよりも、コアなファンがいるジャンルを取り上げていきたいと考えています。マニアックなジャンル……たとえばアニメ、プロレス、オートバイといった企画ですよね。隙間を狙うことで他局との差別化を図りたいし、着実にファンがいるジャンルを通じて茨城の魅力を全国の方に伝えていくのが理想です」

 

●ニュース、スポーツ

「地方局としての使命として、ニュースやスポーツに力を入れるのは必須。radikoの整備によって『東京の放送局みたいになっちゃうの?』という疑問があると思うのですが、そんなことはないということは声を大にして伝えたい。むしろインフラ整備ができたことにより、茨城の情報をしっかり首都圏の方に届けたいと私は考えています。ただ一方で、天気予報や交通情報も今までみたいに茨城だけのことを伝えていればOKという話にはならない。たとえば首都高の渋滞情報も伝える必要があるでしょうし」

 

今は新しい体制と環境下で試行錯誤の連続だと阿部は頭をかく。だがその表情からはやる気がみなぎっており、地方メディアの先駆けモデルとして未来を切り拓こうとする覚悟が感じられた。

 

「正直なことを言うと、去年の営業収支は赤字。今年もおそらく赤字でしょう。コロナの問題もありましたしね。でも、いいんです。今は新しい体制作りに取りかかっている真っ最中。これが整備されてから、売上や利益の追求をしていけばいいと考えていますので。とにかく今までやっていないこと、新しいことをやるしかない。非常に大変ですけど、充実感はありますよ。メディアカンパニーとしての新しいチャレンジを見守っていただければと思いますし、既存のイメージとは違うかたちで情報を届けていきたいですね」

(文中敬称略)